top of page

「キリストの降誕」

2024年12月22日 アドベント第4主日 クリスマス

説教題:「キリストの降誕」

聖書 : ルカによる福音書 2章1-20節(102㌻)​​​​​

説教者:伊豆 聖牧師


 本日はクリスマス礼拝です。主イエス・キリストの御降誕を待っていましたがようやくこの時を喜びを持って迎えることが出来ました。感謝します。主イエスがお生まれになった状況は一般的に見ればあまりいいものとはいえません。その当時イスラエルはローマ帝国によって支配されていてシリア州に組み込まれていたということです。ローマ皇帝アウグストゥスはその領土の住民を登録せよという勅命を発し、シリア州の総督のキリニウスの下で最初の住民登録が行われたということです。そして主イエスの父のヨセフも母マリアを伴って自分たちが住んでいたガリラヤのナザレからベツレヘムへ行ったということです。皆さんもご承知のように彼らは王侯貴族でもなんでもありません。一般の住人、それも裕福でない人々でした。そしてこのナザレからベツレヘムに旅をしていたということです。旅といってもなにか優雅な旅行ではありません。当時の旅というのは彼らにとって大変な徒労であったということが想像されます。そのような中、ベツレヘムで主イエスはお生まれになったのです。しかも宿には彼らの滞在する所がなかったので馬屋で泊まり、そこでお生まれになったということです。あまりいい状況ではありませんね。この話は皆さんも何度か聞いているので聞き飽きたという方も多くいらっしゃると思いますが。


 ではなぜ私達の救い主イエスがこのような状況でお生まれになったのでしょう?もっと良い状況、例えば裕福な王侯貴族のような家庭でお生まれになってもいいじゃないか?と思われるでしょう。ここで大切なことはへりくだりだと思います。主イエスは神の位から降りてこられましたが、世の中でも比較的貧しい状況を経験されることによって、へりくだることを学ばれました。事実主の弟子たちの多くは社会的弱者であり、主がお気にかけられお交わりになられた人々も罪人や取税人といった人々でした。そして主イエスは十字架の死に至るまで父なる神に対して従順でした。


 さて次に羊飼いたちが羊の番を夜通ししていたということです。私は色々と仕事をしてきました。それなりに苦労をしてきましたが、夜勤ということはしたことがありません。ですから想像することしか出来ません。警備員、工事作業員、コンビニの夜勤といったところでしょうか。大変だと思います。なぜなら普段寝ている時間に働くわけですから。もっとも慣れてしまえばどうということはない。昼夜逆にするだけですよと言われるかもしれません。ですがこの当時というのは現代と違って何か保証があるわけでもありませんし、それに関する法律があるわけでもありません。その地方の夜は寒いのです。そういった中で外で仕事をするということがどれだけ大変なことか想像するに余りあると思います。この羊飼いという職業自体あまり社会的に人々から尊敬された人々がする仕事ではなかったということでもあります。


 しかしそんな彼らに主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたのです。そして主イエス・キリスト、救い主の誕生という素晴らしいメッセージを告げられたのです。それだけでなく天の大軍が加わり賛美がされました。

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

(ルカによる福音書2章14節)              

この天使のお告げ、主の栄光、天の大軍による賛美とこの羊飼いというのはギャップがありすぎるように見えます。先程の救い主イエス・キリストの誕生と主イエスのご両親を取り巻く状態のギャップと同じくらいのギャップです。なぜ天使はそして天の大軍はユダヤの王侯貴族ではなくやはり社会的弱者である羊飼いに現れたのでしょう?これもまた社会的弱者を大切にするという主の御心ではないでしょうか?


 さらに素晴らしいのは羊飼いたちの反応です。彼らは天使が言われたことを信じて主イエスを探すために出立したのです。彼らはこうも考えられました。今見たことは幻だからこのまま仕事を続けよう。ですが彼らは出立したのです。「『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。」とルカによる福音書2章15節にあります。そして16節には「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」とあります。この15節と16節からこの羊飼いたちの何を私達は感じ取れるでしょうか?それは喜びです。彼らは一晩中寒い中羊の番をしていて疲れていたことでしょう。疲れていたなんてものじゃありません。疲れ切っていたことでしょう。ですがそんな彼らを突き動かしたものは天使のお告げ、主の栄光、天の賛美によってもたらされた喜びです。そしてひと目救い主に会いたい、そして天使が話してくれたことを告げたいという思いでした。本日の聖書箇所ではないのですが、同じ思いを抱いたのが占星術の博士たちでした。彼らもまた救い主、主イエス・キリストを拝みに東方から来ました。マタイによる福音書2章1節から12節に書かれています。


 さてキリストの御誕生に対して羊飼いたち、占星術の博士たちとは別の思いを抱いた人々もいます。ヘロデ王とエルサレムの人々です。彼らは占星術の博士たちがユダヤ人の王、救い主を拝みに来たと聞いて不安に思いました。羊飼いたちそして占星術の博士たちの喜びではなく不安です。そしてヘロデは主イエスを殺そうとしましたが、それは叶わず、代わりに彼はそのあたり一帯の2歳以下の男子を殺しました。つまり主イエスを排除しようとしたのです。ここに罪があります。私達は主イエスの誕生に喜びを覚えますか?それとも不安でしょうか?


 本日の聖書箇所に戻ります。ルカによる福音書2章18節から20節です。ここではそれぞれの人々の反応が見えますね。羊飼いたちが主イエスを探し当て、その周りの人々に天使が話してくれたことを語ったのにその人々は不思議に思ったということが18節に書かれています。つまり周りの人間はそのような非現実的な事を聞いてもよく分からないということです。しかし母マリアはその事を受け止め思い巡らせていたと19節にあります。なぜ彼女はそのような事ができたのでしょうか?それは彼女はもうすでに天使の御告げを受けて主イエスの誕生を知っていたからです。そればかりでなく、彼女の親戚でバプテスマのヨハネの母エリサベトを訪ね、そこで賛美を捧げたこともあります。これはルカによる福音書1章26節から56節に書かれています。であるならばこの羊飼いたちが言っていることもあり得ると考えられると思うのです。羊飼いたちは2章20節で賛美しながら帰って行ったと書かれています。私達は主イエスのご誕生に対してどのような思いを持ったら良いでしょう。それは喜びです。大いに喜ぶことです。そして主の御心がよくわからなくてもいいからそれを心にとめることです。

 

Comentarios


Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic

Copyright © 2025 浦和キリスト教会 All Rights Reserved.

このホームページサイトで使用しております聖書は全て、財団法人「日本聖書協会」発行の『聖書 新共同訳聖書』より引用させていただいております。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会(c)、 日本聖書協会 東京 1987,1988

bottom of page