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「女性の働き」

2023年7月23日 聖霊降臨節第9主日

説教題:「女性の働き」

聖書 : 新約聖書 フィリピの信徒への手紙 4章1節-3節(365㌻)​

        ルカによる福音書 8章1節-3節(117㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 つい2週間程前のことですが、この教会で関東牧師会が開かれました。この新会堂を建ててから初めて関東の牧師先生をお招きしました。本来であれば、新会堂が建てられた年に関東の先生をお招きするのが慣例なのですが、その年が2020年、つまりコロナ元年ということがあり、そのような事が出来ませんでした。今年に入ってからようやく落ち着いてきて、牧師会で次の牧師会はこの教会でという要望があり、このような運びとなりました。ですので、新会堂といっても、正確にはもうこの会堂は3年以上経過しているわけでして、新会堂と言われることに少しの後ろめたさを感じることもあります。ですが、比較的新しいこの会堂に関東の先生をお招きすることが出来て感謝しております。


 そして関東牧師会当日、教会員の皆様に奉仕をしていただいた事に本当に感謝しております。その事について少し私が早合点をしていた事をお話させていただきます。私が関東牧師会をこの教会で行うという提案を牧師会で受けた時、正直に申し上げると、少ししんどいなという印象を持ってしまいました。といいますのは、予定は月曜日の平日でしたので、「礼拝日ではない平日に皆さんにも予定はあるだろうし、教会奉仕に来ていただくことを頼むのはいかがなものか?」と考えてしまったのです。ですので、皆さんが来られないという前提でこの話を受け取りました。ですので、なるべくこちら側の負担を軽くするため、最初はお弁当も先生自身で用意していただくように牧師会の方に連絡をしました。ですが、この関東牧師会をこの教会で開くという提案を役員会に持ち帰り、協議したところ、私が考えていたものとは違った好意的な反応がありました。そして多くの教会員の方々が飲み物やお菓子などを買い、当日、つまり平日に教会に来て、奉仕をしていただけるという事を聞き、驚くと同時に嬉しくも思いました。

 ですので、最初、牧師会に出席される先生にご自身でお弁当を持って来て頂く予定だったのですが、こちらで用意するようにいたしましたし、他の様々な物については皆さんに頼ってしまいました。

 コロナ禍ということもあり、礼拝と祈祷会以外の集まりはいままで極力なかったのですが、ちょっとした休息というものはあり、その準備をしていただいたのは教会員の方々でしたし、もちろん、礼拝、祈祷会、教会の会計、事務、清掃では皆さんに奉仕をしていただいています。このような皆さんの働きに感謝しております。そして私達の教会員は比率でいうと圧倒的に女性が多いので、どうしても女性の働きということに目がいってしまうのです。もちろん、男性の会員の方も色々と奉仕をしていただいて感謝していることは言うまでもありません。

 さて、聖書の世界では女性はどのような働きをしてきたと思われるでしょうか?当然今現在のように女性の人権(女性だけでなく一般的な人権もなのですが)は尊重されてはいなかったわけです。

例えば、あまり良い例ではありませんが、離婚を見てみましょう。マタイによる福音書19章3節から12節に書かれていますが、主イエスとファリサイ派との間でその事について問答がありました。

ファリサイ派の人々が「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか?」と主イエスに問いかけます。(3節)

その質問に対して主イエスは「創造主が初めから男と女に作り、彼らはやがて一体となるのだから、神が結び合わせてくださったものを人は離してはならない。」とお答えになられた。(4節から6節)

しかし、ファリサイ派の人々は「なぜモーセは離縁状を渡して離縁するよう命じたのですか?」と質問しました。(7節)

しかし、主イエスは「モーセはあなたたちの心が頑固なので、妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。」と仰った。(8節)主イエスは離婚について反対でファリサイ派の人々は賛成ということなのですが、今現在の考え方でいうと離婚をする事に反対することは人権に反していると言われるかもしれません。

ですが、問題はそこではなく、男性側が離縁状を出すという考え方であって、女性側には離縁状を出すことは出来ないということです。  

これ以外にも色々と女性に不利な制度があったと考えられます。

 確かに今のスタンダードでいえば、女性の権利が著しく制限されていたでしょう。しかし、女性は活躍しなかったのでしょうか?

