top of page

「アベルに勝る主イエスの血潮」

2021年4月25日 復活節第4主日礼拝

説教題:「アベルに勝る主イエスの血潮」

聖書 : 旧約聖書 創世記4章10-12節(5-6㌻) 

   新約聖書 ルカによる福音書23章34節(158㌻)

        ヘブライ人への手紙11章4節(414㌻)、12章23-24節(418㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 カインとアベルの物語は極めて衝撃的な出来事だと思います。なぜなら、聖書の中で初めて殺人という行為が行われたからです。しかも、兄であるカインが弟アベルを手に掛けたということです。彼らの父母アダムとエバは蛇に従い、神に逆らい、楽園を追い出されました。これは人類が犯した最初の罪と神に与えられた罰でした。兄カインが弟アベルを手に掛ける行為は人類が犯した2番目の罪と言えます。なぜ、このような事が起こったのでしょうか?原因はカインがアベルに嫉妬したせいです。カインとアベルは主に献げ物を持って来たのですが、主がアベルの献げ物には目を留めましたが、カインの献げ物には目を留められませんでした。カインは怒りました。聖書にはこのように書かれています。「カインは激しく怒って顔を伏せた。」(創世記4章5節)主は怒っているカインに言いました。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(創世記4章6節から7節)


 兄弟もしくは姉妹は親や周りの人達から比べられる事があります。彼らは仕事、学業、スポーツ、社交性などで優劣を付けられる事があります。そしてその事が彼らの関係に悪い影響を与える可能性もあるのです。例えば、学業、スポーツにおいて優秀で社交性のある兄とそうでない弟がいるとします。両親や周りの人間の愛情はいつも優秀な兄に注がれ、そうでない弟は両親からも周りの人間からも無視され、冷たく扱われています。この兄弟の間にどんな感情が芽生えるのでしょうか?兄は弟に対して優越感を持つかもしれません。弟は兄に対して劣等感、嫉妬、そして怒りを持つかもしれません。さらに、弟は両親や周りの人間に対しても怒りを持つかもしれません。このように親や周りの人間が兄弟の片方を優遇することによって兄弟の間に感情的なわだかまりが芽生え、あまり想像はしたくないのですが、それが取り返しのつかないことに発展する事もあり得ます。


 主がなぜアベルの献げ物には目を留められ、カインの献げ物に目を留められなかったかは分かりませんが、主がなされたことには正当な理由があったのだと思います。もしかすると、カインには何か後ろ暗いことがあったのかもしれません。創世記4章5節で「カインは激しく怒って顔を伏せた。」とありますが、カインは怒ったから顔を伏せたのではなくて6節で「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。」と主が指摘しておられるように、カインには何かやましいことがあったのかもしれません。しかし、先程言ったように、人間というものは他人が優遇されるのは面白くないのです。まして、それが兄弟であるならなおさらです。それが嫉妬です。その前では神の正しさなんて関係ないのです。ただただ、主の愛を独占している弟が羨ましい、憎いのです。これが罪です。弟への憎さが頂点に達してしまい、カインは弟を殺してしまいます。主はカインにアベルの居場所を問います。創世記4章9節です。しかし、カインは神に「知りません。」と答えます。そして、彼は「わたしは弟の番人でしょうか。」と続けます。実の弟に手を掛けておきながら、ふてぶてしい態度と言わざるを得ません。しかし、このカインの答えにも弟に対する嫉妬が見えます。主は未だに自分より弟を気にかけているという嫉妬です。そして、主はカインが弟を手に掛けて殺した事を知っているとカインに告げます。


 本日の聖書箇所、創世記4章10節で主はその事をこのように表現しました。「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。」さらに、主はカインにこの事に対する罰を告げます。「今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」(11節から12節) 


 アダムとエバが主に罪を犯した時、主がアダムに言った言葉は「お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる 野の草を食べようとするお前に。」です。(創世記3章17節から18節)そしてアダムとエバは楽園を追われました。今回カインが受けた罰も似ています。しかし、今回は作物そのものが取れないという事そしてカインが地上のさすらい人になってしまった点が違うと思います。アダムとエバが主に逆らう罪を犯し罰として楽園を追われ、彼らの息子であるカインが弟のアベルを殺害するという更に重い罪を犯し、罰として地上のさすらい人になったという一連の罪の連鎖を見るにつけ、人類の罪深さを考えずにはいられません。主はカインに「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」と言われました。しかし、カインは罪を支配することは出来ませんでした。むしろカインは罪に支配されてしまったのです。彼は信仰の失格者となってしまったのです。


 さて、殺された弟のアベルはどうだったのでしょうか?彼は信仰の適格者として主に認められたのでしょうか?彼が主に献げ物を捧げた時、主は彼の献げ物に目を留められました。そして、彼は殺害された被害者でもあります。さらに、ヘブライ人への手紙11章4節にはこう書かれています。「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に捧げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」これらの事を考えると主はアベルを信仰の適格者と認められた事は明らかです。


 しかし、注目すべきはアベルの血です。創世記4章10節で主はカインにこう言われました。「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。」このアベルの血はなんと叫んでいるのでしょうか?ヘブライ人への手紙11章4節の中に「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」とありますが、アベルは何を語っているのでしょうか?聖書はその事をはっきりとは示していませんが、普通に考えれば、兄カインに対する恨みであり、復讐ではないでしょうか?確かにアベルは神に正しいと認められましたし、彼が兄カインに対して恨みや復讐心を抱くのは当然です。しかし、主イエスは十字架に掛けられた時どうだったでしょうか?ルカによる福音書23章34節を見てみましょう。「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』」主イエスは自分を殺そうとしている人の執り成しをしました。主イエスは私達の罪のため赦しのため十字架にお掛かりになられ、血を流され、亡くなられました。アベルの血がカインに対する恨みや復讐を叫んでいるのに対して、主イエスの血は私達の罪の赦しを叫んでいるのです。これがいかに恵み深いことであるかおわかりでしょうか?だからこそ、ヘブライ人への手紙12 章24節でこう言われるのです。「新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。」私達はこの敵の執り成しをもする主イエスを信頼して歩んでいこうではありませんか。

Comentários


Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
bottom of page