「あなたにとって、主イエスとは何者か?」
説教題 「あなたにとって、主イエスとは何者か?」 聖書 マルコによる福音書3:7-12、列王記上5:9-14 説教者 稲葉基嗣牧師
【主イエスの宣教に対する様々な反応】
イエス様が行った宣教に対して、人々は様々な形で反応しました。
ある者は喜び、ある者は噂を広め、
ある者は疑いを覚え、
ある者は信じて、イエス様を尋ねて旅立ちました。
当時のユダヤの宗教的指導者であるファリサイ派の人々は、
自分たちの考える基準で律法を守らないイエス様の姿を見て、
次第にイエス様に対する憎しみを覚えるようになってきました。
3:6には、このように記されています。
ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。(マルコ3:6)
2章から3章5節までは、イエス様と人々の間でなされた論争が記されていました。
律法の解釈を巡る論争です。
これらの論争の結果として、ファリサイ派の人々はイエス様を憎み、
イエス様を殺すための相談を始めたのです。
そのような意味で、イエス様の宣教は、ファリサイ派の人々に対しては成功したとはいえませんでした。
彼らの怒りや憎しみを感じ取ったからでしょうか。
イエス様は、弟子たちと一緒にガリラヤ湖の方へと立ち去られた、とマルコは報告しています(マルコ3:7参照)。
【主イエスのもとに集まる人々】
イエス様と弟子たちは、この湖で、驚くべき光景を目にするのです。
その時の様子を、マルコはこのように記しています。
イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。(マルコ3:7-8)
イエス様と弟子たちが見たのは、「おびただしい群衆」でした。
彼らは、イエス様の噂を聞いて、様々な地方から集まってきたのです。
ガリラヤだけでなく、南のユダヤ、エルサレム、イドマヤからも。
ヨルダン川の向こう、つまり、東のペレア地方からも。
そして、北西の異邦人の地である、ティルスやシドンからも。
実にたくさんの人々が、各地から集まってきたのです。
そこには、ユダヤ人だけでなく、異邦人もいました。
イエス様のこれまでの宣教の結果として、
このような「おびただしい群衆」が集まってきたのです。
この光景を見て、弟子たちは喜んだことでしょう。
自分たちの師であるイエス様の働きが、多くの人に認められたのですから。
【主イエスの反応】
しかし、この出来事に対して、イエス様が喜んでいるようには感じません。
この出来事に対する、イエス様の反応をマルコはこのように記しています。
そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。(マルコ3:9)
実に、淡々と、イエス様の行動が報告されています。
どうやらイエス様にとって、群衆の数は、何の喜びの根拠にもならなかったようです。
一体なぜなのでしょうか。
【「あなたは神の子だ」】
その時起こった、あるひとつの出来事を通して、その理由は明らかになりました。
11-12節に、その時の様子が記されています。
汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。(マルコ3:11-12)
多くの人々が集まる中、
汚れた霊たちが、イエス様のもとに来て、イエス様に平伏して叫んだのです。
「あなたは神の子だ」(3:11)と。
汚れた霊たちは、イエス様が神の子である、ということを知っていました。
彼らの叫ぶ声は、正しいことを言っているように感じます。
しかし、それに対するイエス様の反応は、否定的なものでした。
イエス様は、自分のことを言いふらさないようにと、汚れた霊たちに伝え、
彼らを厳しく戒めた、というのです。
イエス様は神の子だと、人々の間に広まることは良いことのように感じます。
しかし、なぜイエス様は言いふらさないようにと、彼らに戒める必要があったのでしょうか。
それは、汚れた霊たちの告白が、信仰によるものではなく、
イエス様に対する恐れと敵意に溢れたものだったからです。
イエス様は、汚れた霊たちを追い出す力を持っていたため、彼らはイエス様を恐れていました。
しかし、彼らは同時にイエス様に対する敵意をもっていたため、「あなたは神の子だ」と叫んだのです。
汚れた霊たちは、イエス様にとって都合の良いことを告白しているように見ます。
しかし、この告白を汚れた霊たちがしたということが問題だったのです。
これを聞いた人々は、一体どのように感じたでしょうか。
多くの人々は、このように思ったことでしょう。
あのイエスという人は、汚れた霊たちを従わせることができる、汚れた霊の頭なのではないか、と。
汚れた霊たちを利用して、人々を悪の道へと扇動しようとしているのではないか、と。
