「エジプト脱出」
2024年12月29日 降誕節第1主日
説教題:「エジプト脱出」
聖書 : マタイによる福音書 2章13-15節(2㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
先週はクリスマス礼拝、そして本日は今年最後の主日礼拝ということですね。本当に1年というものがあっという間に過ぎてしまったという思いがあり、感慨深いものがあります。さて先週は主イエスの誕生で喜びということをお話しました。主イエスのご両親そして羊飼いはこの世的に見れば厳しい状況に置かれていましたが、主イエスの誕生は彼らにとって喜びとなったということでした。そして天使たちもまたその事を祝っていたということです。ですけれどもそんな喜びに満たされた状況の中でも危機的な状況、悲しい状況もあったということをお話したいと思います。
先週にも少しお話をしたのですが、本日の聖書箇所マタイによる福音書2章13節から15節の前の箇所です。2章1節から12節です。
占星術の学者たちが主イエスを拝むためエルサレムにやってきたということです。彼らはこのように言いました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2章2節)
まずこの占星術の学者たちとは何者であるかということです。東方ということからユダヤ教徒ではありません。ゾロアスター教に精通した学者であったと考えられます。つまりユダヤ教とは異なるゾロアスター教のかなり高位の人々が拝みに来たということです。これがどれほど凄いことかおわかりになりますか。主イエスはユダヤ人の王ではありますがそれを越えてすべ治める王であることを示しているのです。それだけでなく救いがユダヤ人だけでなく異邦人にまで及ぶということを示しているのです。この異邦人の救いに関しては旧約聖書で預言者イザヤがイザヤ書56章1節から8節で述べています。
また新約聖書では主イエスのご両親が主イエスと一緒に律法の規定どおりに来たことがありました。そのときに主が遣わすメシアに会うまで死ぬことはないというお告げを聖霊から受けていたシメオンという人物が幼子である主イエスを腕に抱いて預言をしました。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカによる福音書2章29節から32節)
注目するのは「万民のために整えてくださった救い、異邦人を照らす啓示の光」という言葉です。これらもまた異邦人の救いを示しています。そしてこの預言は実現します。それはペンテコステ以降、パウロなどキリストの弟子たちによって福音が世界中の異邦人に広まっていったということは使徒言行録や手紙などを見ればおわかりでしょう。そしてなによりも今私達がこうして礼拝をしているということこそがその証拠です。
さて今まで私は主イエスの誕生の良い面、喜び、期待、希望といった面を語ってきましたが、悪い面といいますか、負の側面を語ります。
主イエスの誕生はこのような喜ばしい事であるはずなのですが、それを喜ばず排除しようとしていた人々がいました。それがヘロデ王とエルサレムの人々でした。東方の占星術の学者たちがユダヤ人の王を拝みに来たということを聞いた時、ヘロデ王とエルサレムの人々はどう思ったのか。彼らは不安に思ったのです。喜びではなく不安です。
多分皆さんはヘロデ王という人物の事を知っていると思います。
とんでもなく残忍で後に娘に言われてバプテスマのヨハネの首を切り落とした人物であったということです。そんな人物であるから主イエスに敵対するのも当然だと思われるかもしれません。ですがここで注目するのは不安に思ったのはヘロデ王だけでないんですね。エルサレムの人々もまた同じく不安に思ったわけです。本来喜ばしいことであるはずなのに。これは何を意味するのでしょう。主イエスのこの地上でのご生涯を暗示されているのではないでしょうか。主イエスはこの地上で御言葉と御業によって神の国を宣べ伝えました。弟子たちも多くなり、人々は熱狂的に彼を支持しました。しかし人々は最終的に主イエスを捕らえ、十字架につけ、殺しました。つまり主イエスのご誕生の場面はこの事をすでに示していたということです。
この主イエスのご誕生の時点で具体的に主イエスを殺害しようとしたのはヘロデ王です。彼は祭司長たちや律法学者たちを集めてメシアがどこに生まれるかを聞き、ベツレヘムだとわかると主イエスを拝もうとやって来た占星術の学者たちにこのように言いました。
「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」(マタイによる福音書2章8節)
ですが当然ヘロデ王がこのように言ったのは主イエスを拝むためではなく殺すためでした。その事を主は知っていたので夢で彼らにヘロデの所へ帰るなと告げられたのです。
本日の聖書箇所はこのような主イエスの誕生がこのような危険な状況下で何とかそれを逃れることが出来たという場面です。思えば本来赤ちゃんがそのような危険な状況で生まれてくるなんてありえないと現代を生きる私達は思ってしまいます。私達は普通に考えると赤ちゃんは病院で医者と看護師のケアの下で生まれてくると思います。もちろんそれでも危険はあるのですが。ですが昔は医療はそれほど整ってはおらず、医療面での危険は今よりあったとは思います。ですが赤ちゃんが殺される危険があったというのはなかなか想像できません。ですがそれが主イエスのご誕生では存在していたということです。
ですが、エジプトに行きなさいという主の天使の夢でのお告げによって主イエスとその父母ヨセフとマリアは事なきを得ることが出来ました。そしてヘロデが死ぬまでそこにいたということです。事実もしエジプトに行かずベツレヘムに留まっていれば、主イエスは確実に殺されていた事でしょう。16節から18節でヘロデがベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、ひとり残らず殺させたのですから。
ここで大切なことは主は御計画にしたがって事をなしているということです。15節に「『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」と書かれています。
預言者ホセアを通して語られたことは「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」(ホセア書11章1節)です。ですがこのホセア書はこのように続くのです。「わたしが彼らを呼び出したのに 彼らはわたしから去って行き バアルに犠牲をささげ 偶像に香をたいた。」(ホセア書11章2節)
その後もホセア書では7節までイスラエルの民の背信を責めているのです。つまり主は預言者ホセアを通して最初の出エジプトの事を述べました。そしてその後に続くイスラエルの民の背信を責め続けています。
もしホセア書がこのように過去のことについて語っているのであればこの主イエスとその家族のエジプトへの逃避行が預言者ホセアの預言の成就などというのはおかしいじゃないかということになります。
もしホセア書が過去の事だけを語っているのであればです。ホセア書は8節から11節にかけて未来のイスラエルの救いについて述べています。ではそれと主イエスのエジプトへの逃避行さらにはエジプトから戻ってくることと何の関係があるのでしょうか。1度目の出エジプトで主はイスラエルの民を救われたが、民は主に逆らい偶像礼拝の罪に陥りました。ですが2度目の出エジプトで主イエス御自身がエジプトに行かれ、戻られました。そしてこの主イエス・キリストを信じることこそが救われるということです。主は御子主イエス・キリストを通じて2度目の出エジプトをしようとしたのです。2度目の出エジプトとは主イエスの十字架での尊い犠牲です。そして主イエスに私達の罪を贖っていただいたということを信じることです。
この事は主の御計画にあったことです。先程私は述べましたが、主がご誕生された時にヘロデ王、そして人々が不安に思い、ヘロデ王は主イエスを殺そうとしました。そして近隣の幼子を殺しました。これが罪です。そして主イエスを十字架に追いやって殺したのもこの時と同じ思い、不安、そして罪です。このように聖書は人々の罪を明らかにしました。これは羊飼いや占星術の学者たちが主をお迎えする喜びとは真逆のものです。ですが主はこの人々の悪意、罪すらも御計画に入れて私達を救われたのです。私達の想像を遥かに超える主の憐れみと恵みに感謝します。
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