「天国に市民権を持つ者」
- urawa-church
- 2023年10月29日
- 読了時間: 8分
2023年10月22日 聖霊降臨節第22主日
説教題:「天国に市民権を持つ者」
聖書 : 新約聖書 ヘブライ人への手紙 11章32節-12章2節(416㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
未だにウクライナとロシアの間では戦争が続いていて、またパレスチナとイスラエルの間でも戦争が始まっています。ウクライナにはウクライナの正義があり、ロシアにはロシアの正義があります。彼らは自分たちがいつロシアに侵略されるかわからないから西側の陣営に入ろうとし、NATOに加盟することを希望しました。そうなるとロシアにとっては領土近くにある国が反対の陣営に入ることであり、彼らにとって不都合であるからこのように侵攻をしました。また、ウクライナ領にいるロシア系住民を保護するためという名目もありました。結果として多くのウクライナの人々が犠牲になっています。また報道では子供を含め多くのウクライナの国民がロシアに連れて行かれたということです。このような事がいつまで続くのでしょうか?
パレスチナとイスラエルの間の紛争も続いています。始めはハマスによる襲撃により、イスラエルの人々や外国人が殺され、または拉致されました。それに対してイスラエル側はロケット弾をパレスチナ人の居住区であるガザ地区に打ち込みました。報道によればこの地区にある病院が被害を受けたとのことですが、パレスチナ側もイスラエル側も双方関与を否定しており、双方とも相手が行ったと主張しています。
イスラエルは当然のことながら今回のハマスの行為をテロ行為であると厳しく非難し、パレスチナの地区への攻撃(今はロケット弾だけですが、これから地上戦もありうる。)を正当化しています。しかし、パレスチナ側はこれまでイスラエルが彼らにしてきたことを非難しています。つまり、パレスチナ人が住める場所をガザ地区という狭い場所に限定し、周囲を壁で囲み、イスラエルの兵士が彼らを圧迫する。もちろん、イスラエル側はイスラエルの人々をテロから守るためにそうしているのだと主張するでしょう。しかしパレスチナの人々からすれば、そういうふうに圧迫するから抵抗するのだと主張するでしょう。つまり双方の正義のぶつかりあいです。そしてパレスチナ、イスラエル双方の人々が犠牲になっていくのです。国連を始めアメリカ、ロシアといった大国がこの戦争の沈静化にむけて動いてはいますが、大国には大国の思惑があり、なかなかうまくはいかないようです。
さて本日の聖書箇所です。
「これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。」(ヘブライ人への手紙11章32節)
この前のセクション、11章の頭から見てみますと信仰とは何かということを説明するためにこの著者は旧約聖書時代に信仰に生きた人物達の活躍の例を多く挙げています。それは、著者自体はパウロであるともないとも言われているのですが、この本、つまりヘブライ人への手紙という名前からもおわかりのように、宛先がヘブライ人キリスト者であったと思われるからです。ヘブライ人キリスト者であれば旧約聖書に出てくるこれらの人物の事がわかっていて当然というわけです。そして本日の聖書箇所につながってくるということですね。つまり、これまで挙げた旧約聖書時代に信仰に生きた人々に加えて、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、サムエル、そして預言者たちもまた信仰に生きた人々であるということをこの著者は言っているのです。
33節から35節の前半部分にかけては信仰に生きた人々がいかに活躍したかもしくは恩恵を受けてきたかを述べていますね。
それは結構な話なのですが今度は35節の後半部分から38節にかけては彼らが受けてきた迫害を表していますね。
もし著者が送り先の人々にただ単に信仰を持てばこういういい思いが出来ますよというご利益信仰を売りつけるのであれば、活躍や祝福だけを伝えればいいわけです。しかし、彼はそれをしませんでした。35節の後半部分から38節にかけては旧約聖書時代に信仰に生きた人々の苦難と迫害のオンパレードです。そして極めつけは39節です。
「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。」
(39節)なんというか、がっかりの内容ですね。
しかし、信仰とは単純なものではないのです。見えない神様を信じたから万事がうまくいくというご利益宗教ではないのです。最も大切なことはこの見えない神を信じること、そして神の御心にそうことです。39節で「約束されたものを手に入れませんでした。」とありますが、33節では「約束されたものを手に入れ、」とあります。なんだか矛盾する話です。この前の33節で述べられている「約束されたもの」とはその旧約時代に信仰に生きた人々がその状況下で約束されたものです。
