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「宣教への派遣」

2021年8月1日 聖霊降臨節第11主日礼拝

説教題:「宣教への派遣」

聖書 : 旧約聖書 ヨナ書 3章1−5節 (1447㌻)

   新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 11章23-27節(338-339㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 キリスト教の宣教には様々な困難があります。その困難の一つに文化的違いがあります。一般の日本人にとってキリスト教と言えば、クリスマスそして結婚式のイメージがありますが、神道や仏教ほど馴染みがあるわけではありません。そして今年は新型コロナウィルスで中止となっていますが、夏祭りや盆踊りはキリスト教の祭り、クリスマスは別ですが、それ以外のイースターなどのイベントより、一般の日本人に浸透しているのが現状です。しかし現在最もキリスト教の宣教で困難なことといえば、昨年から続いている新型コロナウィルスではないでしょうか?思うように集まり、礼拝することが出来ないからです。実際、感染者数が今までにないほどに増加し、緊急事態宣言が特に増加の著しい東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、沖縄県、大阪府に発令されることになり、私共の教会も礼拝と祈祷会は自由参加ということにいたしました。


 しかしキリスト教の宣教に対する困難というものは昔から存在しました。ローマ帝国が支配していた時代にキリスト教は迫害され、キリスト教徒が殉教したこともありましたし、日本においてもキリスト教が禁止されていた時代キリスト教徒が迫害や拷問をされ、殉教された方々もいました。


 今回は二人の人物を通して神の宣教と宣教の困難さを見ていきたいと思います。まずヨナという人物です。「主の言葉が再びヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。』」とヨナ書3章1節から2節にあります。1節に「再び」とありますので、主はこの前にヨナに声を掛けられています。主は最初なんと言われたのでしょうか?ヨナ書1章の2節にあります。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」とあります。つまり、ニネベという大都市に行って、主に対して悪を行っている人々に悔い改めて主に従うように宣教しなさいとヨナに命じているのです。


 しかし、この主のご命令にヨナは逆らいます。彼はニネベではなく、ヤッファに下り、タルシシュ行きの船に乗り込んだのです。3節に「ヨナは主から逃れようとして出発し」とあり、さらに「人々に紛れ込んで主から逃れようと」とありますので彼の逃亡は確実です。もちろん彼はイスラエル人であり、主の民であったので、主のご命令に従うのは当然なのですが、彼には主のご命令に逆らう理由がありました。ニネベという都市はアッシリア帝国の都市でした。当時アッシリア帝国はイスラエル王国を何度も攻撃していました。いわばヨナにとってニネベとそこに住んでいる人々は敵であったのです。「そんな敵の悔い改めのために宣教するなんてできるか。」という思いをヨナは持ってしまったのかもしれません。さらに言うならば、もともとイスラエル人は自分たちを神の民と思っていました。そして、彼ら以外の人々は神に救われないと考えていました。そのような思いから、このヨナが主のご命令に逆らい、逃げ出してしまったことは想像できます。


 しかし、これこそが宣教の困難さなのです。このヨナの「自分たちを苦しめている人々が救われるなんて許せない。」という思いと「イスラエル人達だけが神に救われる」という考えはヨナの宣教によってニネベの人々が悔い改め、救われるという神の御計画の邪魔になっていたのです。ですから、神はヨナの乗り込んだ船を嵐に遭わせました。ヨナは同じ船に乗っている人々によって嵐に猛った海に投げ込まれますが、主は大きな魚を送り、投げ込まれたヨナを捕らえさせました。そしてヨナは三日三晩魚の腹にいました。ヨナはそこで悔い改め、主に祈ったので主が魚に命じてヨナを陸に吐き出させました。これが本日の第一の聖書箇所でヨナがニネベで宣教をするまでの話です。


 そして今回はヨナは主の命じられた通り、ニネベに行き、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」と言い続けた。ヨナの宣教です。ニネベの人々はヨナの宣教を聞いてどうしたでしょうか?王から身分の低い者、そして家畜に至るまで悔い改めたと5節から10節に書かれています。そして彼らが悔い改めて、悪の業から離れたのを見て、主は下そうとしていた災いを彼らに下しませんでした。これは驚くべきことであったと思います。アッシリア帝国の大都市であるニネベの人々がどこからともなく現れた普段自分たちが攻撃しているイスラエル人のヨナの言うことを馬鹿にせず、真摯に受け止めたのです。彼らはヨナに「悔い改めなさい」と具体的に言われたわけでなく、自主的に判断し、悔い改めました。そして王は家畜に至るまで悔い改めの姿勢を取らせたということです。ここまで見てきますと、主がヨナに命じたニネベの宣教は成功だったと言えます。さらにもう少し詳しく見ていきますと、この主がヨナに命じたニネベへの宣教の困難さとは主から命じられたことを拒否し、主から逃げ出したことです。そして彼のこの行動は「自分たちをいじめている人たちを救うなんてとんでもない」「私達は神の民であり、彼らは異邦人だから、彼らが滅びるのは当然だ」といった彼の人間的な感情から来ています。しかし、主はそんな宣教の困難さを取り除く力があります。主はそんな逃げているヨナを嵐に遭わせ、大きな魚に飲み込ませ、彼を悔い改めの祈りに導いたのです。そして彼を再びニネベへの宣教へと導き、その宣教は成功しました。


 本日の第二の聖書箇所のパウロはどうだったでしょうか?ここは改心したパウロがダマスコで宣教した後、エルサレムに来た時の話です。使徒言行録9章26節にこう書かれています。「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。」


周りの人々のこの反応は当然と言えば当然なのです。今まで、彼はキリスト教徒を迫害していたからです。しかし、周りの人々から弟子と認められず、恐れられていては宣教など出来ません。これも彼が宣教するうえでの困難さです。しかしこの周りの人々のパウロに対する疑念や恐れはバルナバの説明によって解消されました。「しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。」と27節にあります。もちろん、ここでバルナバが素晴らしいと言うことも出来ます。しかしこのパウロの宣教の困難と障害がバルナバの説明によって取り除かれたこともまた主が働いていたのではないかと考えております。パウロを召したのは主です。そして、主は御計画に基づいて、パウロに宣教を担わされました。そして、パウロの宣教を見てみますと、彼は様々な困難に見舞われました。しかし、その困難の中でもパウロは主に救われてきたのです。彼自身が受けた困難について語っている箇所がコリント信徒への手紙II 11章23節から27節にあります。「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らず過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに震え、裸でいたこともありました。」

このような困難に直面してもパウロが宣教を続けてこられたのは主が御計画に従い、宣教の妨げになるものをその都度取り除き、パウロに逃れの道を用意していたからにほかなりません。


 私達がこれからキリスト者として生きていく上でも、宣教においても様々な困難に遭遇します。しかし、主はヨナに対してしたように、パウロに対してしたように、私達一人ひとりのために用意された御計画に従って行動されます。そしてその御計画の妨げになるような困難は必ず取り除かれます。

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