「奉仕する共同体」
2022年9月25日 聖霊降臨節第17主日礼拝
説教題:「奉仕する共同体」
聖書 : 新約聖書 Ⅱコリントの信徒への手紙 9章6-15節(335㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
教会では「奉仕」というものは大切なものです。本日の礼拝も教会の出席されている教会員の方々の奉仕によって成り立っています。本当に感謝です。ですが、本日の聖書箇所に出てくる奉仕というものは「献金」の事を意味しています。9章の小見出しには「エルサレムの信徒のための献金」とはっきり書かれています。しかし、9章の1節には「聖なる者たちへの奉仕について、これ以上書く必要はありません。」とパウロは言っています。「聖なる者たち」とはエルサレム教会の信徒たちであり、「奉仕」とは献金の事です。パウロはあえて「献金」という言葉をここでは使っていません。「献金」という言葉を使うと色々と誤解を招くとパウロが配慮したと推察します。
では、なぜコリントの教会に対してパウロがこのような事を手紙で書かなければいけなかったのでしょうか?
まず、第一にエルサレム教会が困窮していたことが挙げられます。その当時、パレスチナ地方というのは貧しい地域でした。さらに、エルサレム教会のキリスト教徒はユダヤ人が主だったと考えられますが、彼らはユダヤ教徒からキリスト教徒になったということです。彼らはユダヤ社会から孤立し、経済的な援助が受けられなくなったと推察します。さらにキリスト教はその当時ユダヤ教の分派とみなされ、ユダヤ教徒はキリスト教徒を迫害していたという事は使徒言行録をお読みになれば、お分かりになるかと思います。パウロ自身キリスト教徒に改宗するまではキリスト教徒を迫害する急先鋒でしたね。
確かにエルサレム教会の窮状は理解できましたが、ではなぜ、コリントの教会がエルサレム教会を助けるようパウロはこの手紙で促したのでしょうか?
ローマの信徒への手紙15章26節から27節でパウロはこのように言っています。「マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。」
エルサレム教会の窮状に対して援助の手を挙げたのは異邦人の教会である、マケドニア州の教会(フィリピ、テサロニケ)、そしてアカイア州の教会(コリント)であったのです。そして、パウロはこれらの教会はエルサレム教会から霊的な物(福音)を受けたのだから肉のもの(献金)で彼らを助けるのは当然だというのです。福音はエルサレムから始まりました。もちろん、主イエスのこの地上での伝道を考慮に入れるなら、ガリラヤから始まったというべきかも知れません。しかし、ペンテコステを教会の始まり、福音の始まりとするならば、エルサレムが始まりであり、エルサレム教会が始まりといえます。そこから人々が福音を携えて、異邦人の地に行き伝道をし、異邦人はその霊的な恵みである福音を受け入れたのです。ですから、異邦人は肉のものでエルサレム教会を助けるべきというパウロの主張は間違ってません。
さらに、パウロは釣り合いの事を言うのです。コリントの教会はその当時経済的に豊かな教会であったようです。ですから、豊かな教会であるコリントの教会が窮状にあるエルサレム教会を助けるのは釣り合いがとれることになるのではないかということなのです。そして、やがてもしコリント教会が困窮し、エルサレム教会が豊かになるとすれば、今度はエルサレム教会がコリントの教会を助ける事が出来るのではないかという事なのです。
それがパウロの言う釣り合いが取れるという事なのだと思います。パウロはこの事を出エジプト記16章18節を引用して説明しています。(IIコリントの信徒への手紙8章13節から15節)
さらに、その前でパウロは「…主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(IIコリントの信徒への手紙8章9節)
ここでパウロが言っている事は「コリントの信徒たち、あなたがたがキリスト者であるならば、主に倣うべきではないか?」という事なのです。パウロが引用した出エジプト記16章18節はこのように書かれています。「しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。」
これはかつてイスラエルの民が奴隷状態であったエジプトから主によって解放された時、主がマナを彼らに食料として与えました。その時、それぞれの人たちが足りない分もなく、余る分もなかったという事です。つまり、足りない分もなく、余る分がないのが、主の御心であるということだとパウロは言いたいのです。
さらに、主イエスは父なる神のところにいらしたが、私たちの罪の贖いのためにこの地上に来られました。そして十字架に掛けられて亡くなられるというお苦しみによって私達の罪の贖いをしたのです。また、この地上で伝道をなさっていた時はそれほど経済的に豊かであったという事ではありません。「人の子は枕する所もない。」と主イエスが仰った通りです。それは豊かであったのに貧しくなることであった。私たちもまた、主イエスの万分の1でもいいので、豊かである所から貧しくなるべきではないか。それがキリスト者として主イエス・キリストに倣う事ではないか、とパウロは問い、コリントの教会に献金を促している。
教会というものは共同体であるのですが、パウロにとってはエルサレム教会、コリントの教会、マケドニアの教会やその他の全ての教会がキリストにある共同体であるという考え方だったのではないでしょうか?その中でキリストに倣い、そして誰一人欠けることがない事が共同体であり、教会であるという考えだったのかも知れません。例えば、使徒言行録に書かれているエルサレム教会を見てください。今回はこの教会は困窮しており、異邦人の教会から献金でサポートしてもらう立場ではありますが、この教会では貧富の差というものがあまり存在していなかったようです。彼らは持ち物を共有していたからです。
「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。...信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」
(使徒言行録4章32節、34節から35節)
もちろん、このような持ち物を共有するというのは非現実的ですが、やはり、パウロは経済的に豊かなコリントの教会が困窮している教会を助けることによって貧しい教会のない教会の群れを目指していたと思うのです。
私たちもまた教団に属する教会ですし、本部に対して、そして教会外の活動に対して通常の献金以外の献金を致しております。
初代教会もまた、制度としてはなかったのですが、このように窮状にある教会を助けるという意識があった。つまり、自分達の教会だけが良ければそれで良いということではなかったのです。
もちろん、私たちも自分達の教会だけ良ければ良いと考えてはいないはずです。私達ももう少し広い視野を持ち、教会の活動以外の活動に関われればと考えます。
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