例えば、モーセはイスラエルの民が神によってエジプトの奴隷状態から解放されたことをつぶさに見てきました。ギデオンは士師としてイスラエルの民を解放しました。そういったことです。33節で原文では約束されたものの複数形が使われています。これはその旧約聖書時代に信仰に生きた人々がそれぞれの状況下で約束されたものを神から信仰によって得てきたということです。
しかし、39節では約束されたものは単数形です。ではこの39節で約束されたものとは何でしょうか?それは主イエス・キリストです。次の40節で「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。」
ここで大切なことはこの旧約聖書時代に信仰に生きた人々の信仰は素晴らしいものがあります。どこが素晴らしいかというと、この見えない神を信じることです。私達はどうしても見えるものに頼ってしまいます。普段からそうですが、特に生きるか死ぬかと言うときにはなおさらです。ですが、彼らは違ったのです。だから素晴らしいのです。そして彼らの神を信じる信仰は純粋であるということです。
こう言ってしまうとお叱りを受けるかもしれませんが、ウクライナとロシアで続いている戦争での双方の正義、パレスチナとイスラエルでずっと続いている戦争での双方の正義はこの旧約聖書時代に信仰に生きた人々の信仰と正義に比べるまでもないものです。なぜなら、それは人から出てきた正義だからです。
いくら論理的に道義的に妥協論的に議論しても収まりません。
だからこそ、いまこそ神への信仰、神の正義が必要なのです。
もちろん、そう言うと、イスラエルとパレスチナ双方はそれぞれの神を持ち出してくるかもしれませんが。
この世ではこの世の理論がまかり通ってしまいます。こうして私達は教会に礼拝に来ていますが、教会から一歩外へ出たら、この世の論理にさらされ、私達は巻き込まれてしまうのです。いやこの教会内でおいてさえこの世の論理がまかり通ってしまうかもしれません。先日、私はケアハウスに入所されている浦和教会の元教会正会員で今は準会員の方を訪問しました。そして彼がそこで聖書の話を入所者にされているということを聞いて喜んでいます。
元々彼は退職後にボランティアをされていたということなので、そういうことをされているということです。
ですが、彼がそれをしている理由はそれだけではありませんでした。何か入所者の方々が元気がないということで、少しでも彼らが前を向いて生きていってほしいということで始めたということです。もちろん、最初からすぐに聖書の話をすることが許可されたわけではありませんが、ようやくこぎつけたということです。
彼は入居者の方々にもっと感謝しなければならないと言われたそうです。つまり、食事を作ってもらったり、色々としてくださる職員の方々に感謝しなければならない、そして自分達を作ってくださった神様に感謝しなければならないということを言われたということです。
もちろん、入居者の方々はこういう施設に入ることによって家族から見捨てられたと思うかもしれませんし、またお金を払ってるんだから職員が彼らの世話をするのが当然だと思うかもしれません。ですがそれがこの世の理、考え方なのです。ですから、彼はここを変えていかなければと考えています。福音を述べ伝え、神を知るようになることで彼らが変えられていくことを祈っていますし、ますますの彼の働きを祈っています。また職員の方々、施設長の方々、そして会社もまたこの世の理で動いています。彼の働きが全体を変えられるよう、聖霊様の力が必要です。このように私達の周りにはこの世の理、理屈が満ち溢れていて、ともすれば私達までもそれにとらわれてしまいがちです。
ここを変えていただきたいのです。しかし、私達には旧約聖書時代に信仰に生きた人々が、得られなかったものがあります。それが主イエス・キリストです。それは「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださった」ものなのです。
私達は旧約聖書時代の信仰に生きた人々の信仰を受け継ぎ、なおかつ彼らが得られなかった約束である主イエス・キリストを得ているのです。だからこそ、この世のもっともらしい正しい理屈、正義に動じないのです。だからこそこの著者は「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」と呼びかけているのです。
「忍耐強く」とありますからこれは短距離走ではありません。長距離走です。マラソンです。長いレースです。準備はよろしいでしょうか?疲れる時もありましょう、怪我をする時もありましょう。ですが、この事を忘れないで下さい。私達のそばには主イエス・キリストがいるということを。そして走り抜いたあかつきには天国の市民権を手にいれることができるでしょう。
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