「信仰を受け継ぐ」
2022年5月8日 復活節第4主日 (母の日)
説教題:「信仰を受け継ぐ」
聖書 : 新約聖書 Ⅱテモテへの手紙 1章3-6節(391㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
本日5月8日は母の日です。母の日は年によって変わりますが、5月の第2日曜日が母の日です。そして今年の5月の第2日曜日が5月8日なので、本日が母の日となるわけですね。母の日は私達キリスト者だけでなく、キリスト者以外の人達もお祝いしますが、彼らは「家事も含めて働いているお母さん達に感謝しよう」という趣旨のことは分かっているのですが、「どのようにしてこの母の日というものが決まっていったのか」ということについてはあまりよくご存知ではないと思うのです。もっとも、「そんな小難しいことなどどうでもいいじゃない。とにかく働いているお母さん達に感謝し、エールを送れれば、それでいいじゃないか。」という方々もいらっしゃると思うのですが。
この母の日を祝うという習慣が始まったのが教会からでした。アメリカのメソジスト教会の牧師の娘でアン・ジャービスという方がおりました。彼女は子供を何人も病気で失ったので、母親と子供たちのための公衆衛生運動をご自分の教会であるアンドリュース・メソジスト監督教会から起こしました。
彼女は1905年5月9日に亡くなるのですが、3年後の1908年5月10日、娘のアンナが自分の母親だけでなく、すべての母親に感謝する記念の礼拝をこの教会で行ったということです。
そして1908年5月10日の日曜日に行われたこの礼拝が初めての「母の日」礼拝でした。その後、1914年に第28代アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンが5月の第2日曜日を「母の日」としてアメリカの祝日として制定しました。日本でもそれに倣って行なわれているということです。
母の日のシンボルと白いカーネーションがありますが、その事はどこから来たかというと、この1908年5月10日に行なわれた最初の母の日礼拝からです。アンナは母親が好きだったという理由で白いカーネーションを礼拝出席者全員に贈りました。
さて、先程、日本も米国に倣って「母の日」を祝うという事を始めたと言ったのですが、もう少し詳しく、その辺の事情をお話したいと思います。この「母の日」を日本に導入することに深く関わってきたのは青山学院で教えられていたメソジストの女性の宣教師たちです。「メソジスト」「女性宣教師」という2つの言葉を聞くと私は思い浮かべる事があるのです。いわゆるピンとくるという事です。「メソジスト」の創始者であるジョン・ウェスレーは「聖化」「清め」を強調しました。そしてメソジストは経済的に困難を抱えた人々の救済や学校の設立といった社会貢献、社会活動を積極的に行ってきました。ナザレン教団もまた「聖化」を強調しまたアメリカにおけるナザレン教団の設立もロサンゼルスでの生活困窮者の救済のため様々な宗派が集まった事によるものであると聞いています。そして、メソジストは多大な影響を与えたという事を聞いています。
さらにこの「女性宣教師」と聞いて皆さん何か思い浮かぶことはないでしょうか?少し前になりますが、ナザレン教団がクリスチャン新聞に広告を出しました。教会の掲示板にもその広告を貼りました。その広告の中で日本のナザレンの伝道は二人の「女性宣教師」から始まったと書かれていました。ここでも、やはりこの「母の日」とナザレンとの関係を見ることができるのです。
さて、この青山学院で教えられていた女性宣教師の方々はどのようにこの「母の日」を日本に広めていったのでしょうか?
