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「どう生きるべきか」

2024年9月1日 聖霊降臨節第16主日

説教題:「どう生きるべきか」

聖書 : Ⅰペトロの手紙 2章11節-25節(430㌻)​​​​

説教者:伊豆 聖牧師


 旅というのは楽しいものです。仕事や日常生活を忘れてリフレッシュ出来ます。夏季休暇や年末年始でご旅行をする方々も大勢います。旅でリフレッシュ出来るということはもっともなことなのですが、自分の家が一番安心できるということも確かではないでしょうか?旅先から自分の家に帰ってきてほっと一安心出来るということを経験した方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 ペトロは「いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」とIペトロの手紙2章11節で書いています。ここでペトロが意味している旅というのは私達のこの地上での人生ということです。さらに私達の人生は仮住まいであるとも言っているのです。私達が一番安心できる場所、私達の本当の家とはどこかというと天なのです。

 本日の聖書箇所ではないのですが、パウロは「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」と言っています。(フィリピの信徒への手紙3章20節)新改訳2017という聖書では「しかし、私達の国籍は天にあります。」(ピリピ人への手紙3章20節)と書かれていて私個人としてはこちらのほうがしっくりくるのです。私達はこの一番安心できる場所、私達の家である天に続く私達の人生を生きるわけですが、どう生きたらいいかということをペトロはこの手紙で語っているのです。

 ペトロは「魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」と書かれています。なかなか厳しい、そして難しいことが書かれていますね。これはパウロがローマの信徒への手紙8章1節から17節で書いているところの霊と肉との戦いのことです。お時間がある時に読んで頂ければと思うのですが、その中の一つを取り上げます。「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。」(ローマの信徒への手紙8章6節から7節)

 ペトロはなぜ「魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」と書いたのでしょうか?当然のことながらパウロがローマの信徒への手紙で書いたようにそれが神が私たちに求めていることだからです。ですが更に言うならば、私達が「旅人であり、仮住まいの身なのですから」ということになります。先程もうしあげたように私達の故郷は天にあります。そこには何者も私達を傷つけることはありません。私達は安心できるのです。ですが、この地上での生活では様々な誘惑があり、霊的な戦いがあります。ですから注意して生活しなさいとペトロは私たちに呼びかけているのです。

 12節で「異教徒の間で立派に生活しなさい。」とペトロは言っています。どういうことかというと、当時キリスト者たちは多くの異教徒の人々に囲まれて生活していました。そして彼らとの生活習慣が違っているということもあり、変わった人々と見られてあらぬ噂を立てられ、度々迫害もされてきました。例えば聖餐式を人肉を食べる儀式であるという噂が立てられたり、奴隷も同じ信者として礼拝に出席するのが社会秩序に反すると言われたりです。そういう状況下であっても立派に正しい生活をしていました。やがてキリスト教は認められローマ帝国の国教にまでなりました。もちろんキリスト教が国教になり権力を持つことによる弊害もありました。ですが多くの人々に認められたということは素晴らしいことであります。これはひとえに当時のキリスト者たちが立派な生活をしたからではないかと思います。


 具体的に言いますと、当時自分が産んだ子供を捨てるということが普通に行われていたそうですが、キリスト者たちはそういうことをしなかったということです。不道徳な劇を見たり、残酷なサーカスの見世物に行くということもなかった。またキリスト者の間ではホームレスの人もいなかった。アレクサンドリアでペストが流行したときキリスト者たちが病人を宗派を超えて看病したという記録も残されているということです。これは何もローマ時代の話だけではありませんね。それ以降もキリスト教徒は宗派を超えて慈善事業を行ってきました。私たちナザレン教団の発祥もまたキリスト教のプロテスタントの複数の会派がアメリカのホームレス支援で集まり発足していったと聞いています。ですからキリスト者が慈善事業を含めて立派に生活をするというのは主の御心にかなうことであると考えています。