イエス様は、そのような方では決してありません。
汚れた霊たちの告白によっては、イエス様について正しい理解を得ることは決してできないのです。
ですから、イエス様は汚れた霊たちを戒められたのです。
それは、御自分を正しく理解してもらうために、イエス様がとった手段だったのです。
【主イエスが喜ばなかった理由】
「おびただしい群衆」が自分のもとに集まってきたのを見た時、
イエス様が喜ぶことができなかったのも、同じような理由からでした。
10節には、人々がイエス様のもとに集った理由が記されています。
イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。(マルコ3:10)
人々は、病を癒やす奇跡を起こす人として、イエス様を見ていました。
病の癒やしこそ、彼らがイエス様のもとに集まった理由でした。
イエス様の望みは、「あなたは神の子です」と人々が自らの口で告白することでした。
しかし、イエス様の目の前には、正しく自分を理解できない人々が集まっていたのです。
こんなにも多くの人がいるにも関わらず、イエス様を心から信じ、理解する人はいない。
イエス様が喜べるはずがないのは、当然のことです。
【イエス・キリスト、神の子、救い主】
イエス様は、病の癒やしでは、人々に自分が何者なのかを伝えることはできませんでした。
汚れた霊を追い出すことを通しても、正しく伝えられませんでした。
また、語ることを通しても、正しく伝えられませんでした。
人々から、「先生」と呼ばれ、教師として見られるだけでした。
では、「イエス・キリストは神の子である」という告白へと人々を導くために、
イエス様は一体何をしたのでしょうか。
私たちは福音書を最後まで読むことを通して、それを知ります。
そう、イエス様は、私たちの罪を背負って十字架に架かり、
十字架の上で死なれ、そして、復活したということを。
そう、イエス様が自分の命を投げ出すことを通して、
イエス様が神の子であるということが、私たちに明らかになったのです。
イエス様はなぜ私たちの罪をすべて背負って死なれたのでしょうか。
それは、私たちが互いに傷つけ合うからです。
私たち人間をつくられた神に背き続け、自分勝手に私たちが生きるからです。
私たちが、罪を犯し続け、神を忘れている日々を過ごしているからです。
しかし、それでも神は、私たちを愛し続けてくださいました。
神が私たちを愛してくださったから、神はイエス様を私たちのもとに送られたのです。
だから、この方を信じるようにと招かれているのです。
神の子であるイエス様こそ、私たちに救いをもたらす方である、と。
【あなたにとって、主イエスとは何者なのか】
今日のこの物語を通して、神は私たちに問い掛けています。
あなたにとって、主イエスとは何者なのか、と。
私たちはイエス様をどのような方として見ているのでしょうか。
英雄としてですか。
歴史上の人物としてですか。
信じていれば、私たちに何らかの利益を与えてくださる方としてでしょうか。
それとも、救い主としてですか。
聖書は語ります。
イエス・キリストは、神の子であり、私たちの救い主である、と。
私たちをこの上なく愛された方である、と。
このように信じている者の口から「あなたは神の子です」という告白がなされることこそ、イエス様が喜ばれることです。
【少数派であることを恥じず、真実の告白をし続ける】
それは人数など関係のないことです。
たとえ、取るに足らない人数だったとしても、神の前に喜ばれるべき存在なのです。
私たちは、この日本という国でキリスト者として生きるようにと、召されています。
全人口の1%未満と言われる、クリスチャン人口です。
本当に、取るに足らない存在でしょう。
しかし、ゼロではありません。
確かに、エルサレムから、海を越えて、この日本へと福音は伝わっています。
時代を越えて、確かに福音の告げる喜びは届いています。
「あなたは神の子です」という告白を、私たちも歴史上のすべての信仰者たちと一緒にすることができます。
神は、「イエス・キリストは神の子です」という真実の告白をする者を用いて、
確かに、福音を全世界に届けてくださっているのです。
ですから、神が私たちを用いて、この福音を少しずつ少しずつ広めてくださることを信じ、祈り求めていきましょう。
そして、私たちは、「イエス・キリストは神の子であり、私たちの救い主である」という告白を、保ち続けていきましょう。
2000年前、本当に僅かな人数だったキリスト教徒たちが、真実な信仰の告白を保つことを通して、
福音が全世界に広がったという事実があるのですから。
やがて数え切れぬほどの多くの者たちが、「おびただしい群衆」が、
イエス様の前に立って、「あなたは神の子です」と告白する日が来ることを願いつつ、
私たちはこの福音を宣べ伝えていきましょう