「人口調査」
2024年10月27日 聖霊降臨節第24主日
説教題:「人口調査」
聖書 : 歴代誌上 21章1節-13節(656㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
本日は宗教改革記念日礼拝です。正確に言えば31日の木曜日なのですが、その日に近い主日が本日でしたので本日この宗教改革記念日礼拝を行っているわけです。宗教改革は皆さんも世界史などで習ったりしたこともあるかと思いますし、去年も説教で申し上げたかと思います。16世紀に西方教会(ローマ・カトリック)で起こった宗教改革です。当時の教会は贖罪符(免罪符)の販売などによって腐敗していました。それに対してマルチン・ルターが1517年10月31日にヴィッテンベルク城内の教会の門扉に95か条の論題を貼り付け、反対したことから始まりました。ルターはここで「人は信仰によって義とされる」という信仰義認論を主張し、当時の教会の考え方である「人は信仰と善行によって義とされる」という考えと対立することになりました。この宗教改革はドイツのみならずスイスなどヨーロッパ各地に波及することになり、この宗教改革に対するローマ・カトリックの反発、対宗教改革もまた激しさを増していきました。このことにより、プロテスタント(新教)とローマ・カトリック(旧教)という区分が出来るようになりました。またプロテスタントの中でも考え方によって様々な教派に分かれていきました。その中で新教と旧教の争い、また新教の中での争いというのも起こってしまったというわけです。私たちナザレン教団もまたこの流れから生まれてきたプロテスタントの一つの教派であるということです。
さて本日の聖書箇所です。「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った。」
(歴代誌上21章1節)
「ダビデはヨアブと民の将軍たちに命じた。『出かけて行って、ベエル・シェバからダンに及ぶイスラエル人の数を数え、その結果をわたしに報告せよ。その数を知りたい。』」(2節)
「ヨアブは言った。『主がその民を百倍にも増やしてくださいますように。主君、王よ、彼らは皆主君の僕ではありませんか。主君はなぜ、このようなことをお望みになるのですか。どうしてイスラエルを罪のあるものとなさるのですか。』(3節)
今私は1節から3節まで読みましたが、サタンに誘われてダビデが人口調査をするよう彼の部下のヨアブと将軍たちに命じたが、ヨアブがその命令に反対している場面です。人口調査というものはその国の統治者やリーダーがよく行うことです。目的は税金の徴収もしくは徴兵するためです。旧約聖書には民数記というまさに読んで字のごとくイスラエルの民を数えたことが書かれている書物があります。また新約聖書のルカによる福音書2章1節から7節には主イエスの誕生の事が書かれています。その当時のローマ皇帝はアウグストゥスであり、その勅命でローマ帝国全領土の住民が住民登録をすることが求められました。そしてシリア州の総督のキリニウスがその地域の最初の住民登録を行い、主イエスの父ヨセフと主イエスを身ごもっていた母マリアもまた住民登録をするためにガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町に上っていったということが書かれています。
(ルカによる福音書2章1節から5節)
というように人口調査とか住民登録というものは統治者にとって必要なことであるということです。私もこの話をしていて住民登録をしたことを思い出します。一回目は確か実家の柏からナザレン神学校の寮がある目黒区への住民登録です。二回目は神学校を卒業し、この浦和の地に引っ越してきた時ですね。一回目は簡単に済ますことができました。柏の住民票を柏市役所で抜き、目黒区区役所で住民票をいれるだけでした。二回目は少し大変でして、目黒区役所で住民票を抜くまでは簡単だったのですが、住民票をいれようとしてさいたま市南区役所の支所に連れて行っていただいたのですが、そこでこちらの教会の住所に入れてほしいと職員の方に言ったところ、出来ませんと言われました。南区役所に行って住所のふてい(新しい住所を定めること)をしてくださいと言われました。要するにこの教会を建て替えたので新しい住所を定めなければならないということです。その後私の住民票をその新しい住所に入れることができるということでした。新しい住所を定めるためにはこの教会の設計図を持って南区役所に行かなければいけなく、さらに地番が載っている地図のコピーを購入し、そこの職員の方に見てもらって住所を決定するということでした。その後は皆さんも御存知のとおり以前の住所ではなくなりましたが、その住所を決定し、ようやく私の住民票を入れることが出来たということでした。随分と長く語ってきましたが話を元に戻しますと、それだけ人口調査や住民登録ということが大切ということです。
さてここで疑問があります。なぜこの為政者にとって大切な人口調査をダビデの腹心であるヨアブがこれほど反対したのでしょうか?彼は「どうしてイスラエルを罪のあるものとなさるのですか。」とまで言っています。聖書には明確な理由は書かれていません。しかしこのヨアブの反対にもかかわらずダビデは強硬にこの人口調査をヨアブに推し進めさせました。そのことは4節に書かれていますね。「しかし、ヨアブに対する王の命令は厳しかったので、ヨアブは退き、イスラエルをくまなく巡ってエルサレムに帰還した。」
そして5節によってこの人口調査が税金の徴収というよりも徴兵のため、つまりどれだけの兵隊を集めることができるかという理由で行ったであろうことがわかります。「全イスラエルには剣を取りうる男子が百十万、ユダには剣を取りうる男子が四十七万であった。」と書かれていますね。
そして次の6節にはまたこのヨアブのダビデ王が命じる人口調査の命令に対しての嫌悪感が表されています。「ヨアブにとって王の命令は忌まわしいものであったので、」と書かれています。さらにはこの嫌悪感のせいで、ヨアブはこの人口調査を正確には行わなかったとも書かれています。それが「彼はその際レビ人とベニヤミンの調査はしなかった。」と書かれているわけなのです。
なぜ彼はこの2つの部族だけ人口調査を行わなかったのか?
