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「エマオの道で」

2024年4月7日 復活節第2主日 

説教題:「エマオの道で」

聖書 : ルカによる福音書 24章13節-35節(160㌻)​​

説教者:伊豆 聖牧師


 先週はイースター礼拝ということで主イエスの墓が空であったことを話しました。その後主イエスが婦人たちや弟子達にお会いします。本日は二人の弟子にお会いする話です。二人の弟子がエルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村に向かって歩いていたということです。スタディオンとはバビロニア起源の単位ということです。そして古代ギリシャおよびローマで使われていた距離の単位です。一スタディオンが約百八十メートルですので、六十スタディオンは約10.8kmということになります。つまりエルサレムから約10.8km離れたエマオという村にこの二人の弟子は向かっていたということです。エマオというのはセム語で「温かい井戸」という意味の言葉でそれがギリシャ語・ラテン語に取り入れられたということです。エマオに向かっている一人の弟子はクレオパという人物でもう一人の弟子はわかりません。ですが彼らはエマオ出身であったと言われています。

 なぜ彼らはエマオに向かっていたのでしょうか?当然のことながら彼らの師匠である主イエスがユダヤ人たちに捕らえられ、裁判にかけられて、十字架に掛けられて殺されてしまったからです。つまり望みがなくなってしまったということです。ですからエルサレムに居てもしょうがないと思い、故郷に戻る途中であったということです。

もう一つの理由は彼らがユダヤ人達を恐れていたからです。自分たちもまた捕らえられて殺されると思ったからです。ペトロは三度主イエスを知らないと言いましたし、他の聖書箇所にも弟子達がユダヤ人たちを恐れて家に引きこもっていたということが書かれています。

 そのようなわけでクレオパともう一人の弟子はエマオに向かっていたわけです。しかし彼らは道すがら何かを論じあっていました。何をでしょうか?当然の事ながら彼らの師匠である主イエスの事です。もちろん、彼らの希望である主イエスは殺されてしまい、彼らは意気消沈をしていました。それだけでなくユダヤ人から殺されるかも知れないという恐れを抱いていたと考えられます。こういうことを考えれば、彼らが主イエスの事を話すのはおかしいとも考えられます。ですが、それでも彼らは弟子として主イエスの福音伝道に従ってきたのです。その中で主イエスの力強い御言葉と御業を見てきたのです。だからこそ主イエスの事を話さざるを得なかったのです。

 また彼らは婦人たちが主イエスの墓に行って天使たちに会って主イエスは復活したということを告げられたのです。だからこそ主イエスの事を話さざるを得なかったのです。当然彼らは死者が生き返ると言った荒唐無稽なことを容易に信じることは出来ませんでした。でしたので彼らは議論していたのです。

 その時ご復活された主イエスが彼らに近づき、彼らと一緒に歩きながら、声をおかけになられました。彼らはそれが主イエスであるとはわかりませんでした。なぜなら、彼らの目が遮られていたからです。

主イエスが何を論じあっているのかと問われると、彼らは19節の後半部分「ナザレのイエスのことです。」から24節までの事を答えました。特に議論になっていたのは主イエスがご復活なされたということであろうと思います。また主イエスがご復活されたということを女性たちが天使から聞かされたという話の詳細は本日の聖書箇所の前ルカによる福音書24章1節から11節に書かれています。しかし女性たちから聞かされていたが、弟子たちは信じてはいなかったのです。それは11節に書かれていますように「使徒たちは、この話がたわ事のように思われたので、婦人たちを信じなかった」ということです。そして22節から24節にかけても婦人たちが天使から主イエスがご復活なされたということを聞いたということ、主イエスの墓にご遺体がないことを述べていますが、弟子達が主イエスの復活を確信しているということを述べられていません。むしろ彼らはご遺体が誰かに取り去られたと考えたのではないでしょうか?

だからこそ主イエスはこのように言われたのです。

「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」

(25節から26節)

そして主イエスは彼らに聖書全体を語られご自身の復活の事をご説明されたのです。

ですが主イエスはなぜご自身を主イエスとして表されなかったのでしょうか?16節に「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」とあります。

なぜ主イエスは彼らの目を遮る必要があったのでしょうか?他の聖書箇所では主イエスであると弟子達がわかるようにお会いになられることもありました。

 おそらくですが、主イエスは彼らが主イエスであると見ないで、主イエスのご復活を信じるようになってほしいと思われたのではないでしょうか?最初弟子たちは婦人たちの話を聞いても主イエスのご復活を信じませんでした。その事を聞いて主イエスのご落胆はいかばかりだったでしょう。だから25節から26節のあのようなご発言になったのでしょう。ですが、主イエスは理解の遅い弟子たちに根気よくご説明されました。ここに主イエスのへりくだりがあります。つまり理解の遅い弟子たちのところに下りてきたのです。それは神である御子が父なる神の御元から私達の罪の贖いのためにこの地上に下りてこられたことに通じるのです。

そして主イエスの二人の弟子に対して御教は彼らの心を捉えたのです。だからこそ、彼らは主イエスが目指すエマオの先に行こうとするのを無理に引き止め一緒に泊まってほしいと頼んだのではないでしょうか?主イエスは最終的にご自身を彼らに表されました。それは彼らが一緒に食事をするときでした。もちろん、ご自身をお表しになられることは重要ですし、主イエスは何度もなされました。

 しかし重要なことはそれだけではないのです。彼らは32節でこのように言っています。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」この時はまだ彼らは主イエスを主イエスであるとわかりませんでした。主イエスはご自身が主イエスであると弟子たちにわからせずに彼らの心を燃え立たせたのです。絶望に満ち故郷に帰っている人間の心を再び燃え立たせたのです。彼らは故郷のエマオからエルサレムに戻りました。彼らをそのようにさせたのは主イエスなのです。エルサレムに戻るとここでも良き知らせがありました。11人の使徒と弟子達が集まって主がシモン・ペトロに現れたと言っているのです。彼らは婦人たちの話を信じませんでした。絶望が彼らを覆っていたのです。ですが、今は希望が満ちていました。もちろん、聖霊が降りるまでまだ時間はあります。ですが、弟子達の気持ちが折れないよう主イエスは何度も弟子達に現れます。ですが大切なことは見て信じることよりも見ないでも信じることです。そこに信仰があるのです。

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