「主の変容」
- urawa-church
- 2023年3月26日
- 読了時間: 6分
2023年3月19日 受難節第4主日
説教題:「主の変容」
聖書 : 新約聖書 ルカによる福音書 9章28節-36節(123㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
皆さんがお祈りする場所というのはどんな場所でしょうか?教会の会堂で祈ることは当然ですし、今日も司式者や祈祷する方が祈られていました。これから献金を担当する方も祈られます。また本教会では第二と第四の月二回祈祷会を行っていますが、私が開会祈祷と閉会祈祷を祈りますし、閉会祈祷の前に祈祷課題を挙げていただいて、参加されている方々に祈ってもらうことになっています。このような公の場での祈りというものは大切なのですが、それと同時に独り静かに祈りの時を持つということは必要なことではないでしょうか?主イエスご自身もそのような時を持たれていました。私も朝、聖書日課にある聖書箇所を読み、祈りをします。英語で言えばデボーションというのですが、そうすると心が整えられますのでおすすめします。
さて、本日の聖書箇所は主イエスがペトロ、ヨハネ、ヤコブをお連れになられ、祈るために山に登られたところから始まります。主イエスお一人ではなかったのですが、山という都会の喧騒を離れた自然の場所でお祈りをするということで主イエスはデボーションをし、心を整えられる目的であったと考えられるのです。
ですけれども主イエスはそれ以上の事を考えられていたのかもしれないとも思えるのです。その理由の一つはペトロ、ヨハネ、そしてヤコブという三人の限られた弟子たちをお連れになられたということです。つまり何か三人にだけ特別に見せるもしくは聞かせるためにお連れになられたのではないかということです。主イエスが群衆に説教をされた時、喩(たと)えを用いられたことはご存知かと思います。ですが、弟子たちにはその解き明かしをされていました。つまり群衆と弟子たちとの間で区別がされていたということです。主イエスご自身がその理由についてお答えされています。
「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。」
この区別というのは群衆と弟子たちとの間でだけでなく、弟子たちの間でも行われていたのではないかと思うのです。ですから主イエスはペトロ、ヨハネ、そしてヤコブという三人だけを連れて行ったのではないかと考えられます。
そして連れて行った場所が山というのも何かが起こるということを期待させるのです。旧約聖書の出エジプト記でモーセが主なる神から十戒を受け取った場所はシナイ山、ホレブ山とも呼ばれるのですが、山なのです。そして預言者エリヤがバアルの預言者450人と対決し、主の奇跡によって打ち勝ちますが、その場所はカルメリ山です。
その後エリヤはイゼベルに命を狙われ、逃げるのですが、彼が向かった先はホレブ山です。そして彼はそこで神と 出会い、勇気づけられます。つまり山という場は神との出会いと関係が深いのです。
ですから、主イエスがこの限られた弟子たちを従え、山に登られたということの意味は神との出会いがある、奇跡が起こる可能性があると思わせるのです。
ルカによる福音書9章29節から31節には実際にその奇跡について書かれています。
「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」
「服は真っ白に輝いた。」とありますが、これは神の聖さを表しています。そしてモーセとエリヤは両名とも神から 選ばれた人たちであり、その二人が栄光に包まれて現れ、主イエスと語り合ったということです。これらの事を考えると奇跡であるということです。さらにモーセは律法を表し、エリヤは預言者を表しています。つまり、主イエスは律法と預言者の完成者であるということを意味します。
この事によって主イエスが神の御子であるというペトロの証がその証をしたペトロの目の前で証明されたのです。
モーセとエリヤが主イエスと話をしていたということですが、それは「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」ということです。
これはこの前の説教で主イエスが弟子たちに話された「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」の事です。(ルカによる福音書9章22節)
33節で興奮したペトロが主イエス、モーセ、エリヤのために仮小屋を作りましょうと提案するのですが、それを遮るように父なる神が雲として現れました。そして「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が聞こえたという事が35節に書かれています。
この雲ですが、これは神を表すときに使われる表現です。例えば出エジプト記ではイスラエルの民を導くために昼は雲の柱で神が導いたということが書かれています。
そして今回のこの声ですが、主イエスが洗礼を洗礼者ヨハネから授けられた時も天から声が聞こえたということです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」です。(ルカによる福音書3章22節)
これが再度聞こえたということです。この神の臨在と声もまた主イエスが神の子であることを奇跡によって、神の御業によって証明しているということです。
そういう意味で今回の説教で語っている一連の出来事というのは前回の説教で語った出来事を神の偉大な御業によって証明しているといっていいかもしれません。
ペトロが主イエスはメシア、神の御子であると証をしました。その証明がこの山での主イエスの変容、モーセとエリヤとの語らい、そして雲による神の臨在と声によって現されています。また前回の説教で主イエスがこれから経験される逮捕、死、そして復活を弟子たちに話されましたが、今回の説教でその事をモーセとエリヤとも話されました。そして前回、主イエスは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と仰ったのですが、今回は父なる神がこの事を命じています。「これに聞け」と。
前回の出来事から今回の出来事までを見てみるといかに神が私達を救うために慎重にご計画を立てられていたかがわかります。それは私達の想像を超えたものなのです。
使徒パウロ自身も神による全人類の救いの計画に驚嘆し、このように言っています。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」
(ローマの信徒への手紙11章33節)
私達が神のご計画が分からないとするならば、私達はどうすればよいか?答えは先程もうしあげたように主に従うことです。聖書を読み、祈り、礼拝に出席し、神の御心を少しでも思い図ることが大切です。
そして聖霊に導かれて歩めるよう祈ることが大切ではないでしょうか?
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