 新約聖書の中でもルカによる福音書では女性の働きが多く書かれています。祭司ザカリアの妻エリザベトの洗礼者ヨハネの受胎と誕生、エリザベトの親戚マリアの主イエスの受胎、エリザベトとマリアとの邂逅、マリアの賛歌、罪深い女が石膏の壺に入った香油を主イエスの足に塗り、主イエスが彼女をお赦しになられたこと、そして、何といっても、主イエスが十字架の上で亡くなった後、主イエスの遺体を十字架から降ろして墓に入れるようピラトに願い出たのはアリマタヤのヨセフという議員で主イエスの弟子でなかったのですが、その人でした。そして、婦人たちは彼の後についていき、主イエスが埋葬されるのを見届けました。その時主イエスの弟子達はユダヤ人達を恐れて家に隠れていたのです。また、婦人たちはその後、主イエスの遺体が葬られた墓に香料を塗るために行き、そこで主イエスのご復活に立ち会う事となるのです。復活に立ち会った婦人たちは弟子達の元にその事を知らせに行くのです。

 これらの事を考えるとどうしても女性たちのほうが男性の弟子達に比べると働いているなという印象を受けてしまいます。

本日の第一の聖書箇所は使徒パウロがフィリピの信徒へ送った手紙です。1節でパウロはこう言っています。「…主によってしっかりと立ちなさい。」つまり、パウロにはフィリピの教会に対して懸念があるということでしょう。少し前の箇所フィリピ3章2節から3節に書かれていますが、割礼をさせようとする輩がいて、彼らがパウロに対しての敵対者であり、パウロは彼らに警戒しなさいと言っています。これがパウロが4章1節でフィリピの信徒に「主によってしっかりと立ちなさい。」と言っている理由だと考えられます。


 2節でパウロは「エボディア」と「シンティケ」に主において同じ思いを抱くよう勧めています。つまり、この二人の女性たちの間で何か不一致というか、諍いがあったのだろうと推察されるのです。さらに、3節では真実の協力者にもこの二人の婦人たちの諍いを止めるようもとめています。二人の女性たちの詳細な情報はわかりません。ですが、使徒言行録16章13節から15節に書かれている異邦人の女性たちではないかということです。この中でティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人が出てきます。彼女は主によって心開かれ、パウロの話を注意深く聞きました。その後彼女と彼女の家族も洗礼を受けたのですが、パウロを彼女の家に招待し、泊まらせたということです。このリディアという女性がパウロを経済的に支えたであろうと言われています。そして本日の聖書箇所に出てくるエボディアとシンティケという女性たちもこのリディアという女性の仲間で初期のフィリピの教会の立ち上げに貢献した女性達であったろうということです。ですが、彼女たちがなんらかの問題で揉めているということです。


 もちろん、彼女たちの諍いというものが解決しなければならないとパウロが認識したからこそ、この手紙でその事に言及したのですが、逆にこれらの女性たちがこのフィリピの教会で重要な役割を担っていたということの表れでもあったと考えられます。

先程もいいましたが、パウロは彼女たちに「主において同じ思いを抱きなさい。」と手紙で言っています。端的に言えば彼は彼流の言い回しで(クリスチャンとして)彼女たちに「和解しなさい。」と言っているのです。この手紙の少し前の箇所を見てみて下さい。フィリピ2章1節から12節です。このような思いをパウロは彼女たちに持って欲しいと願っていたのではないでしょうか?もし彼女たちがこのような思いを持っていたなら、このような対立など持ちようがないとパウロは思っていたのではないでしょうか。しかし、パウロは彼女たち自身だけにこの問題の責任を負わすことはしていません。フィリピ4章の3節では真実の協力者にこの二人の女性達(婦人達)を助けるよう頼んでいます。この真実の協力者というのが誰なのかはわからないのですが、おそらくはパウロが伝道旅行で一緒にフィリピに行って教会を立ち上げ、パウロがこの地を離れた時に、残った人物であろうとのことです。ですが、パウロが「真実の協力者」と言っているのですから、相当信頼されている人物なのでしょう。この真実の協力者、クレメンスや他の協力者たちと同様にこの「エボディア」と「シンティケ」という女性の事をパウロは大切に思っているのです。だからこそ、パウロはこの真実の協力者に「二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。」と言っているのです。


 本日の第2の聖書箇所に行きます。ルカによる福音書8章1節から3節です。いままで、パウロの手紙の話をしてきました。ここでは主イエスのこの地上での伝道の事をお話しますので、時系列的には戻る形となります。主イエスがこの地上で伝道をなさっていた時、御言葉をお話になり、奇跡を行っていたということは皆さんもご存知かと思います。そして弟子達も主イエスと一緒だったということもご存知かと思います。1節に書かれています。ですが、2節から3節にかけてこのように書かれています。「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」

ラビと弟子達は一緒に行動するというのは珍しくないのですが、このように女性達が一緒に行動し、奉仕をするというのはめずらしかったのではないでしょうか?


 このように聖書においてと言っても新約聖書においてだけなのですが、女性がその当時与えられた権利や地位に比べると、ものすごく活躍しているのがわかります。ラザロの姉妹であるマリアとマルタの物語、そしてサマリアの女性の話は話せばさらにこの時代女性達が活躍していたことがわかるでしょう。神はこのように女性を伝道に招いてきました。そして、今でも神は女性達を招いているのです。

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