「パウロの証」
2024年7月7日 聖霊降臨節第8主日
説教題:「パウロの証」
聖書 : 使徒言行録 24章10節-21節(262㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
キリストを信じることは苦難を伴うということは以前の説教で何回か申し上げたと思います。今現在で言えば、人から変に思われるのではないかとか、そのせいで今までの友人との人間関係にひびがはいるのではないかといったものです。やはり私達は人間関係が良好であることを願っていますし、特に日本人はまわりにどう思われるかということを気にする傾向にあると思います。もっとも最近自分達の行動を何でもかんでも、つまり犯罪的行為、迷惑行為をインターネットに流すような人々が多くいますのでその限りではないかもしれませんが。ですが、このような人々も彼らなりの考え方で周りの人々の反応を気にしているのかもしれません。つまりそのような犯罪的行為、迷惑行為を行い、それをインターネットに流せば、人々はその刺激的内容を見たさに自分が流した動画を見るだろうという考え方です。
話が少し脱線しましたので元に戻します。私達、今を生きる日本人は先程あげたような人にどう思われるかという障害はあるのですが、キリスト教に反対している国々に住んでいる人々に比べるとキリスト教を信じやすい環境にいるのではないかということです。
ですが、キリスト教初期の時代にはそうではありませんでした。多くの迫害があり、殉教の死を遂げた人々が大勢いたのです。
かつて日本でもそういう時代があったのです。例えば江戸時代はキリスト教は禁止されていましたので、キリスト教徒は迫害され、殺されました。また第2次世界大戦中も多くの日本のキリスト教徒は迫害され、牧師が投獄されたりもしました。
さて本日の聖書箇所ですがパウロが訴えられている場面です。どういうことでしょうか?先程申し上げたように、キリスト教初期の時代、キリスト教徒は迫害されたり、裁判にかけられたり、投獄されたりとひどい目にあってきました。以前お話したと思いますが、ペンテコステ後にペトロが聖霊の力を得て力強い証をし、奇跡を行ったということをご存知かと思います。ペトロが足の不自由な人を癒やし、説教をした時、何が起こったでしょうか?彼と一緒にいたヨハネは神殿守衛長、サドカイ派の人々に捕らえられ、牢に入れられました。その後に二人は議会に引き出され、議員、長老、律法学者たちが彼らを尋問しました。しかしペトロは聖霊によって証をしました。この事の経緯は長いのですが、使徒言行録3章1節から4章21節に書かれています。
またステファノという弟子が聖霊によって数々の力ある業を行い、また聖霊と知恵によってユダヤ人たちと議論をしたのですが、彼らはステファノに太刀打ちできませんでした。ですので、彼らは人々を扇動し、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を聞いた」と言わせたのです。結果としてステファノは捕らえられ、最高法院で裁判にかけられました。つまり偽証人をたてて、ステファノを裁判にかけたのです。ステファノは裁判で堂々と証をしましたが、殺されてしまいました。人々は自分達の悪をステファノに指摘され、怒り狂い彼を殺したのです。ステファノは最初の殉教者となりました。これらの経緯は長いのですが、使徒言行録6章8節から7章60節に書かれています。お時間がある時に読んでいただければ幸いです。そのほかに初期のキリスト教の時代に多くのキリスト教徒に対する迫害があり、それらの記述が聖書にあるのですが、今回はここまで留めておいて、パウロの話に戻りたいと思います。パウロがなぜこのように訴えられているのかということです。それは今回の聖書箇所の前に遡ります。パウロは聖霊に促されエルサレムに来ました。エルサレムに来る前から聖霊によって投獄と苦難が待っているということをパウロは聞いていました。彼はエルサレムに着くとヤコブや長老たちに会い、彼のこれまでの伝道の経緯の説明をしました。その後、彼はエルサレムの神殿の境内に来たのですが、アジア州から来たユダヤ人達がパウロを見つけ、民と律法と神殿を無視することを教えていると言い、さらにはギリシャ人を境内に連れ込んでこの聖所を汚している(エフェソ出身のトロフィモを前に都で見たので彼らはそう思ったのですが実際には違う)と言いました。結果民衆はパウロを捕らえ、暴行を加えて、殺そうとしたのですが、ローマの千人隊長が百人隊長と兵士たちを率いてその混乱を収めたということです。
