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「心をかたくなにしない」

2021年2月7日 降誕節第7主日礼拝

説教題:「心をかたくなにしない」

聖書 : 新約聖書 ヘブライ人への手紙 3章13-15節(404㌻)    

説教者:伊豆 聖牧師


 頑固さ、強情な事は世間一般ではあまり好意的に受け取られません。頑固な人、強情な人はともすれば独善的、もしくは人の話を聞かない人と思われてしまい、特に周りの人の意見に耳を傾けなければならない状況で、そういう人は疎まれ、批判されます。もちろん、頑固さ、強情さというものが必要な事もあります。例えば、周りの人たちの意見が明らかに間違っている場合などはそれらの意見に対して強く反対する事も必要でしょう。また、逆に自分の意見をしっかり持っていなくて、常に周りの意見に流されてしまうというのもまた問題があります。特にその人が責任ある立場であれば、なおさらです。

 本日の聖書箇所はこういった人間的な意味での頑固さや強情なことではなく、神に対しての頑固さや強情な事を話しています。神に対しての頑固さや強情なこととは神に反対することであり、聖書にしばしば「心をかたくなにする」という言葉で出てきます。13節には「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。」とあります。「罪に惑わされてかたくなにならないように」ということですが、どういうことでしょうか?先程「心をかたくなにする」という事は神に反対し、神に対して頑固になり、強情になる事であると言いました。ですので、人は罪に惑わされて、神に反対し、神に対して頑固になり、強情になるということです。いわば、人が神に反対し、神に対して頑固になっている状態はその人が罪の状態にいるという証拠であるということです。ですので、そういう状態にならないようにとこの手紙の著者は相手に警告すると同時に励ましています。どのようにしたらこの「心をかたくなにする」状態から逃れることが出来るのでしょうか?「『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。」とあります。私も含めてなのですが、人は弱い者なので、一人では罪に惑わされ、心をかたくなにしてしまいがちです。私共の教会では月に2回、第1と第2の木曜日午前11時から1時間、祈祷会を行なっています。その中で、よく話されていることは教会に来ている時や祈祷会に来ている時は神様の事を考えるのですが、いざ日常生活に戻ってしまうと神様の事を忘れてしまいがちになってしまうということなのです。もちろん、日常生活でも神様の事を考えて生活する事が理想なのですが、なかなか難しいのです。しかし、このように礼拝や祈祷会に来られ、反省し、励まし合い、神様を礼拝することが出来ることは素晴らしいと思います。そして、この手紙の著者は日々励まし合いなさいと相手に推奨しています。そして、重要なことは「今日」なのです。「今日という日に」なのです。明日でなく、明後日でなく、一週間後ではなく、今日なのです。私たちは今日、心をかたくなにせず、神の言葉を素直に受け入れなければいけないとこの手紙の著者は言っています。そして、そのために今日私たちは、この礼拝で励まし合うことが必要です。

 そして、14節にはこう書かれています。「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なるものとなるのです。」最初の確信とは何でしょう?それは私たちがキリストに救われた確信、キリストを受け入れた確信です。証と言われるものです。私は皆さんの証集を読ませていただきましたが、素晴らしいものであると思っております。特に印象的だったのはこの前召天された方の証です。私はその方の召天記念会で一部を読ませていただきましたが、大変に心を打つお証だったと思います。

 この14節でこの著者が言っていることは皆さんが持っている証を最後まで持ち続けてくださいということなのです。先程の祈祷会の話にあったように、私たちは礼拝や祈祷会では神様の事を考えますが、いざ教会を離れると神様の事を忘れがちになり、日々の生活に埋没してしまいます。私たちは弱いのです。そして、私達の証を忘れてしまいがちです。ですから、この証を忘れないようにしましょう。そうすれば、私たちは「キリストに連なる者となる」からです。「キリストに連なる」とはキリストと関係を持つという事です。皆さんが読んでおられる新共同訳には「キリストに連なる」となっていますが、別の訳例えば口語訳や新改訳では「キリストにあずかる」となっておリます。この意味はキリストに関係するというだけでなく、キリストの分け前に預かるという事もありますので、より具体的であるかもしれません。このキリストの分け前に預かるとはキリストが得たものを手にいれることが出来るということです。それは第2テモテ2章11節から12節に書かれています。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。」

 私たちはキリストと共に預かる勝利のためにこの証を持ち続けないといけません。この継続が大切です。私達の信仰生活は短距離走ではなく、マラソンです。そのためにキリストにあって日々励まし合い、今日という日を大切にしてください。そして、15節「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」とあります。私達には神に反抗するかたくなな心があります。事実、神に選ばれたイスラエルの民は神に逆らってきました。この15節はその事を含んでいます。しかし、同時にそうであってはならないとも言っているのです。私たちは心をかたくなにしないよう神に祈ろうではありませんか。

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