「信じる者になりなさい」
2024年5月5日 復活節第6主日
説教題:「信じる者になりなさい」
聖書 : ヨハネによる福音書 20章24節-29節(210㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
最近の世の中を見てみますと、あまり人を信じられないようになっていると感じます。もう数年前からオレオレ詐欺を始めとする様々な巧妙な手段でお金をだまし取る犯罪があります。これは特殊詐欺の一つと呼ばれているようで、警察官、弁護士など色々な役回りの人達がいて騙されてしまう人が多いと聞きます。そのような騙されてしまった方々のニュースやそれをコンビニの店員さんなど第三者が寸前で気づき被害に遭うのを止めたというニュースを時々目にします。また少し前にはこのような犯罪行為を行う国際的な犯罪組織があり、その中の数人の日本人たちがフィリピンで逮捕されました。彼らは詐欺だけでなく、強盗にも関与していたそうです。
またソーシャルメディアでは有名人の名前を騙(かた)った詐欺広告があり、多くの人々が騙されてお金を失ってしまったということが言われています。彼らの怒りは当然彼らを騙した人々に向けられていますが、同時にそのような詐欺広告から報酬を得ているソーシャルメディアにも向けられています。そしてこのような詐欺広告で名前と顔を使われた有名人たちもソーシャルメディアに怒っています。彼らに取ってみればソーシャルメディアは詐欺の片棒を担いでお金を得ているも同然なのですから。多くの批判に対してあるソーシャルメディアはコメントを発表しましたが、それは彼らを納得させるものではありませんでした。要約すると、自分たちは一生懸命詐欺広告を排除する努力をしているが、あまりにも多くて対応できない、これは社会の問題であるということです。彼らはそのソーシャルメディアに通報しているのに対応してないではないかと怒っています。そしてそのソーシャルメディアを提訴するとのことでした。
私のメールアドレスにも詐欺メールが送られてきます。アマゾン、プロバイダー、携帯電話会社、銀行を騙ったものです。あまりにも多彩でむしろ感心するくらいです。最初の頃は幼稚な文章で日本語としてもおかしいので見破ることが出来ましたが、最近ではより洗練された言い回しですので騙されそうになってしまいますが、そこは常識を働かせて見破っています。詐欺というものは昔からあったのですが、最近はより巧妙になってきていると私は思うのです。
さて詐欺ではないのですがもっともらしい理屈というものにも注意が必要です。よく商品やサービスの営業で使われる方法なのですが、その商品やサービスを売り込むために論理的に筋道を立てた理屈を作るのです。それをマニュアル化します。そして商品やサービスを売り込む時にその理屈をお客の前に披露するのです。お客がどうしても買いたくないと思って、買わないと言うと、それは損をしているとか言い始めます。つまり、その商品なりサービスなりを買わないことは理屈にあわないことであり、あなたは理屈に合わない、理性的でない人ですよと暗にほのめかすのです。レッテルを貼るわけです。そうやって気の弱い人はその営業マンの理屈にハマっていくということです。
ずいぶん長々と憂鬱なことを話してきましたが、このような事を考えると聖書が言うところのこの世は悪であるということもあながち間違いではありませんし、この世の中で信じることがいかに愚かであるかということが解ってくるかもしれません。ですが本日の聖書箇所でいうところの信じることは違います。
主イエスを信じること、主イエスのご復活を信じることなのですから。本日の聖書箇所の前の部分でご復活された主イエスは弟子たちの前に現れました。ユダヤ人達を恐れて、鍵までかけて家に引きこもっていた情けない弟子たちの前に現れたのです。彼らに平和があるように、彼らが勇気づけられるように。
しかしそこにある人物がいませんでした。ディディモと呼ばれるトマスです。彼は言いました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
(ヨハネによる福音書20章25節)
彼はなぜそのような事を言ったのでしょう。たぶん、主イエスを失ってしまったという絶望感によってそう言ったのかもしれません。主イエスを見捨ててしまった罪悪感からそう言ったのかもしれません。もしかすると、常識的に死人がよみがえるなんてありえないと思いそう言ったのかもしれません。なによりその場に居て見てなかったからそう言ったのかもしれません。ですが、トマスは疑いました。
そんなトマスを含む弟子たちの前に主イエスは再度現れました。そして再度「あなたがたに平和があるように」と仰ったのです。(ヨハネによる福音書20章26節)
そして主イエスの復活を疑ったトマスの言葉に答えるように主イエスは仰いました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
(ヨハネによる福音書20章27節)
もちろんトマスはそのようなことをせず、見て信じました。
主イエスを信じること、主イエスのご復活を信じることは詐欺やこの世の巧妙な人を罠にかけるような理屈を信じることではありません。それは真実を信じることです。そして聖書を読み、御言葉にしたがうことによってこの世の巧妙な理屈から解放され、主イエスにあって自由に生きることなのです。
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