ベニヤミンに関してはわからないのですが、レビに関してはある程度わかります。その理由はレビがそもそも祭司の役割を担う部族だったのです。ですから彼らは戦争に参加するよう定められてはいなかったのです。レビは人口調査の対象外で数えてはならないことは他の聖書箇所にも載っています。民数記1章49節、2章33節がそれです。
さてこれらのことの後、主の怒りがダビデに対して燃え上がります。それが7節です。「神はこのことを悪と見なされ、イスラエルを撃たれた。」
ここで疑問があります。なぜ主はこの人口調査のせいでダビデに怒りを燃やし、イスラエルの民全体を撃たれたのか?先程私はヨアブがこの人口調査を悪いこととした理由が聖書には明確に語られていないと言いましたが、主が怒りを燃やした理由もまた明確には語られていません。しかし、類推は出来ます。
まず本日の聖書箇所の最初の節を御覧ください。歴代誌上21章1節です。「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った。」と書かれています。主が命じたのでもなく、神が命じたのではなく、サタンが誘ったのです。サタンの誘惑です。サタンの誘惑で思い出されるのは何でしょうか?創世記3章です。蛇の誘惑と小見出しに書かれていますが、これはサタンの誘惑です。その誘惑の結果どうなりましたか?アダムとエバは主との良好な関係を断つことになってしまいました。罪と死が入ってきました。そして彼らは楽園から追い出されました。もう一つのサタンの誘惑はなんだったでしょうか?主イエスに対しての誘惑でしたね。マタイによる福音書4章1節から11節、ルカによる福音書4章1節から13節に書かれています。しかし主イエスはサタンの誘惑を跳ねのけました。そして十字架での最後の死まで父なる神に従順でした。
つまりダビデはこのサタンの誘惑に負けてしまったということです。民数記は主の命令によって人口調査を行いましたが、ダビデが行った人口調査はサタンの誘惑によっておこなったということです。だからこそ主は怒られ、ダビデの腹心であるヨアブもまたそのことをわかっていたからこそこの人口調査に対して嫌悪感を覚えたのです。
さらにここで行われた人口調査の本質について述べたいと思います。5節の「全イスラエルには剣を取りうる男子が百十万、ユダには剣を取りうる男子が四十七万であった。」という言葉に注目したいと思います。つまりこれだけの兵隊を動員することができるとヨアブはダビデに報告したのです。つまりダビデはこれだけの数の兵隊を戦争に使うことが出来るということを把握したわけです。彼は多くの戦をしてきましたのでどれだけの兵力を自分は持っているのか、持ちうるのかを把握することは重要であり、現実的に必要なことであったろうと思います。
ですが、これは逆に己の力を頼りにすることにつながり、主を頼らない、主を軽んずることにつながるのです。彼の息子ソロモン王の息子の代でイスラエル王国とユダ王国に分裂しますが、それぞれの国の多くの王は主を頼らず、自分をもしくは近隣諸国を頼りました。そこには信仰がありませんでした。
ですからダビデは自分がゴリアトと戦ったときの事を、自分がゴリアトに言った言葉を思い出すべきだったのです。
「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。…主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」
(サムエル記上17章45節、47節)
ですが、ダビデは思い出すことが出来なかった。そしてサタンに誘惑され、従ってしまい、このことを行った。バテシバの時と同じように彼はサタンに支配されてしまいました。そして主はイスラエルの民を撃たれ、ダビデは自分の罪に気づきました。それはバテシバの過ちをナタンに指摘されたようであったのかもしれません。彼は罪を自覚し、悔い改めました。それが8節に書かれています。主は先見者ガドを通して罰として三つのうちから一つを選びなさいと仰いました。
「三年間の飢饉か、三ヶ月間の敵の蹂躙と仇の剣の攻め、三日間の主の剣と疫病と主の使いのイスラエル全土の破滅か」
ダビデは三番目を選びました。
この後甚大な被害が全イスラエルに及ぶのですが、主はイスラエル全土を主の御使いが滅ぼし尽くすのをやめました。
ここで大切なことは人口調査というものは為政者であれば誰でもすることです。むしろ軍政改革にとって必要なことと言ってもいいです。このように何気ないこと、自分にとっては大切なこと、必要なことであっても主の目には悪と見なされることがあるのです。そしてそれが悪であると気づかないことがあり、気づいたときにはもう遅いことが多々あるのです。どうかその事を気づかせていただけるような判断力を私たちに与えていただけるよう祈ろうではありませんか。
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