「悪を善に変える神の計画」
2021年7月18日 聖霊降臨節第9主日礼拝
説教題:「悪を善に変える神の計画」
聖書 : 旧約聖書 創世記 45章4−8節 (81-82㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
ヨセフは聖書の中で数奇な人生を辿った人物の一人です。彼はヤコブの息子として生まれましたが、多くの兄弟がいました。ヤコブにはレア、ラケルという二人の正妻とレアの召使いで側女のジルパとラケルの召使いで側女のビルハがいたからです。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルンがレアの息子で、ラケルの息子がヨセフとベニヤミン、ジルパの息子がガドとアシェル、ビルハの息子がダンとナフタリです。この事は創世記35章23節から26節に書かれています。
そして、ヨセフと他の兄弟たち特にビルハとジルパの息子達との仲は良くなかったようです。その原因はヨセフの父であるヤコブがヨセフを他の息子たちよりもかわいがったからです。ヤコブがヨセフを他の息子たちよりもかわいがったのはヨセフが年寄り子であったからだと聖書に書かれています。ヤコブがいかにこのヨセフをかわいがっていたかを表すエピソードとしてヤコブが息子ヨセフに裾の長い晴れ着を作ったという話が創世記37章3節に書かれています。つまり、ヤコブはヨセフを特別扱いしていたわけです。これが良くない。兄弟の間で特別扱いというか差別が起こると、特別扱いされなかった方は特別扱いされた方に対して嫉妬、そして怒りという感情が芽生えがちです。事実ヨセフの兄弟たちは彼に対して嫉妬し、彼を憎みました。「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。」と創世記37章4節に書かれています。ヨセフが彼の兄弟たちに憎まれた原因は他にもあります。ヨセフは彼の兄弟たちのことを父であるヤコブに告げ口しました。彼の兄弟たちにとって不都合なことをべらべらと父に報告されるのです。彼らにとってみれば、ヨセフは裏切り者であり、厄介者であったのは間違いないです。
さらに、ヨセフが彼の兄弟たちに憎まれた理由として彼が夢をよく見て、それを彼の兄弟たちに聞かせたのですが、その内容が彼らを苛立たせることだったのです。その時代、夢というものは何か特別なもの、例えば未来を暗示するビジョンのような意味を持っていました。ある日ヨセフは彼の兄弟たちに彼の夢を話しました。「畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」と創世記37章の7節にあります。ヨセフが言った「わたしの束」とは「わたし自身」すなわちヨセフを指します。「兄さんたちの束」とは「兄さんたち自身」を指します。つまり、「自分の兄弟たちが自分にひれ伏すであろう」ということをヨセフは自分の兄弟たちに告げたのです。このことを告げられた彼の兄弟たちは面白くなかったでしょう。面白くなかったどころではありません。彼らはヨセフに対して大激怒しました。彼らはヨセフにこのように言い放ちました。「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか。」そして、「兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。」と創世記37章8節にあります。
父ヤコブによる息子ヨセフのかわいがり、ヨセフの告げ口、ヨセフの見た他の兄弟たちを苛立たせる夢、そして本人は自覚があったかどうかはわかりませんが、わざわざ彼の兄弟たちに告げたことが折り重なって、兄弟たちのヨセフに対する嫉妬と憎悪に繋がって行ったのだと考えられます。兄カインが弟アベルを殺害した理由は神が弟アベルの献げ物を顧みたにもかかわらず、兄カインの献げ物を顧みなかったからです。そのことに兄カインは弟アベルに嫉妬したのです。また兄エサウが弟ヤコブに対して怒りを燃やし、殺そうとまで決意したのは本来兄エサウが持っていた長子の権利と彼の父であるイサクからもらう祝福を弟ヤコブが巧妙に兄エサウの手から奪ったからです。ヨセフが彼の兄弟たちの告げ口を父ヤコブにしていましたが、この巧妙さは兄エサウの手から長子の権利と祝福を奪ったヤコブを彷彿とさせます。カインとアベル、エサウとヤコブ、そしてヨセフと彼の兄弟たちの間で嫉妬と憎しみは共通しているのです。そしてそれらは罪なのです。