その後千人隊長は事情をはっきりさせるために群衆に聞いたのですが、あれやこれや言っていてらちが明かなかったということです。その後パウロが千人隊長に話しかけ、民衆に彼が話しかける機会を与えるよう願い出て、彼は民衆、ユダヤ人たちにヘブライ語で話をし始めたのです。彼は主イエスに出会う前の自分が何者であったのか、そしてダマスコで主イエスと出会いいかに変えられたのか、自分が異邦人への宣教のために召されたことを証ししました。その後千人隊長はパウロがローマ市民であるので粗雑に扱うことはできず、またなぜ彼がこのように人々に酷い扱いをうけているのかということを知りたくもあり、祭司長たちと最高法院を招集し、パウロを取り調べることにしました。最高法院では一部がファリサイ派であり、その他がサドカイ派であったためパウロが機転を利かせました。彼は「私はファリサイ派であり、死者が復活する」と主張し、ファリサイ派の好意を得ました。なぜなら、ファリサイ派は死者の復活はあると主張しており、サドカイ派はないとしていたからです。そして最高法院は分裂し、パウロが暗殺される危険もあったので、千人隊長は事情を説明する手紙と共にパウロをローマの総督のフェリクスに送ったということです。フェリクスはカイサリアに住んでいました。そして手紙を読んだフェリクスはパウロをヘロデの官邸に留めるよう命じたということです。エルサレムにいればパウロが殺されていた可能性が高かったので、一旦は彼の命は助かったということでしょうか。
ですが、ここからまだパウロの戦いは続くのです。パウロが総督フェリクスの住むカイサリアのヘロデの官邸に着いてから5日の後大祭司アナニア、長老数名、そして弁護士のテルティロが総督の元に来てパウロを訴え出たということです。彼らの主張はこうです。「このパウロという男は疫病神のような人間でユダヤ人の間で分裂を起こし、「ナザレ人の分派」の首謀者で、神殿さえも汚したので逮捕しました。ぜひともフェリクス閣下がお調べくだされば私どもの主張が正しいことがおわかりになるでしょう。」ということです。一緒に来たほかのユダヤ人たちも同意したということです。
確かにその当時彼らから見れば「キリスト・イエスを信じるキリスト教」はユダヤ教の中の分派であり、その分派によってそれまで彼らが信じてきたユダヤ教が分裂を起こすようになってしまうことは事実です。しかしパウロが暴動を引き起こしたのでしょうか?むしろ暴動をし、暴力を用いて、殺そうとしたのは誰でしょうか?そして神殿の境内にギリシャ人を連れてきて神殿を汚したと虚偽の証言をしたのは誰でしょうか?彼らではないでしょうか?
この不当なユダヤ人の告発に対するパウロの反論が今日の聖書箇所です。パウロは理路整然と弁明しています。
「神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。」(使徒言行録24章12節から13節)
つまり彼らは証拠もないのに勝手に罪をでっちあげ、パウロを暴行し、殺そうとしたのです。
パウロはさらに続けます。「私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。」(使徒言行録24章18節から20節)
ユダヤ人たちがパウロをいやキリスト教徒たちを迫害し、殺そうとした理由は何でしょうか?自分達の支配を脅かすからではないでしょうか?だからこそ迫害し、殺したのです。主イエス・キリストの裁判を思い出してください。主イエスを訴えるために様々な人々が出てきましたが、どれも間違いでした。主イエスの罪状は何でしたか?ユダヤ人の王でした。それが罪状になるでしょうか?ペトロとヨハネを捕らえた理由はなんだったのでしょうか?ユダヤ人たちの言う分派を広めたからです。彼らの権威を脅かすからです。
ステファノを虚偽の証言、偽証によって裁判にかけ、殺した理由は何だったのでしょうか?これもまた自分たちのユダヤ教に反対するキリスト教を伝道し、自分達がそれに反論できなかったから、そして旧約聖書において自分達が神に逆らい、また主イエス・キリストを殺したことを指摘されたからです。パウロを殺そうとした理由もまたキリスト教を伝道し、自分達の権威を脅かすからです。皮肉なことにパウロは以前はサウロと言い、回心の前は彼らユダヤ人の側にいて、キリスト教を迫害する側にいたのです。ステファノが殺害されたときは彼はそれを支持していました。
ですが神はこのサウロを回心させて異邦人に対する伝道の器とされました。素晴らしいことです。そして彼はこの裁判においても彼の証をしていくのです。もうすでにエルサレムで彼は証をしました。
(使徒言行録22章3節から21節)
またフェリクスの前でも証をしました。「しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。」
(使徒言行録24章14節から15節)
彼は後にアグリッパ王の前でも証をし、最終的にローマ皇帝に訴え出てローマに行くこととなります。彼は知恵と聖霊に満ちて証をしていきました。私はペトロとヨハネが裁判にかけられたこととステファノが裁判にかけられたことをお話しました。その時ペトロは聖霊に導かれた素晴らしい証をいたしました。(使徒言行録4章8節から12節、19節から20節)またステファノも聖霊に導かれた素晴らしい証をしました。(使徒言行録7章2節から53節)そしてパウロもまた聖霊に導かれた素晴らしい証をしたのです。
このような厳しい時代、つまりちょっとしたことで人が簡単に死んでしまう時代ではないでしょうが、今を生きる私達にも証をしなければいけない時が来ると思います。証ではないかもしれませんが、この世の生き方に習うのかそれとも主に従う生き方に習うのかという決断に迫られる場面が来ると思います。
主に従う生き方ができるよう聖霊に導いてもらわなければなりません。そのように祈ります。
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