「悪と戦うキリスト」
2025年3月23日 受難節第3主日
説教題:「悪と戦うキリスト」
聖書 : マタイによる福音書 12章22-32節(22㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
昔からあったことではあるとは思うのですが、誹謗中傷が増えてきているのではないかと感じています。前から申し上げているように、そしてマスメディアが言っているようにインターネットの発達、ソーシャルメディアの発達がこの誹謗中傷を増やしているのだということもあるでしょう。確かにそうした手段によって否定的な意見を簡単にインターネットにあげてしまい、多くの人々がそれらを見て、拡散してしまう。そういう意味ではこのメディアの意見が的をいているのかもしれません。しかし本当にそうでしょうか?それがこの問題の本質なのでしょうか?確かにインターネット、ソーシャルメディアによって私達は否定的な意見を拡散することができます。ですがそれと同じように肯定的な意見も拡散することができます。つまりそれらは手段であって本質ではないと私は思うのです。本質はやはり人の悪がそうさせるのではないでしょうか?
聖書に入っていきたいと思います。主イエスは病人をおいやしになられていましたが、その時悪霊に取りつかれて目が見えない、口の利けない人が主イエスの前に連れてこられました。そして主イエスはその人をいやし、その人は目が見えるようになり、ものが言えるようになりました。主イエスの奇跡です。素晴らしいです。そしてそれを見ていた群衆は驚いたわけです。「この人はダビデの子ではないだろうか。」と彼らは言ったわけです。群衆はただ単に驚いた、びっくりしたというわけではないのです。主イエスを「ダビデの子」ではないだろうかと言ったわけです。ダビデの子、子孫からユダヤ人の救い主がお生まれになると言われていました。実際主イエスは人間の系譜的にはダビデの子ではあるのですが。重要なことはこの群衆が主イエスを救い主とみなし始めていたということです。事実そうなのですが。そしてそこには救い主イエスを称賛することが含まれているのです。これは肯定的な考えで、神の御心にも叶うことであることは言うまでもありません。
しかし他方で否定的な意見が出されました。「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」24節です。誰から出されたのか。ファリサイ派の人々です。なぜ彼らはそのような言葉を主イエスに対して発したのか?まず、その当時には強い悪霊によって弱い悪霊を従わせるという考え方があったということです。ですがその他にも理由があります。それは主イエスとファリサイ派との対立です。主イエスはことごとくファリサイ派の人々と対立してきました。主イエスや弟子たちが安息日を破り、人をいやしたり物を食べたりする。律法に違反して食事をしたりする。そのことで諍いがありました。だからこそそのように言ったのです。主イエスに対しての悪意があったのです。さらにそのような自分たちが嫌いな人間が人々から称賛を浴びているわけです。けしからんわけです。嫉妬です。だからこそそのようなことを言ったのです。悪意と嫉妬が彼らにそのようなことを言わせたのです。私達の身の回りで起きている出来事、誹謗中傷もまたこのようなものから来ているのではないでしょうか?
これは申し上げていいのかどうなのか迷いました。ある動画配信者の方が動画配信中に殺されてしまうという痛ましいことが起こってしまいました。この配信者が配信をしていたので居場所が特定されてしまい、この容疑者に殺されてしまったということです。当初この容疑者に非難が集中したのですが、この犯行の動機や背景がマスコミ等で明らかにされてまいりますとこの殺されてしまった方にも問題があったという論調が増えてきました。どうもこの配信者の方は容疑者の方に借金があったようで度々お金の無心をしていたようです。そして容疑者に消費者金融からお金を借りさせて、融通するようにしていたようです。
たまりかねた容疑者が警察にも相談し、民事で裁判を起こして、容疑者がこの配信者に勝訴し、裁判所から支払い命令が出ました。ですが、再三の借金返済にこの配信者は応じませんでした。自分の銀行口座にお金がないと言って。事実口座にはお金がなかったとのことですが、知り合いの口座に移していたようです。そしてこの配信者は優雅な生活をネットで配信していました。そうした中でのこの容疑者の犯行であったようです。もちろん殺人はいけないのですが。
随分長々と話してきました。ですが、ここには人の欲、見下し、悪意、嫉妬、怒りといったものが人の負の感情、罪が垣間見えますね。この配信者はこの容疑者からお金を引っ張りたいという欲があります。そしてそのお金で優雅な生活をしたいということです。そしてその容疑者が借金の返済を迫ると見下し、ブロックする。いわば使い物にならない道具を捨てるように。そのような配信者に対して容疑者は悪意、嫉妬、怒りを募らせていき、最後はこの配信者を殺してしまうという取り返しのつかないことをしてしまうのです。これらの負の感情こそが悪であり、罪なのだと思うのです。
聖書に戻りますと、悪意と嫉妬に満ち、あのような言葉を発したファリサイ派の人々に対して主イエスはなんと仰ったでしょうか?25節から26節にかけて仰ったのですが、強い悪魔で弱い悪魔を倒すという理屈を内輪もめという理屈でご否定されるのです。さらに主イエスは27節でこのように仰るんですね。「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。」もし主イエスがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちが悪霊を追い出すとき(できればの話ですが)ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのではないか。たぶんあなたたちはそれを否定し、自分たちの時は神の霊で追い出していると主張するだろうが。
「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(28節)
このことは何を意味しますか。大切なことは主イエスをメシアと認めること、神から来ている神の子であると認めることです。そして主イエスが神の霊によって悪霊を追い出していることを認めることです。そうすることでその認めた人は神に認められるのです。そういう人はこの世の悪(悪意、嫉妬)から離れることができるのです。そうすることで神の国が近づくのです。ファリサイ派の人々、先ほど申し上げたネット配信者と容疑者の人々の心の状態そして結果はどうでしょうか?
ですから主イエスに近づきましょう。主イエスを認めましょう。
そこに平安、恵み、そして神の国はあるのです。
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