ヨセフの兄弟たちはヨセフに対して嫉妬と憎悪を募らせていき、ある日とんでもないことをヨセフにしてしまいました。当初、彼らはヨセフを殺そうと計画しました。しかし、ヤコブの長子ルベンはそのことには反対し、穴に落とすだけにしようと提案し、彼らはヨセフを捕らえ、穴に落としました。しかし、ユダがヨセフをイシュマエル人の商人に売ろうと提案し、兄弟たちもそれを了承したので、ヨセフは銀20枚でイシュマエル人に売り渡され、エジプトに売られてしまいました。そして兄弟たちはヨセフの着物に殺した雄山羊の血を付け、それを父ヤコブの所に持っていき、父ヤコブにヨセフが悪い獣に殺されたと思い込ませました。ヤコブはひどく嘆き悲しみました。
ヨセフは銀20枚でエジプトに売られたのですが、売られた先はファラオの宮廷の役人で、侍従長のポティファルという人の所でした。主がヨセフと共にいたので、主はこの侍従長の家を祝福し、ヨセフがすることをうまくいかせるようにしたので、この侍従長もヨセフに目をかけ、家の管理と財産の管理をヨセフに任せました。しかし、そこでこの侍従長の妻がヨセフを誘惑しました。彼はそれを断りましたが、彼女の嘘にだまされた侍従長によって牢屋に入れられてしまいました。
ヨセフは王に過ちを犯して牢屋に入れられた給仕役と料理役に出会います。その時、彼は夢を見て悩んでいた彼ら二人の夢の解き明かしをしました。料理役の方は残念ながらヨセフの夢の解釈通り、ファラオに殺されてしまうのですが、給仕役の方は再びファラオの給仕役として仕える事ができるだろうというヨセフの夢の解き明かしの通りになりました。ヨセフは彼の夢の解き明かしをした時、その給仕役に自分の身の上を話し、無実を訴え、彼が復職したときにファラオにヨセフが牢屋から出られるよう取り計らってほしいと頼んだのですが、その給仕役は復職した時、このヨセフとの約束をすっかり忘れていました。
ファラオがある夢を見ました。それはナイル川からよく肥えた7頭の雌牛が上がってきて岸辺で草を食べ、その後7頭の醜い、やせ細った雌牛が川から上がってきて、その肥えた7頭の雌牛を食べ尽くしたという夢でした。ファラオがそこで目が覚めたのですが、再び眠りにつくと、一本の茎からよく実り太った7つの穂が出てきたが、その後、実が入っていない、東風で乾燥しきった実のない7つの穂がでてきて、先に出てきたよく実り太った7つの穂を飲み込むという夢を見ました。ファラオはその夢のことが気になり、悩み、エジプト中の魔術師や賢者に相談をしましたが、誰一人ファラオの夢の解き明かしをすることが出来ませんでした。その時、先の給仕役が夢解きをしたヨセフの事を思い出し、ファラオに夢解きの事を伝え、ファラオはヨセフに夢解きをさせるため彼を牢屋から連れ出させました。ヨセフにファラオの夢の解釈をさせるためです。すなわち、7頭の太った雌牛と7頭の醜いやせ細った雌牛の夢そして7つの実の入った穂と実が入っていない7つの東風で乾燥しきった穂の夢の解釈をファラオはヨセフに命じます。
ヨセフは神がこれからエジプトになさることをファラオに告げたのだと言い、エジプト全土に7年間の大豊作とその後7年間の飢饉が続くと告げます。そして、その飢饉があまりにひどいので、対策として7年間の豊作の時にエジプトの国産物の5分の1を徴収し、この徴収した国産物をファラオの管理下に置き、これを後の7年間の飢饉の時の備蓄とすることでこの飢饉に対処出来るということをヨセフはファラオに提言しました。このヨセフの提言にいたく感心したファラオはヨセフを宮廷の責任者としました。それだけでなく、ヨセフはエジプト全国の上に立てられ、これから起こる豊作と飢饉に関しての責任者として働くこととなります。その事情は創世記41章37節から57節に書かれています。
ここまでヨセフの人生を見てきたのですが、何という人生の起伏でしょうか?彼は父ヤコブに愛されて、色々と良くしてもらっていたが、それが原因で兄弟たちから疎まれ、嫉妬され、憎まれ、ついには兄弟たちによって銀20枚でエジプトに売られてしまいます。なんという悲惨な人生なのだろうと同情してしまいます。しかし、彼の人生はここで終わりません。彼が買われた家で主は彼と彼が仕えていた主人の家を恵まれました。そして、主人も主がヨセフを恵まれていることを分かっていたので、ヨセフに家のことを任せていたのです。しかし、ここでヨセフの主人の妻の誘惑があり、彼は無実にも関わらず、彼女の策略によって牢屋に入れられてしまいます。しかし、主は見捨てず最終的にヨセフはファラオの夢を解釈することができました。そして彼のこれから起こるエジプトの豊作と飢饉に対する具体的な提言はファラオと彼の家臣を感心させ、ヨセフを王の宮廷の管理者そしてエジプト全国の上に立つ者とさせました。奴隷からこんな地位に上り詰めることを誰が想像したでしょうか。奴隷という最悪の状態から善と申しますか素晴らしい状態にヨセフはしていただいたということです。
