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「収穫と感謝」

2020年11月22日 降誕前第5主日 収穫感謝礼拝 

説教題:「収穫と感謝」

聖書 : 旧約聖書 創世記 12章1-9節(15㌻)    

説教者:伊豆 聖 牧師


皆さんは収穫感謝日というものをご存知ですか、英語で言えばThanksgivingとなります。日本に住んでいらっしゃる方々にとっては馴染みがないかもしれませんが、アメリカの休日で毎年11月の第4木曜日、本年度で言えば、11月26日、今週の木曜日がそれにあたります。しかし、本日11月22日の日曜日が26 日に一番近いということで本日を収穫感謝日とし、多くの教会が収穫感謝礼拝としております。また、アメリカの多くの州ではその次の日の金曜日も休みとし、木曜日、金曜日、土曜日、そして日曜日と4連休となることが多いのです。中には木曜日の前日の水曜日から休みの州もあるようで、その場合、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、そして日曜日となんと5連休となります。うらやましいという声がどこからか聞こえてくるようですね。私はアメリカで学生をしていたのですが、その収穫感謝日のある週は1週間まるまる休みでした。つまり7連休ですね。さらに、皆さんからうらやましいという声が聞こえてきます。もちろん、勉強が遅れている学生は遅れを取り戻すべく勉強漬けの日々が続くということもあります。


では、アメリカ人はこの収穫感謝日になにをするのでしょうか?離れ離れに暮らしていた家族が集まり、食事をし、一家団欒を楽しみます。食事の定番は七面鳥、スタッフィー、そしてマッシュドポテトにグレービーです。アメリカでは成人し、親元から離れ、働き始める、結婚し家族を作る、大学の寮などで一人暮らしをし始めます。そういった人々が実家に集まる機会が収穫感謝日なのですね。日本で言うなら、盆、暮れ、正月に実家に戻って家族団らんを楽しむということに当たるのではないでしょうか。もちろん、今年はこの新型コロナウィルスはこの収穫感謝行事にも影響を与えているらしく、アメリカの保健局はこの時期の移動を極力控えるよう呼びかけているそうです。


さて、今でこそ、収穫感謝日は家族が集まり、食事をし、一家団らんを楽しむということなのですが、元々はどういう意味だったのでしょうか?


それは16世紀のアメリカにさかのぼります。アメリカという国には元々はインディアンもしくはネイティブ・アメリカンと呼ばれている人々が住んでいたのですが、他の多くの国々から人々が集まり、移住してきて今のアメリカが出来ました。これらの移住してきた人々の中に、清教徒(ピューリタン)もしくはピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々がおりました。彼らはキリスト者で信仰の自由を求め、キリスト者にとって理想的な社会を作るため、イギリスからメイフラワー号という船に乗ってアメリカに移住してきました。彼らは1620年の冬にアメリカ東部のマサチューセッツ州にあるプリマスという町につくのですが、現地の状況は過酷で、イギリスから持ってきた野菜、作物は育たず、多くの人々が亡くなられました。しかし、次の年に近隣に住むインディアンのワンパノアグ族がトウモロコシなどのアメリカ大陸での作物の栽培をこれらのイギリスからのピューリタンに教え、そのおかげで彼らは生き延びることが出来た。この1621年の秋の収穫が多かったので、ピューリタンはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共に食事をしたのが感謝祭の始まりと言われています。彼らは自分たちの信仰の自由を求めて故郷のイギリスを捨てアメリカに渡りました。しかし、現実は甘くなかったのです。彼らは食料も満足に食べられず、多くの方々が亡くなりました。そんな中でインディアンが彼らに食べ物を与え、農作物の育て方を彼らに教えました。彼らはインディアンたちに感謝し、さらにこのことをもたらした神に感謝したと思います。

  

彼らは信仰と希望を抱いて故郷イギリスを出発しましたが、いくら、信仰と希望を持っていても見知らぬ土地で生きていくには不安は当然あったのだろうと思います。そして、その不安は的中し、冬の中、食料もなく、次々と亡くなっていった。そんな中でのまさかのインディアンからの食料と食料の作り方の提供です。彼らの感謝はいかばかりであったでしょうか?彼らは神様に対する信仰を持っていました。しかし、自分たちが死ぬかもしれない、いやもう何人も死んでいるという過酷な現実があった。けれども、収穫が与えられた。救いが与えられた。そういう事を通して彼らは神に感謝し、そしてそれが彼らのさらなる信仰へとつながったのではないでしょうか?

  

さて、本日の聖書箇所です。アブラハムは見知らぬ土地に旅立ちました。自分の見知らぬ土地を目指し、旅に出て、その土地に住むことは不安なことです。その人はその土地の人々に受け入れられるだろうかといったことを思い不安になります。私も何年間かアメリカに住んでいたのでその不安がわかりますし、日本国内でさえ、今まで住んでいた場所から引っ越し、別の場所に住むとなれば、この様な不安を持つのは容易に想像できます。しかし、そのような状況でもアブラハムはその見知らぬ土地へと出発しました。そして、本日の聖書箇所12章1節から4節にはその時のアブラハムの心情、例えば、不安または苦悩といったことが書かれていません。書かれているのは、主がアブラハムの前に現れ、アブラハムに生まれ故郷を出発し、主が示す土地に行くように命じたということ、アブラハムを祝福するということ、そしてアブラハムが主の言葉に従い、故郷を出発したということだけです。まだ、この時点で主の祝福は実現していません。その具体的証拠がアブラハムの前にあったわけではありません。ですが、アブラハムは主の言葉に従ったのです。ここに信仰があります。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」とヘブライ人への手紙11章1節から3節に書かれています。アブラハムもまたこの信仰を持っていたのです。


アブラハムは彼の妻サライ、甥のロト、そして彼の住んでいたハランで加わった人々と一緒に旅立ちカナンに行きます。そこでまた主の言葉がありました。「あなたの子孫にこの土地を与える。」7節です。そして、アブラハムは祭壇を築きました。8節でアブラハムは祭壇を築いています。「彼の子孫に土地を与える」という主の祝福の言葉があり、アブラハムは感謝をし、祭壇を築いたのです。この言葉はまだ実現していません。いや、アブラハムの子孫に対する約束ですから彼が見ることは出来ませんでした。しかし、このアブラハムの子孫のカナンという土地の取得はこの時代のずっと後に起こります。エジプトで奴隷状態であった人々を主が顧みて、モーセをたて、その奴隷状態であった人々をエジプトから連れ出しました。そしてその子孫たちをカナンの土地に入らせたのです。神は約束をしたことを違えない方なのです。

また先の約束、アブラハム自身を祝福するという約束もまた神は誠実に守られました。アブラハムがこの見知らぬ土地で生活している間、常に神からの祝福があったのです。もちろん様々な困難はありましたが、神はアブラハムと彼の家族を守られました。このことはアブラハムに神は生きておられるという確信を与えたのだと思います。アブラハムは神が信用するに値する方であるということを日々の生活を通して確認していったのだと思います。これが信仰です。そして、アメリカに移り住んだ清教徒たちも日々の生活を通してこの信仰を養われたのだと思います。


私達の周りにも不安があります。特に今年は新型コロナウィルスによる影響が私達の生活に影を落としています。しかし、私達はアブラハムが持っていた、そしてアメリカに移住した清教徒たちの信仰を受け継いでいます。さらに、私達は主イエスが私達の罪のために死んでくださり、私達の罪を贖っていただいたという確信を持っています。であるなら、私達は神からの祝福を感謝しつつ、神を褒め称えつつ日々歩んでいこうではありませんか。

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