 聖書に戻ります。ペトロは13節から15節でこの世界の制度、規則、そしてそれを執行する役人、さらにはその上の統治者に従いなさいと言っていますね。多分現代を生きる私たちにとっては反対意見を言いたくなるかもしれませんね。もし悪い為政者だったり、役人がいたら、彼らの言うことに従わなくてはいけないんですか?確かに難しいことではあります。ですが制度、法律というものは人が生活をしていく上で必要なものであると私は考えます。それを全く無視して私達が行動することをしだしたらそこにあるのは混乱だけではないでしょうか?創世記の初めの場面を思い出して下さい。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」(創世記1章1節から3節)


 ここから主が天地を、そして人間を含む生き物を創造していきました。秩序を作っていったのです。もちろん、悪い制度とか法律というものは正されなければなりませんし、悪い役人も排除されなければならないと思いますが、混乱を主は望んでいらっしゃらないと思います。


 16節ではペトロは自由を語ります。この自由とは何でしょうか?自分の好き勝手やることでしょうか?どこかの政党の人たちのように言論の自由、発言の権利を主張し、人が発言しているにも関わらずその人をやじり、他人の聞く権利を奪うことでしょうか?インターネットの匿名性を利用し人を誹謗中傷することでしょうか?法律を悪用して自分の利益を得ることでしょうか?子供を自分の所有物として虐待することでしょうか?そうではないでしょう?ここでペトロが言っている自由とは罪からの自由です。私達は主イエスを受け入れました。主イエスが私達の罪を十字架で贖ってくださったということを信じたのです。だからこそその自由を取り違えたり、ペトロが言うように悪事を覆い隠すようなことはせず、神の僕として行動するのです。神の僕として行動するとはどういうことでしょうか?それはキリストに倣い、行動することです。           

主イエスはこのように仰いました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

(マタイによる福音書11章28節から30節)

 つまりは主イエスの軛を負うということです。神の僕として行動する、キリストに倣い、行動する、主イエスの軛を負うということを聞くと、なんだ全然自由と違うじゃないかと言われるかもしれません。ですが、これこそがペトロの言う自由なのです。キリスト者の自由なのです。キリスト者の自由を手にいれるためにはどうしたらいいか?それは礼拝に出席し、聖書を学び、祈りをし、なによりも聖霊に働いていただかなければいけません。そしてへりくだる心を持たなければなりません。それはペトロが17節で語っていることです。


 さて18節から25節にかけては聖書では「召し使いたちへの勧め」という小見出しで書かれていて、11節から17節の「神の僕として生きよ」という小見出しとは違っています。ですので内容も多少違っていますね。当時ローマでは奴隷制度が認められていました。それでその人々に対して「召し使いたち、」と呼びかけているわけです。さて18節の内容ですが、今を生きる私達の常識からするととんでもないことですね。そもそも奴隷制度というのは非人道的であり、ありえないこと、排除すべきことであるわけですから。さらに言うならば、「無慈悲な主人を心からおそれ敬って仕える」なんてひどすぎるじゃないかと思われるかもしれません。おそれながら仕えるようにはなるでしょう。ぶたれたり、傷つけられたくないから。ですが、敬って仕えるなんてできっこないじゃないかと思われるかもしれません。


 ですが、キリスト教には「仕えること」「奉仕をすること」という考えがあります。さらに言うならば自分が不利益なことをされたとしても相手のために祈るということを勧められています。なかなか出来ることではないのですが。ですがペトロは19節でそれが主の御心であるということを言っているのです。ローマ時代にキリスト者が迫害されたということを私は言いました。特筆すべきはキリスト者は迫害の時拷問され、投獄され、殺されているときでも相手を憎んだり、呪ったりしなかったということです。


 その御心を最初に体現したのが主イエス・キリストであるとペトロは21節から23節で言っています。さらに主イエスは十字架に掛けられる時、主イエスを迫害した人々のために執り成しの祈りまでなさいました。こうして主イエスの十字架の贖いのおかげで今の私達があるのです。25節でペトロはこう言っています。「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」          

さて私達はどう生きるべきでしょうか?

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