しかし、神のご計画は私達の想像を遥かに超えた所に存在するのです。まだヨセフが彼の家族と一緒に暮らしていた時に彼が見た夢を思い出してください。彼の束に向かって兄弟たちの束がひれ伏すという夢です。そして、それは現実となるのです。7年間の豊作の後7年間の飢饉はエジプトだけでなく、カナン地方に住んでいたヤコブの家族、つまりヨセフの家族たちをも襲いました。エジプトに食料があるということを聞いたヤコブは彼の息子たちにエジプトに行って食料を買ってきてくれと言い、彼らはエジプトに買いに出かけました。その時、行政の長であるヨセフが何度か彼らと会いました。ヨセフは彼らのことを分かったのですが、彼らはヨセフとわかりませんでした。そして、ヨセフが何度か彼らに会って、自分の正体を隠していることがいたたまれなくなって、今回兄弟たちに自分の正体を明かしたのです。もちろん、ここに至るまでにヨセフ(彼の兄弟たちはまだヨセフとわからなかった)が彼の兄弟たちに対して厳しい要求をしてきたということがあります。それは少し長くなりますが、創世記42章から44章に書かれています。そして、ヨセフが兄弟たちに厳しい要求をしてきた理由ももしかすると彼に対して行ったひどいことに対しての復讐だったのかもしれません。
しかし、ヨセフは彼らを赦したのだと思います。だからこそ身分を明かしたのです。だからこそ、本日の聖書箇所の創世記45章5節でヨセフは「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」と言い、7節で「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。」とも言っています。
私はヨセフ個人の人生に関して述べてきましたが、そこでは神のご計画によって、ヨセフに対してされた悪が善に変わっていきました。銀20枚でエジプトに奴隷として売られたヨセフがエジプトの宰相ともいうべき存在になったのです。しかし、今回はヨセフ個人の人生だけでなく、ヤコブもしくはイスラエルと言った方がよいかもしれませんが、ヤコブとその息子たちも救われたのです。もしヨセフがエジプトに売られていなければ、そして宰相になっていなければヤコブとその家族は餓死していたかもしれません。それではモーセの出エジプトもありませんでしたし、イスラエルという国の形成もなかったはずです。そういう意味で神のご計画はすばらしいですし、神はご計画に従って悪を善に変える事が出来ます。そして、ヨセフが神に信頼していたことも忘れてはいけません。創世記40章8節で王の給仕役と料理役が自分たちが見た夢の解き明かしをしてくれる人がいないと嘆くのですが、ヨセフはこのように答えました。「解き明かしは神がなさることではありませんか。」またファラオがヨセフに夢の解き明かしが出来るかと尋ねられて、ヨセフは「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」と言われました。創世記41章16節です。このヨセフのように主に栄光を帰する姿勢が大切です。このヨセフの人生に私達の人生を投影することが可能なのです。私達キリスト者もヨセフのようにひどい目にあったりします。キリスト者だからあわないということはないのです。しかし、私達はご計画に従い悪を善に変える神を信頼しているのです。この前の祈祷会で、リック・ウォレンさんの著書「人生を導く5つの目的」であらゆる問題の背後には神の目的があると言っています。このヨセフの場合ではヨセフが銀20枚でエジプトに売られたことはヤコブの家族を救うことに繋がっていたわけです。パウロはローマの信徒への手紙8章28節でこのように言っています。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
私達もヨセフのように逆境にめげず、神に信頼して日々歩んでいきましょう。
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