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「奇跡を行うキリスト」

2025年3月2日 公現後第8主日

説教題:「奇跡を行うキリスト」

聖書 : マタイによる福音書 14章22-33節(28㌻)​​​​​

説教者:伊豆 聖牧師


 主イエスがこの地上で行われた奇跡、御業というものは様々なものがありました。多くの場合は病人をお癒やしになられたり、悪霊を追い出されたりというものでした。先週の説教でのカナンの女性の娘から悪霊を追い出すというのもその一つです。これらの奇跡というものは二つの意味があると私は思うのです。一つは必要に迫られてということです。どういうことかと言いますと当然のことながら病人、もしくは悪霊に取りつかれている人は癒されるもしくは悪霊を追い出していただく必要があったということです。そしてそれは人々のためになったということです。もう一つの意味は主イエスが奇跡を行うことによって主イエスが神から来られたということ、そして正しいということを証明したということです。ある盲人が主イエスによって目が開かれたことがありました。ですがその日が安息日であったのでファリサイ派の人々がその元盲人を問いただすという場面がありました。その時に彼が彼らに言った言葉があります。「神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」        

(ヨハネによる福音書9️章31節から33節)


 さてこのように主イエスがなされた奇跡というものは必要性があり、神から来られた証明であったと考えられるのですが、中にはそれほどの必要性があったのだろうかと思われる奇跡があります。例えばカナの婚礼で水をぶどう酒に変える奇跡がありましたね。もちろん婚礼のときにぶどう酒をきらしてしまったので、ぶどう酒が必要であったということはあります。ですが、順位をつけるわけではないのですが、病人や悪霊に取りつかれた人々を癒やすことほどの必要性や緊急性があったかというとどうでしょうか。確かに私達の基準で言うならばそれほどの必要性や緊急性はなかったように思えてしまいます。

 本日の箇所の奇跡もまたそのようなものです。     

「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて船に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。」とマタイによる福音書14章22節にあります。最初に「それから」と書かれていますね。「それ」とは何でしょうか?前の箇所を見てみますと五千人に食べ物を与える奇跡のことが書かれています。13節から21節です。つまり五千人の群衆は主イエスに奇跡によって食べ物を与えられたので満足したということです。それで主イエスは彼らを解散させたということです。また主イエスと弟子たちも疲れていたと考えられます。そのせいもあり解散させたということでもあったことでしょう。「船に乗せ、向こう岸に行かせ、」という表現、そして次の23節の「祈るためにひとり山にお登りになった」という表現で弟子たちと主イエスが喧騒(けんそう)から離れ、静かな場所に行ったということがわかります。私達キリスト者にもこのような場所と時間というものは必要であると思います。よく修養会もしくはリトリートと呼ばれていますね。そのような場所と時間を主イエスはお作りになられたということです。

 24節から26節です。さて弟子たちの状態です。確かに今までの群衆に囲まれた生活から解放されました。喧騒から解放されました。それはそれでいいのですが、良くないことがありました。彼らが乗った船が陸から何スタディオンか離れていて、逆風が吹いていたということです。スタディオンというのは古代ギリシャおよびローマで使われていた距離の単位です。ちなみに1スタディオンは約191mですので彼らは陸から相当な距離を離れていて、風がひどく吹いていたということです。ですからいつ船が転覆して溺れてしまうかもしれないという恐怖に苛(さいな)まれていたということです。そういう恐怖の中で主イエスが湖の上を歩かれて彼らの元へ来られたのです。彼らがパニックになり、主イエスを幽霊だと言って恐れたのは当然です。

 そんな状態の彼らに主イエスはお声をかけられるのです。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」     

マタイによる福音書14章27節です。多分これで弟子たちは安心したと思うのです。ですがといいますか、さもありなんといいますか、ペトロがこのように主イエスに願うんですね。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」大胆といいますか、お調子者といいますか、ペトロらしいです。このペトロの申し出を主イエスは快く受け、「来なさい」と仰いました。

 ペトロは主イエスの方に向かって水の上を歩き出します。ですが彼は強い風を見て怖くなり、沈みかけました。ですが彼は主イエスに向かって叫びました「主よ、助けてください。」と。主イエスはすぐ手を伸ばして助けられました。しかしこうも仰いました。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」

 私達が生きていく中で多くの苦難に直面します。そして私達はそんな中で恐れを抱き、心配してしまいます。弟子たちが乗っている船が岸から離れてしかも強風が吹いている状況がそれです。彼らは不安でした。そんな中で水の上を歩く師匠の主イエスすら判別できずに恐怖していたのです。ペトロが主イエスに水の上を歩かせてくださいと言ったまではいいのです。ですが、やがて風を見て恐れを抱き、溺れかけてしまいます。彼らは私達を表しているのではないでしょうか?目の前の現実問題に一喜一憂しているのが私達です。ですが主イエスは私たちに安心を与えられます。そして私たちに仰るのです。「わたしを信じなさい」と。

 この主イエスの水の上を歩くという奇跡は人々を癒やすもしくは悪霊を追い出すという奇跡ほど必要性、緊急性がないかもしれません。ただ水の上を歩くという奇跡を見せつけただけではないか、意地の悪い人は思われ、言われるかもしれません。ですが、この話全体には意味があります。まず主イエスは弟子たちを「強いて船に乗せて」と22節にあります。そして主イエスご自身は彼らから離れて祈りのために山に登られたと23節にあります。これはただ単に弟子たちに休息を取らせようとしたということだけではないと思われます。このように言うと悪いかと思うのですが、弟子たちが不安な状況に陥らせようとしたのではないかとも考えられます。そういう中で主イエスが水の上を歩き、ペトロがそれを真似て水の上を歩き、しかし途中で風に怯え、溺れかけ、主イエスに助けられました。このような現実の不安の中で主イエスを信頼することを主イエスは教えられています。私達もまた主イエスによって信仰を試されています。

 

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