「求めなさい」
「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開かあれます。 だれてあれ、求める者は受け、探す者はみつけだし、叩く者には開かれます。 あなたがたも、自分の子がパンをくださいと言う時に、誰が石を与えるでしょう。 また、子が魚をくださいと言うのに、誰が蛇を与えるでしょう。 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良いものを与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。」(マタイによる福音書7:7-12)
さて、今朝の主題は「求めなさい」です。これは、即必要だと言うものではなく、赤ちゃんがお乳を求めるようなものとは少し違います。人の未来、そして永遠に関する事なのです。本当の父を知らない人は、本当の父を捜そうにも探しようがありません。だから、どうしたら良いかよくわからない人に対して、イエス様を求める方を教えて居られる場面です。また、今の所なくても日常生活には特に影響はないものとも考えられます。面白おかしくこの世を楽しむ人にはお荷物になる様な、むしろ不要なものかもしれません。真理は重いものです。
しかし、人間は時に、明日のことで不安になることがあります。まだ見ていない未来の現実を知ると言う事は現実に不安を感じるからです。人間がいちばん不安になるのは未知の世界、未だ見ていない世界です。だからこそ人は、未だ見ぬ明日の平安を求めるのです。勿論今日の幸せももとめはもとめはしますが、今日の不幸に耐えても明日に希望を置き、幸せを求めるのが現実的な人間の姿です。神の現実は、私たちの未来を約束するものです。人間は明日に希望があるから生きているのです。でも明日の希望では人生を充実させることはできません。泡のようにすぐ消えてしまう希望だからです。
しかし、明日の世界を約束する神の真理と救いが町に溢れていても、大安売りをするようなものではありません。(6節)満ち溢れていても容易く手に入るものではないのです。人間はお金が第一だと考え、未来の平安もお金で手に入れる事が出来ると考える人もいます。考えてください。この世の通貨が、神の永遠の世界を左右する事などできない相談です。神の約束を手に入れる為には、それなりの条件が必要なのです。それは、此の世の目にメルものではなく目に見えない永遠に無形のものです。形あるものは失せ去るからです。
イエスが約束された全てのものは、永遠に変わらない条件でのみ得る事が出来ます。人間の心は変わりますが。変わらないキリストの心が、私たち心に宿った時、私達は真理に目覚め、初めて求めるものが見えるようになり、必要とするものを求めることが出来るのです。そして、求めるものは与えられます。勿論、主は、求めなくても日々必要なものは与えて下さっています。私たちが必要だと思って求めても叶えられない事が度々ありますが、主が与えられなかったからと言って私たちの希望が失われたわけではないでしょう。これは、私達が、「今ある事」自体が主の約束の証拠であり、祝福だという事ではないでしょうか。
I 「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見出す。叩きなさい、そうすれば開かれる。」(七節)と言われました。イエスの言葉は実に良い美しい詩のようですが、内容的には厳しく、求めんめなさいと命令するかの如くに力強く勧めておられます。イエス様が真剣に言われすのですから心から求める人が少ないと言う事を物語っているのかも知れません。しかし、心の底から求道する者には、主は、必ず答えてくださるのです。
本当に求める心があるのか、それが問われています。それは、日常の生活についても言える事で、どれだけ、真実に求めているかどうかが鍵です。私たちは必要な者を何時、何処で、誰かに求めるのか明確に知っておく必要があります。的外れの祈りは聞かれません。求める対象を正確に知っておく必要があります。
II イエス様は、「求めるものには与えられ、探すものは見出し、叩くものは開かれます。」と、イエス・キリスト様が求めよと勧めて居られます。欲しいのなら求めなさい。必ずかなえると言って居られれるのです。また、イエスは、「考えて見なさい、父親や母親が、子供が、お菓子が欲しいと言っているのに、石ころを与えたり、水が飲みたいと言う子供に、泥水を飲ませたりしないだろう」(九節)どんなに悪い親でも、子供に良いものを与えるだろう。ましてや、父なる神は尚更です。と言っておられます。
III これらの教えから、私たちは、「求めるものには与えなさい。」つまり、「人があなた方にして欲しいと思う事は全て、あなた方が、先に実践氏なさい。」(12節)まさに、主イエス・キリストが私達にして下さるのと同じように、隣人の欲する事に真面目に応えてあげなさい。代償をとってはなりません。と言って居られます。これこそ律法中の律法、真実の正義であり、他に求めるのではなく、他に与えるのです。そのことをイエスは強調し、イエスは宣教の生涯を通して実践されました。キング牧師は、敵を愛しなさいと口癖のように言っていましたが。彼もまた、キリストに似って、人がして欲しい事を確実に実践した一人です。自分がして欲しいことを他人にしてあげる事は主が常に求めて居られる事です。イエスは、その信仰を持って生涯を生き抜くことを求めて居られるのではないでしょうか。