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「昇天」

2021年5月16日 復活節第7主日 / 昇天後第1主日礼拝

説教題:「昇天」

聖書 : 新約聖書 ルカによる福音書24章44-53節(161-162㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 今年の主イエスの昇天日は先週5月13日木曜日となりますので、本日は主イエスの昇天後第一主日となります。このキリストの昇天という出来事はキリスト教において、クリスマス、受難節、灰の水曜日、イースター(復活日)、ペンテコステ(聖霊降臨日)と同じくらい重要な事なのですが、これらに比べるとあまり重要視されていないという印象を個人的に抱いています。ですが、この事はとても重要です。それは主イエスの地上での伝道が終わったということです。もちろん主イエスが地上に来られてから十字架の上で亡くなるまでを主イエスの地上での伝道と捉えられなくもありませんが、やはり、この地上での御教(みおしえ)と業(わざ)、十字架上での罪の贖いだけでなく死を打ち破り、天に昇られる事までを主イエスの地上での伝道とすべきだと思います。なぜなら、もし十字架上で亡くなられただけであったなら、主イエスについていった人々はどうなっていたでしょう。彼らは落胆し、散り散りになり、私達が今礼拝しているキリスト教そのものもなくなっていたことでしょう。事実彼の弟子達は主イエスが逮捕された時に主イエスを見捨て故郷に帰り、ユダヤ人達を恐れて家に隠れていたのですから。主イエスが復活され、彼らにお会いになられた時にすら、彼らは半信半疑でした。しかし、彼らが主イエスと言葉を交わし合い、食事を共にするようになり、ようやく彼らは主イエスが復活されたということをわかり始めたと思います。そして、主イエスが復活されたという事実は彼らを勇気づけました。弟子たちが勇気づけられたことは彼らがこの地上での伝道をしていく上で重要なことでした。彼らが復活された主イエスに会う前まで、いや会ってから主イエスの事を半信半疑で見ていた時には不安だったのです。何時、ユダヤ人たちに見つかり、逮捕され、十字架につけられ、彼らの師である主イエスと同じ様に十字架に付けられ、殺されるかもしれないという恐れでびくびくしていたのです。そんな中で彼らが伝道など出来るわけがないのです。ですが、復活された主イエスが彼らの前に現れたのです。さらに、その後主イエスは天に昇られました。天に昇られるということは主イエスが復活されたという事よりも重要です。主イエスが本来いるべき場所である天に昇られたということです。主イエスは元々神の御子であり、天から来られた方です。弟子たちもそういう考えでした。そして、主イエスが天に昇られるということはその事の証明でもあります。主イエスが天に昇られるのを見て、弟子たちはさらに勇気づけられ、喜びました。本日の聖書箇所であるルカによる福音書24章52節から53節を見てみますと弟子たちの喜びがおわかりになるかと思います。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」とあります。


 主イエスが天に昇られた事によって主イエスの地上での伝道がおわり、主イエスが栄光を受け、またそれによって彼の弟子たちが勇気づけられた事はこれまで話してきました。しかし、さらに主イエスが天に昇られたことによって良い事があります。それは主イエスが天において私達を弁護してくださる事です。私達キリスト者は主イエスが十字架の上で血を流され、私達の罪を贖ってくださったという信仰を通して、神の恵みによって救われました。そして私達が亡くなると、父なる神の前でこれまでこの地上でしてきたことに対する弁明をしなければいけません。しかし、私達のいかなる弁明よりも私達のためになされる主イエスの弁明が勝っているのです。そして、主イエスが私達を弁護なさる理由は私達の主イエスを信じる信仰と神の恵みです。いわば、私達の信仰と神の恵みによって私達は主イエスに属する者であるという印を与えられ、主イエスは私達を弁護なさるのであり、私達の弁護のために天に昇られたということを私達は忘れてはいけません。主イエスが私達の罪を贖う偉大な大祭司であり仲保者であるということはヘブライ人への手紙4章14節から16節そして9章の15節に書かれています。


 さらに、主イエスは天において私達の場所を作ると約束なさいました。ヨハネによる福音書14章2節から3節にはこのように書かれています。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」ですから、私達は天の居場所を確保されているのです。私はこの前、教団の墓前礼拝へ出席するため小平霊園に行ってきました。コロナ禍でありましたが、いくつかの教会が納骨式をされたので、それなりの数の方々がお集まりでした。お墓も改築されて立派なものになっておりましたがそこに書かれている聖句はフィリピ信徒への手紙3章20節にある「わたしたちの本国は天にあります。」です。私達には天に帰る場所があるのです。その事を約束され、昇天されその約束を実行されたのは主イエスであるという確信を持とうではありませんか。


 そして、主イエスが昇天されることによって彼の弟子たちに聖霊が与えられるという約束を主イエスは彼らにされました。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」(ヨハネによる福音書14章16節から17節)


 このペンテコステ(聖霊降臨)は主イエスが復活され、この地上にとどまっている間は起こりませんでした。主イエスが天に昇られた後、起こったのです。だからこそ、主イエスは同じヨハネによる福音書16章7節で弟子たちにこう言われたのです。「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」主イエスが言われたとおり、昇天されてから、弁護者である聖霊を主イエスは送られました。そして弟子たちが聖霊を受けるために主イエスは彼らにこう命じたのです。本日の聖書箇所です。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」このペンテコステ(聖霊降臨日)こそ教会の誕生日と言うべきものであります。主イエスの弟子たち、そして都であるエルサレムにいた人々が聖霊を注がれ、力を受けました。そして弟子たちが伝道をし始めたのです。そして、主イエスの復活、昇天なしにはこのペンテコステは起こらなかったのです。


 主イエスは私達に地上における事と天における事を約束されました。地上にあっては聖霊によって私達は力づけられます。天にあって罪に定められることなく、住む場所が与えられます。私達はこれだけの物を約束されているのです。しかし、私達はこの地上を生きる上で不安があります。未だに新型コロナウィルスは収まりません。病床率も高く、緊急事態宣言や蔓延防止が出され、私達は生活に不自由を強いられると同時に、感染の恐怖に怯えています。確かに私達は現実に対処しなければならず、感染予防をし、適切な行動をしなければなりません。しかし同時にわたしたちは主イエスが弟子たちに約束され、与えられた物、そして私達に約束され、与えられた物を思わなければいけません。そして、主イエスの復活と昇天を思わなければいけません。それらは主イエスの十字架の上での死に直面し、不安に怯えていた弟子たちを勇気づけたのです。私達もまたそれらを思いつつ、生きていこうではありませんか。

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