まず、メアリー・J・ホルブルックという方がおりました。彼女は青山学院の前身の海岸女学校の学長でありました。彼女は1909年にアメリカの教会で「母の日」が定められたことを知り、日本の教会の行事の一つにしようとしたのですが、志半ばで召天しました。その後、彼女の志を継いだのは青山女学院で教えられていたマイラ・E・ドレーパーでした。彼女は1913年に日本で初めて「母の日」礼拝を行いました。彼女は国際母親協会を創設し、「母の日」を広く日本の社会に知ってもらうため、トラクトを作成し、母親教育の書籍も執筆したと聞いています。さらに、ファニー・G・ウィルソンという青山女学院院長を努めた方が「全国母の会」の会長になり、日本の各界に働きかけを行いました。そして1932年5月8日、日本での初めての「母の日」の大会が日比谷公会堂で行なわれ、1949年頃からアメリカに倣って5月第2日曜日に母の日が行なわれ始めました。
だいぶ長々と「母の日」が定められた経緯を話してきました。「退屈」だと思われたかもしれません。もしくは「母の日が定められたのにはこんなことがあったのだな。」と思われたかもしれません。
本日の聖書箇所に入っていきたいと思います。
IIテモテへの手紙1章3節「わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。」
教会で牧会している愛弟子のテモテの事をパウロは絶えず気にかけて思っていることがこの節の前半部分で分かります。後半部分はちょっと注意が必要です。「先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、」とあります。パウロが先祖とここで書いていますが、ここで彼は自分の肉の出自、つまり「ユダヤ人」であることを意識しています。「先祖に倣い」とは「先祖から受け継ぐ」とも解釈できますので、「先祖から受け継いだ清い良心をもって仕えている神に、」と言い換えることも出来ます。ここで重要なことは「受け継ぐ」です。
4節でパウロは再び愛弟子の事を思いやっています。「あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。」という文言がその証拠です。
5節でパウロは愛弟子テモテの信仰が純真であり、その信仰は元々テモテの祖母ロイスと母エウニケに宿り、それが愛弟子テモテにも宿ったと言っています。つまり、テモテは祖母と母から信仰を「受け継いだ」のです。そして6節でパウロは「その信仰を再び燃え立たせなさい。」と言っています。
さて、突然ですが、皆さんはどのようにキリスト者になられたのでしょう。たぶん、この教会は何十年も幼稚園をされていたので、そこから教会に来て、洗礼を受けられた方もいらっしゃるでしょう。そうではなく、偶然、教会に入ってきて、礼拝に参加し、しばらくして、決心し、洗礼を受け、教会員になられた方もいらっしゃるかもしれません。もちろん、両親がキリスト者で、物心つく時から教会に通い、洗礼を受けられた方もいらっしゃるかと思います。しかし、両親がキリスト者で、子供もキリスト者、そして孫もキリスト者というのは、なかなか難しいものです。私自身、両親はキリスト者でしたが、一時期、キリスト教から離れていたこともありました。また、私が長年通っていた教会で、長年の教会員で役員もご経験された方々が何人かいらっしゃいました。彼らの子供たちも幼い時から教会に通っていましたが、高校生、大学生、社会人になるとともに教会を離れてしまいました。
「信仰を受け継ぐ事」がいかに難しいことかということがよく分かる気がします。ですが、そんな中で私が神学生として派遣された教会には3代のキリスト者の方がいらっしゃいました。その方にも小さいお子さんがいらっしゃいますから、その子達を含めると4代のキリスト者です。その事を聞くとなぜか気持ちがほっこりとしてしまいます。ですが、やはり、「信仰を受け継ぐ、受け継がない」というのは本人次第なのだなということをあらためて感じてしまいます。
さて、パウロの愛弟子のテモテは信仰を祖母ロイスと母エウニケから受け継ぎました。5節でそのことをパウロは証言しています。パウロはテモテの祖母も母もそして当然の事ながらテモテも知っており、だからこそ確信をもって証言したのです。素晴らしいことです。パウロはテモテにゆだねられているものを再び燃え立たせなさいと言っているのです。小見出しでは「ゆだねられているものを守る」と書いてありますが、パウロは「守る」だけでは満足していないのです。もっと積極的です。もっと大胆です。もっと野心的です。「再び燃えたたせなさい」と言っているのです。そして燃えたたせてくれるのは「聖霊」です。
私は前半部分に母の日の話をしてきました。その中で私は5人の女性の話をしてきました。メソジスト教会の牧師の娘アン・ジャービス、彼女の娘アンナ、女性宣教師でもあった、青学の前身である海岸女学校の校長のメアリー・J・ボルブルック、青山女学院で教えられたマイラ・E・ドレーバー、そして青山女学院院長のファニー・G・ウィルソンです。なぜ、彼女たちはこのような偉大な事が出来たのでしょうか?まず、アン・ジャービスが多くの自分の子どもを病気で亡くしたというつらい経験からすべての母親と子供たちのための公衆衛生運動という神の御心にかなった事を始めたということではないでしょうか?さらにそれを記念した「母の日」を彼女の娘、そして女性宣教師たちが「受け継いだ」からではないでしょうか?
もちろん、私達はキリスト者になった状況は様々です。テモテのように両親がキリスト者であったという状況ではないかもしれません。しかし、私達は何かをきっかけにキリストを信じるようになったはずです。その思いを受け継ぎ、信仰を受け継ぎつつ歩んでいこうではありませんか。
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