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「霊の戦い」

2020年5月31日 第5主日礼拝 

説教題:「霊の戦い」

聖書:新約聖書 使徒言行録 2章1〜11節(214㌻~)、

        エフェソの信徒への手紙 6章10~20節(359㌻~)

説教者:伊豆 聖牧師

聖霊降臨日おめでとうございます。この日はペンテコステとも呼ばれております。ペンテコステとは元々は「五十番目の」という意味なのですが、主イェスが復活されてから五十日目に聖霊降臨を祝うということでこの日がこの名前で呼ばれております。そして、この日は教会の誕生日であり、クリスマス、イースターと同じ様に教会がお祝いする大切な日であります。

さて、本日の最初の聖書箇所はこのペンテコステの事について書かれているのですが、不思議な記述です。「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2:2-4)とあります。奇跡の話なのです。聖書には多くの奇跡の物語がありますし、主イェスがこの地上で宣教なさっていた時にも多くの奇跡を行われました。

奇跡は神の力です。そして、この力には意味があります。例えば、本日の聖書箇所ではないのですが、ペテロは聖霊に満たされ他の国々の言葉で話しだしたことを預言者ヨエルの言葉を引用して説明し、一部の人達が馬鹿にして、「彼らは酒に酔っている」言葉を否定します。(使徒言行録2:14-21)

私は先程、本日は教会の誕生日だと言いました。それでは、この一連の出来事は教会の誕生にどういう意味を持つのでしょうか?

まず、教会の一致です。

「一同が一つになって集まっていると」(使徒言行録2:1)「一同は聖霊に満たされ、」(使徒言行録2:4)

つまり、聖霊を受けるためには教会の一致がなければいけないということです。

次に聖霊です。

4節には「聖霊に満たされ」と書かれているのですが、2節には「激しい風が吹いてくる」とも書かれています。つまり、神から来る風による聖霊がなければいけないということです。風のようなものは神の息であるとも言えます。ヨハネによる福音書20:22では復活された主イェスが弟子たちの前に現れ、このような事をします。「彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」」また、神の息は命の源です。神が最初の人であるアダムをこの様に作られました。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:7)

教会もまた人と同じです。もし、主イェスの息、神の息である聖霊がなければそれは死んでいるのと同じことではないでしょうか?

最後に教会の誕生にとって重要なこととして言葉が挙げられます。

「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、」(使徒言行録2:3),

「“霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2:4)

言葉は重要です。神は言葉によって天地を創造されました。ヨハネによる福音書1:1-4にはこう書かれています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」この言こそ主イェスです。また、主イェスはこの地で伝道をしておられた時、宣教においても、奇跡においても彼の言葉でなされてきました。わたしたちの教会に彼の言葉は生きて働いているでしょうか?

教会の誕生には教会の一致、神の息、キリストの息による聖霊、そして神の言葉が関わっています。果たして、私達の教会にはそれらがあるでしょうか?

さて、本日の第2の聖書箇所に入っていきたいと思います。

一致、聖霊、神の言葉によって建てられた教会が誕生したのですが、その様に建てられた教会は何をすべきなのでしょうか?それが本日の聖書箇所です。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソ6:12)

私達には教会内そして教会外において様々な問題があります。しかし、それらの問題をただ単に一般の問題としてだけ私達は処理すべきではないのではないかと思うのです。目に見えることだけで判断してはいけないのではないかと思うのです。もちろん、私達は自分たちの周りで起こる様々なトラブルを社会常識、法律に照らし合わせて解決していきます。

コンプライアンス(法令遵守)と言った言葉もすでに社会に定着いたしました。これらの事はこれからの社会で必要なことであるのですが、パウロは目に見えることだけでは対処出来ないということをこの手紙で言っております。それは私達の周りで起こっている問題が目に見えないことにも関わっているからです。それが霊の戦いです。どうしたら良いのでしょうか?パウロは真理、正義、福音、信仰、神の言葉、神の霊(聖霊)をこの目に見えない戦いで私達が戦うための武器として挙げましたが、私達にこれらの武器は備わっているでしょうか?

主イェスが私達の罪の贖いを十字架の上で成し遂げられ、復活をし、天に上げられました。その後、聖霊が降臨し、初代教会が一致、聖霊、神の言葉によって誕生しました。しかし、私達はこれらの大切な事、遺産というべきものを受け継いでいるでしょうか?受け継いでいたとしても用いているでしょうか?私達はこの事を吟味する時に来ているのかも知れません。

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