「回復への約束」
2020年8月30日 8月第5主日礼拝
説教題:「回復への約束」
聖書:旧約聖書 エレミヤ書 32章6-15節(1238㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
南王国であるユダ王国の都であるエルサレムは当時、ネブカドレツァル王率いるバビロニア王国の軍隊に包囲されていました。バビロニア王国は周辺諸国を平定、支配する巨大な国家であり、それに比べれば、このユダヤ人国家のユダ王国は国家としては弱い存在でした。まさに、ユダ王国にとってこの状況は絶体絶命でした。
エレミヤはこのユダ王国の預言者でありましたが、牢屋に入れられていました。それは彼がこの国に対して都合の悪い預言をしたからです。彼はユダ王国の都であるエルサレムがバビロニア王国の軍隊に包囲されていた時、こう預言しました。「主はこう言われる。見よ、わたしはこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。ユダの王ゼデキヤはカルデア人の手から逃げることはできない。彼は必ずバビロンの王の手に渡され、王の前に引き出されて直接尋問される。ゼデキヤはバビロンへ連行され、わたしが彼を顧みるときまで、そこにとどめ置かれるであろう、と主は言われる。お前たちはカルデア人と戦っても、決して勝つことはできない。」(エレミヤ書32:3c-5)
これからバビロンの軍隊と戦おうとするゼデキヤ王、そして彼が率いる軍隊にとって、この預言者エレミヤの預言は都合が悪く、戦意をくじくものでした。その結果、ゼデキヤ王は預言者エレミヤを牢に幽閉したのです。
そのような時、主の言葉が預言者エレミヤにくだります。「見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです』と言うであろう。」本日の聖書箇所エレミヤ書32章7節です。そして、主の言葉通り、いとこのハナムエルが預言者エレミヤが捕らえられている牢屋に来て、主が告げられた言葉をエレミヤに告げました。ここで、わたしが着目するのは「親族として買い取り、所有する権利があるのです。」と言う言葉です。ユダヤの律法では、ある人が貧しくなり、土地を売らなければならなくなった場合、その親族が土地を買い戻す義務を負うとあります。
(レビ記25:23-28)ですので、いとこのハナムエルはエレミヤにこの話を持ってきたのだと思います。
預言者エレミヤはこの事が主の言葉によるのだと知っていたので、いとこの申し出を受け入れました。私が面白い と思うのは9節から13節に書かれている取引のことです。9節では「銀十七シェケルを量って支払った。」、10節では「わたしは、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った。」、11節、12節では「定められた慣習どおり、封印した購入証書と、封印されていない写しを取って、マフセヤの孫であり、ネリヤの子であるバルクにそれを手渡した。いとこのハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、獄舎にいたユダの人々全員がそれを見ていた。」とあります。このような古代にあって、さらにこのように、バビロニア王国の軍隊に包囲され、絶体絶命の状況にあっても、預言者エレミヤを含めこの取引に関わった人々はきちんと商取引を行なっている。改めて、この人々の凄さと言いますか、冷静さに驚いています。
しかし、一般的に言えば、そして、表面的に見れば、この取引は愚かしく思います。状況を見てください。今、エルサレムは敵であるバビロニア王国に包囲されている。ユダ王国はこれらに蹂躙され、建物は破壊され、土地は荒れ果てることは目に見えている。そんな中で土地を買うことがどれほど、馬鹿らしいことかは火を見るより明らかです。しかし、預言者エレミヤはこの契約をしました。何故でしょうか?一つには彼がハナムエルの親族であり、彼の土地を買い取る権利があったからでしょう。しかし、最大の理由は主がエレミヤにお命じになったからでしょう。主から出たことなのです。そして、エレミヤはこの事が一般的に見ればどれほど愚かな事であっても、お従いしたのです。
そして、この取引は主の取引の雛形になるのです。14、15節にこう書かれています。「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」
このエレミヤの取引はユダヤの律法に則って行なっています。その律法では土地を手放した人の買い戻す権利を奪ってはいけないということ、そして全ての土地は神の物であるということです。14節、15節の言葉はこの事を表しています。
例え、周りの状況が絶望的であっても、神には神のご計画があり、その計画は私たちが今ある状況で考える事を超えています。私たちはその事を考えなければいけません。皆さんは、多分、新会堂が建つとは思っていなかったかもしれません。建てばいいなと思ってはいたかもしれませんが。しかし、新会堂が建ち、近々、献堂式が執り行われます。素晴らしい事です。ですから、どのような状況であっても神のご計画を信じ歩んで行こうではありませんか。