「ハンナの祈り」
2024年5月12日 復活節第7主日 母の日
説教題:「ハンナの祈り」
聖書 : サムエル記上 1章9節-20節(428㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
本日は母の日です。母に感謝する日ということですね。アメリカにアン・ジャービスという女性がいました。彼女は牧師と結婚しておりましたが、1858年に母の日仕事クラブを結成して病人のために募金を募ったり、病気の予防のための食品の検査などをされていました。南北戦争の時代にはどちらにもつかず、母の友情の日というものを企画し、その企画で南北双方の兵士や地域の人々を招き、南北双方の人々が敵対するのを止めさせようとしました。彼女は奴隷制度の廃止、女性労働者の環境の改善、子供の保護、公衆衛生といった社会活動に貢献した人物でした。彼女は1905年5月9日になくなるのですが、そんな母に感謝して娘アンナ・ジャービスが教会で白いカーネーションを配ったのが母の日の始まりと言われています。その習慣が拡大していき1914年、当時のアメリカ大統領ウィルソンがアンナの母が亡くなった5月の第2日曜日を母の日として国民の祝日としたということです。それが日本に伝わったということです。
確かに娘アンナが母に育ててくれてありがとうという感謝の意味でカーネーションを贈ったという意味あいが母の日にはあったと思います。ですが、母の日はそれだけではないのですね。戦争の反対、奴隷制度の廃止、女性労働者の環境の改善、子供の保護、公衆衛生といった社会正義の促進といった意味合いもあったということです。さていまだに世界を見渡せば、ウクライナとロシアの戦争、ハマスとイスラエルの戦争は続いています。悲しいことではありますが。
さて聖書の話にはいっていきたいと思います。ハンナという女性がおりました。この女性はイスラエルのエフライム人のエルカナという男性と結婚していました。このエルカナにはもう一人ペニナという妻がいました。このペニナには子供がいましたが、ハンナには子供がいませんでした。彼らは毎年自分たちの町エフライム人のラマタイム・ツォフィムから主を礼拝し、いけにえをささげるために、主の祭壇があり、主に仕えていた祭司たちがいるシロという町に行っていた。そこでいけにえをささげる日に彼らすなわち、エルカナと妻ペニナと娘たちとハンナは食事をするのが通例となっていました。
ですが、ハンナは子供がいないということでペニナにいじめられていたということです。シロに行くということは礼拝をするということです。その後で家族の交わりをするということです。礼拝とその後の交わりというのは喜びのはずなのですがハンナにとっては悲しみだったということです。本日の聖書箇所の前、サムエル記上1章7節にはこのように書かれています。「毎年このようにして、ハンナが主の家に上るたびに、彼女はペニナのことで苦しんだ。今度もハンナは泣いて、何も食べようとしなかった。」彼女の夫のエルカナは彼女を慰めるのですが、彼女の悲しみは癒えません。
そういう状況の中で本日の聖書箇所に入っていくわけです。悲しみに沈んだ彼女は一念発起してある行動をするのです。食事の時が終わってからハンナは立ち上がって主に祈りました。そして泣きました。彼女の祈りをお聞き下さい。
「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」
(サムエル記上1章11節)
彼女は正直に彼女の苦難を主の前に捧げました。それは「苦しみを御覧ください。」「御心を留め、忘れることなく、」といった彼女の言葉に現れています。これは主が喜ばれることです。
さらに重要なことは「その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」という言葉です。
「その子の一生を主におささげし、」というのはその生まれてくる子を主の宮に預けるということです。そしてその子は将来、主の宮で主に仕えるべく訓練を受けるということです。現代で言うならばどうでしょう、牧師になるために神学校に行くというところでしょうか?神学校に行く場合は神と本人との関係が重要になってきます。本人が確かに神から召されたという召命の証を持っていなければなりません。私もナザレン神学校に入学するために、もっと言うならばその前のアメリカの神学校に入学するためにこの召命の証を書かなければなりませんでした。
ですが、ハンナがここでやがて生まれてくるであろう息子を主に捧げると言った時はその息子本人の召命の証ではないのです。その息子の母であるハンナの証です。ですが、それでも主は受け止めるのです。それはやがて彼女の息子としてサムエルが生まれてくるということで明らかです。
そして「あたまにかみそりを当てません」という言葉です。
主に捧げられた人はナジル人と呼ばれていました。民数記6章1節から21節にナジル人としての規定が書かれていますが、その5節にこのように書かれています。「ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。」
士師記13章から16章にかけて怪力のサムソンの事が書かれていますね。彼の怪力の秘密は彼のその髪にあったのです。彼もまたナジル人で彼の髪にかみそりを当てなかったのです。ですが、その秘密をバラしてしまい、敵に捕まってしまいました。
ハンナもまた彼女のやがて生まれてくるであろう息子をナジル人として主に捧げると主に祈りました。これは大きな決断です。確かに彼女は息子が欲しかった。彼女は子供がいないということで虐められていたので、そのような状況から解放されたいということもあったのでしょう。見返してやりたいということもあったのでしょう。単純に子供がほしいということもあったのでしょう。しかしそれは言葉は悪いかもしれませんが、彼女と子供との間の生活を手放すということでもあります。もちろん、子供を主に捧げ、その子供が主に仕えるということはある意味素晴らしいことではありますが。それなりの葛藤があってもしょうがないと思うのです。ですが彼女は潔いくらいきっぱりと少なくともこの11節の文面では自分の子供を主に捧げると言いました。ここに彼女の信仰が現れています。
彼女の祈りが長いために祭司エリは彼女が酒に酔っているのだと誤解しました。そして彼女を注意したところ、彼女はそうではないということをエリに言いました。15節から16節の彼女の言葉に注目します。「わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎだしておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」
彼女は自分の心の苦しみを正直に打ち明けています。それは
「わたしは深い悩みを持った女です。」
「ただ、主の御前に心からの願いを注ぎだしておりました。」
「今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」
という言葉からもうかがい知る事ができます。さらに
「ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。」
という彼女の言葉は祭司エリの彼女が酔っているという考えを否定するだけでなく、彼女自身も主に捧げられた人である事を示しています。なぜなら、ぶどう酒と濃い酒もナジル人は飲んではいけないのです。素晴らしい祈りだと私は思います。それがわかったからこそ祭司エリも彼女にこのように言ったのだと思います。「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」(サムエル記上1:17)
そして彼女もまたこのように言いました。「はしためがご厚意を得ますように」と(サムエル記上1:18)
そして同じ18節ですが、彼女の行動と表情に注目します。
「それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。」
彼女の家族は食事をしたが、彼女は食事をしていなかった。なぜなら、彼女は深い悲しみにあったからです。そこで彼女は決断をしてあの素晴らしい祈りをし、祭司エリに対してもあのような素晴らしい受け答えをしました。それはひとえに彼女の心が主に向かって真っ直ぐであり、信仰に満ち溢れていたからです。その後食事をしていなかった彼女は食事をして、彼女の暗く沈んだ表情は明るく素晴らしいものに変わりました。力ある祈りは祈る当人をも変えるのです。そんな力ある、素晴らしい彼女の祈りを主はお聞きになられ、主は彼女の祈り通り彼女に子供を授けられました。それがサムエルです。やがて彼女は彼女の言葉どおりにサムエルを主に捧げます。彼女の祈りは主に何も包み隠さず正直な祈りでした。このような祈りが本人をも変え、主に聞かれる祈りであるのだと思います。
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