「アナニアとサフィラ」
2023年6月18日 聖霊降臨節第4主日
説教題:「アナニアとサフィラ」
聖書 : 新約聖書 使徒言行録 5章1節-11節(221㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
昨日私はアメリカで行われたナザレンの世界大会の通訳の御用を終えて無事に帰国することが出来ました。これも主の守りと皆さんのお祈りのおかげです。
感謝いたします。先週11日の日曜日、私は通訳の御用のためにアメリカにおりましたので、皆さんは牧師不在の礼拝をすることになってしまいました。ですが、その日は子どもの日、花の日礼拝でした。そして、本日は父の日礼拝ということです。ここまで6月を見てみますと、何か特別な礼拝が多いような気がします。もちろん、その中にはナザレンの世界大会もあるのですが。
さて、父の日礼拝ということですが、この父の日の始まりというのはやはり教会からなんですね。1909年にアメリカのワシントン州にあるスポケーンのソノラ・スマート・ドッドさんが、男手で自分を育ててくれた父への感謝をしたいと牧師にお願いして父の誕生月の6月に特別礼拝をしてもらったということです。
さて、本日の聖書箇所ですが、初代教会が主イエス・キリストを頭として心を一つにして、持ち物を共有して、共同体を作り上げ、生活を始めたということは先週の説教でお話したと思います。その続きです。その共同体の中にアナニアとサフィラという夫婦いたのです。ですが、彼らは他の信者のように誠実ではなかったということです。先週お話したように、信者たちは土地などを売り、その代金を使徒の前に置き、使徒たちはその代金を分配したので、その共同体は貧しい人がいなかったのです。ですが、アナニアとサフィラは所有している土地を売るまでは良かったのですが、その代金をごまかし、一部だけを使徒たちの所に持って行って、残りの部分を手元に残しておこうと画策したのです。
最初に夫のアナニアがペトロの所に来て、彼の足元に土地を売った代金の一部を置きました。そしてペトロはアナニアにこのように言いました。
「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
(使徒言行禄5章3節から4節)
そして、アナニアはペトロのこの言葉を聞くと倒れ、亡くなってしまいました。若者たちが来て彼を葬りました。
それから3時間程して、彼の妻サフィラがこの出来事を知らずにペトロがいる場所に入ってきたのでペトロはこのように質問しました。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」
(8節)
それに対して彼女は「はい、その値段です。」(8節)と言いました。
ペトロは彼女にもこのように言いました。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
(9節)
ペトロの言葉を聞くと、彼女もまたペトロの足もとに倒れて、亡くなりました。彼女は若者たちによってアナニアのそばに葬られました。
ずいぶん、怖い話です。ですが、アナニアとサフィラの何がいけなかったのでしょう。嘘をついたこと、しかも 人間だけでなく、神を欺いたこと、正確に言うと、欺こうとしたことですね。なぜなら、神は欺かれるような方ではありませんし、事実ペトロは彼らが代金をごまかしたことを知っていましたから。
もう少しアナニアとサフィラの行為を詳しく見ていきたいと思います。先程の繰り返しになってしまうかも知れませんが、初代教会では信者たちが持ち物を売りその代金を使徒たちに渡し、使徒たちはそのお金を分配しました。
そのせいで、この共同体には貧しい人がいなかったということです。
ですが、この事、つまり持ち物を全部売り、その代金を置くことは強制されていたことでしょうか?
ペトロがアナニアに言ったことをよく見てみましょう。
「売らないでおけば、あなたのものだったし、また売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。」4節です。
このペトロの発言を見てみると、その土地を売るも売らないも、信者たちの自由であるし、売らないとすればそれは信者たちの物だということです。売ったとしても必ずしも使徒たちに渡さなくてもいいということです。
ですから共有財産はあったのですが、すべての財産を共有させられてはいなかったということがこのペトロの発言から伺えます。ですから、アナニアはその土地を売らないことも出来たし、売りお金を置かなかったりしても良かったのです。また、今回の様に、すなわち代金の一部だけを置いても良かったのです。
先程も言ったように、問題は嘘をついたことです。土地を売り、売った代金を全部献げると約束したにも関わらず、それをしなかった。これがいけないのですね。
私達も自分が持っているものすべてを教会に献げなさいと言われたら、躊躇すると思います。ですが、神の前に嘘はいけないのです。
では、どうしてアナニアはこのような嘘を言ったのでしょうか?全部ではないが多くの人が土地などを売った代金を渡しているのに自分だけ渡さないのは恥ずかしい。自分が土地を売って大金を得たので自慢したい。だけれども
お金が惜しいから騙したのかもしれません。もしこのような思いでこのような行為を行ったとするならば、まず献金そのものが神に喜ばれないのではないでしょうか?人に流されて行った、自分を高ぶらせるために行ったからです。しかも最後はお金が惜しくなり、ごまかしたからです。
この後ペトロは妻のサフィラにも質問しました。ペトロは質問などせずに、すぐ妻のサフィラを罰してしまっても良かったはずです。ですが、すぐにそうはせずに、彼女に質問したのです。もしかするともし、彼女が正直に話していれば、彼女は助かったかも知れません。ですが、そうはならず、彼女もまた嘘をつき、罰せられました。
神は私達に自由を与えました。ですが、アナニアのように私達は様々なしがらみに縛られて神に逆らうことをします。これが罪です。しかし、サフィラのような罪人であっても悔い改めの機会が与えられています。しかし、その悔い改めの機会を自分でかなぐり捨ててはいけません。そうでないと取り返しのつかないことになってしまうからです。
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