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「主の祝福は世で尊ばれていない人の上に」

2021年12月19日 待降節(アドベント)第4主日 / クリスマス礼拝

説教題:「主の祝福は世で尊ばれていない人の上に」

聖書 : 新約聖書 ルカによる福音書 2章8-20節(103㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 クリスマスというと、皆さんどんなシーンを思い浮かべるでしょうか?馬小屋にいるヨセフ、マリア夫妻と乳飲み子の主イエス・キリスト、東方の博士達、そして本日の聖書箇所に出てくる羊飼いと天使達ではないでしょうか?さて、ここで出てくる羊飼いとはどういう人達であったのでしょうか?8節には「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」と書かれています。私は夜に働いた経験はないのですが、夜勤というのは相当きついと聞いたことがあります。なぜなら、やはり人間は昼働いて、夜寝ることが普通だからです。もちろん、慣れれば、この夜勤も大丈夫だという人もいるでしょう。しかし、夜しかも内勤ではなく、外勤というのは相当きついと思います。例えば、この冬の時期に夜、工事現場などで働いている方々、警備員の方々を考えると身震いするくらいです。さて、ここの羊飼いの人々もまた、この人達と同程度、いやそれ以上のきつい状態で働いていました。羊は羊飼いがいないと群れから迷ったり、谷に向かったりします。そして、羊を襲う獣もいます。ですから、羊飼いは四六時中羊を見てなければいけません。ですから、この夜、外の寒さに凍えながら、眠気と戦いながら、神経をすり減らしながら、羊の番をしていたわけです。明らかに彼らは社会的に恵まれていませんでした。

 以前3K(きつい、汚い、危険)という言葉が流行(はや)りましたし、低賃金で働き、簡単に契約を打ち切られる派遣切りという言葉もまた流行(はや)りました。彼らはそれ以上の過酷な状況で働いていたのでしょう。その当時、世の中で尊ばれていない、この羊飼いたちの前に主の天使が現れ、主イエス・キリストの誕生を告げたのです。救い主、主メシアの誕生です。素晴らしいことです。さらに、素晴らしいことに、天の大軍が賛美をしたのです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と彼らは賛美したのです。主イエス・キリストの誕生の知らせを天使から聞くこと、そして天使たちの賛歌を見ることほどの祝福はなかなかあるものではありません。そして、この祝福を受けたのは王でもありません、貴族でもありません、金持ちでもありません、ファリサイ派、サドカイ派、律法学者達のような学者たちでもありません。名誉、地位、お金、知識を持っている人達ではなく、その当時、最も社会的に尊ばれていない職業の一つであったであろう羊飼い達がこの祝福を受けたのです。「地には平和、御心に適う人にあれ。」とあります。この羊飼いたちは神の御心に適ったのです。そして彼らはこの出来事を喜んで受け入れたのです。いままでは、この羊飼いという仕事をつらいながらもしてきたと思うのです。つらくても生活をしていくためにしてきたと思うのです。ですが、そこには希望はなかったのではないでしょうか?それはフリーターや派遣が、希望もなく、しかし生きていくために働いているのと同じだったのかもしれません。しかし、この祝福は彼らに希望をもたらしたのでしょう。もし、このまま、何の感動もなく、希望もなかったとしたら、彼らはそのまま仕事を続けたに違いありません。彼らの言葉「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」には彼らの希望が現れているではありませんか。そして、彼らは行動を起こし、マリアとヨセフと乳飲み子である主イエス・キリストを探し当てました。

彼らは貧しかったけれども、天使の言葉を素直に受け入れ、即行動に移しました。これこそが、神の御心に適う行動ではないでしょうか?これは彼らの信仰です。

 そして、祝福はこの世で尊ばれていない人に与えられることが多いのです。なぜなら、彼らは失うものがあまりないからです。私は先程この羊飼いたちと王様、貴族、金持ち、学者たちを比べました。名誉、地位、お金、知識を挙げました。おおよそこれらを持っている人たちはこの世で人々に尊ばれます。しかし、そのせいでプライドが顔を出してしまい、素直さを持つことが難しいのです。神を頼みとするより、自分が持っているこれらの物を頼みとしがちなのです。それは福音を受け入れることの障害となります。主イエスがユダヤ人たちを批判して「互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしない」(ヨハネによる福音書5章44節)や金持ちの青年が主イエスに全財産を貧しい人たちに分け与え、主イエスに従ってきなさいと命じられた時、その命令に従うことが出来なかったことを思い出してください。だからこそ、この羊飼いたちの素直に神の言葉を受け入れるという信仰が私達に必要なのです。          

「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」

(マタイによる福音書18章3節)


 羊飼い達は自分たちの仕事を一時的でしょうが中断して、天使の言われたことを確かめに行ったのです。仕事よりも優先したのです。そして、彼らは救い主を見たのです。これこそが、祝福なのです。なぜ、彼らにそんな事が出来たのでしょうか?それは彼らが多くのものを持っていなかったからです。名誉、地位、お金、知識といったものです。彼らが持っていたのは天使の言葉を受け入れて行動する素直さです。それこそが信仰なのです。私達はこの羊飼いたちの素直さはあるのでしょうか。このような信仰を持っているでしょうか。何か、この素直さ、信仰を妨げている物はあるのでしょうか。名誉、地位、お金、知識以外に妨げている物は何でしょうか?もしなにか妨げている物があれば、それを取り除いていただけるよう主に、聖霊にお願いし、この羊飼いたちと同じように素直な気持ちで、喜びを持ってこのクリスマスを祝おうではありませんか?彼らは社会的には尊ばれていなかったですが、神の前では尊ばれていました。私達もそうでありたいと祈ります。

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