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「神が語り、神が行う」

説教題 「神が語り、神が行う」 聖書 マルコによる福音書4:26−34、エゼキエル書17:22−24 説教者 稲葉基嗣牧師

【どうしてそうなるのか、その人は知らない】

イエス様の語ったこの種蒔きの譬えは、

私たちにとって、とても挑戦的なものです。

イエス様は、このように語りました。

人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。(マルコ4:26−28)

蒔かれた種に対して、種を蒔いた人は一体何が出来るのでしょうか。

この譬えの中で、人がすることといえば、

種を蒔くことと、種の成長を見届けること、そしてその実を収穫することです。

種が成長するために、実を結ぶために決定的なことを、

人は全くしていないのです。

「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」。

そして、「ひとりでに実を結ばせる」のです。

もちろん、必要であれば、水をやったり、雑草を取り除いたりしたでしょう。

しかし、種が成長するのに決定的なことを、人は出来ないのです。

そして、その成長過程の中で、何が起こっているのかを知らないのです。

【人の努力によらず、神のわざによって成長する】

なぜこの譬えが私たちにとって、とても挑戦的なものだといえるのでしょうか。

それは、私たちは、自分の力で物事を進めたいという思いが強くあるからです。

私たちは、出来る限り知りたいと願います。

自分の把握できる範囲で、物事が進行していたら、とても安心します。

すべての事柄が、自分にとって都合の良いように進むことを願うならば、

出来る限り、その物事に関与して、意見することでしょう。

そうやって、私たちは、自分が関わる物事、計画や予定を進めていくのです。

しかし、イエス様はこの譬えを通して、宣言しているのです。

「神の国は、そのようなものではない。

私たちが努力したから、この地上に築かれるものでは決してない」と。

それは、「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」のです。

種の成長の多くは、種を蒔いた人が眠りに就いている間、

そして、彼の手を離れている間に起こります。

そう、種蒔きの手を離れているにも関わらず、

種は成長し、実を結ぶのです。

古代の人々は、確信していました。

「種が実を結ぶのは、神の力による」と。

種は、人の努力によらずに、神のわざによって成長するのです。

【神の定める時を待つ】

この事実を知る時、私たちが取るべき行動とは、

何なのかと改めて考えざるを得ません。

種が蒔かれた後、

そう、神の言葉が語られた後、私たちは何をすべきなのでしょうか。

イエス様は言われました。

実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。(マルコ4:29)

収穫の時を待つ。

それこそ、私たちがすべきことです。

収穫の時。

それは、終末のさばきの時を意識した言葉です。

それは、神が、この日と決断した時に訪れます。

決して私たち人間の側で定める時ではありません。

私たちが、自分の良いと思うタイミングで収穫をするのではないのです。

神が許した時に、収穫の時は訪れるのです。

それは、どのような場所においても、神が許すならば、収穫の時は来るのです。

そう、私たちの目には、実を結ばないように見える場所でさえも、

神が許すならば、そこで種は育つのです。

歴史の舞台であろうと、

人の心の中であろうと、

種が育ち、実を結ぶように、神の支配、神の統治は訪れるのです。

それは、神が許した時に起こるのです。

私たちは、どれほどこの「神の時」を待ち望むことができているのでしょうか。

自分の思い通りに、状況を操りたいと願い、時を操作したがる。

そのような思いに、私たちは絶えず支配されていないでしょうか。

そんな私たちに、イエス様はこの譬えを通して語り掛けているのです。

「すべての事柄は、神の支配の内にあるのだ」。

「だから、あなたがたは、神の時を待ちなさい」と。

【からし種の成長】

続けてイエス様は、「神の国はからし種のようなものだ」と語ります。

からし種というものが、どれほど小さいものなのかご存知でしょうか。

それは、1ミリ程度の大きさ。

重さは、約1ミリグラムしかありません。

そんな小さな種を、神の国の譬えでイエス様は用いているのです。

神の国は、風が吹いたら簡単に吹き飛ぶ、

小さな小さなからし種のようなものだ、と。

しかし、そのような小さな小さなものであるにも関わらず、

その種は成長すると、少なくとも1.5メートルの高さの灌木となるのです。

条件さえ良ければ、3メートルになることもあるようです。

御国は小さく、そして、慎ましく始まります。

今も、小さな存在に見えるかもしれません。

しかし、神の力によって、

それはいつか印象的なほど大きく、力強くなるだろうとイエス様は語るのです。

【神は、我が助け】

イエス様は、からし種の成長について、このように語っています。

成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。(マルコ4:32)

木の枝には、鳥が巣をつくることができるほどになっているのです。

旧約聖書の中で、鳥が巣をつくる木という表現は、

住民を保護し、平和の内に生活をさせるイスラエルの支配を暗示するものとして、頻繁に出てきます。

今日開いたエゼキエル書の中でも、その表現は出て来ました。

イエス様の譬えは、このイメージを受け継いでいるのです。

神の国、つまり神の支配は、私たちを保護し、平和を与えるものなのだ、と。

私たちは、この世界の現実に直面する時、様々な形で傷付きます。

暴力、搾取、誹謗中傷などに直面するときもあれば、

それらを見聞きすることもあります。

正直、保護も、平和もないかのように感じる時さえあります。

しかし、そのような現実にこそ、イエス様は来てくださったのです。

神の国は来た。

神の支配が訪れた、と宣言しながら。

神の国は、イエス様によって、既に私たちに与えられている現実です。

神の国は私たちに保護を与えます。

そして、平和を与えるのです。

これは、私たちの希望であり、慰めです。

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。

苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。(詩編42:2)

【「主であるわたしがこれを語り、実行する」】

イエス様が語った種蒔きの譬えが4章に記されていますが、

これらの譬えを貫くテーマは、「神の言葉を聞くこと」です。

神の言葉を受け取るとき、

それは私たちの思いもよらぬ仕方で、大きく大きく成長していくのです。

それは、聞くことから始まります。

神の言葉を聞くことを通して、神の国の領域が広がっていくのです。

ですから、私たちは、神の言葉に耳を傾け続けるのです。

これがなければ、始まりません。

そして、これによってのみ、教会は建つのです。

これによってのみ、神の国は成長するのです。

私たちの努力や思いによらず、神のわざによって、です。

ですから、イエス様は語り続けたのです。

「聞く耳のある者は、聞きなさい」(マルコ4:23)と。

イエス様がここまで言われたのは、神の言葉にはそれほどの力があるからです。

小さな小さなからし種が成長し、大きな灌木となるように。

いや、それ以上の力が、神の言葉にあるからです。

神は、預言者エゼキエルに語り掛けました。

主であるわたしがこれを語り、実行する。(エゼキエル17:24)

このように約束してくださった方は、

今も、そしてこれからも、変わらずに私たちの神です。

神は私たちに語り続け、働き掛け続けてくださるのです。

それは、時に見えなかったり、疑ったりしてしまいますが、

神が許された時が訪れた時には、必ず明らかになるのです。

ですから、私たちは、この神に信頼して、日々歩んでいきましょう。

神は私たちに語り掛けておられます。

主であるわたしがこれを語り、実行する。(エゼキエル17:24)

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