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「救いの泉」

2024年7月14日 聖霊降臨節第9主日

説教題:「救いの泉」

聖書 : イザヤ書 12章1節-6節(1079㌻)​​​

​   ヨハネによる福音書 7章37節-39節(179㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 本日は皆さんに謝らなくてはいけないことがあります。本日は創立記念日礼拝ということなのですが、私勘違いをしておりまして、7月の第三週の日曜日、つまり来週21日(日)が創立記念日礼拝なんです。すいません。ですので1週間早い創立記念礼拝をしているわけです。ですが、私は教会員の方による素晴らしいお証を聞き、また別の方による素晴らしい独唱を聞くことが出来たことを感謝します。以前は誰かがお証をするということはあったようですが、私がここに使わされてから初めての経験でした。主がお二人を通して働いておられることを感じております。ですので今日、創立記念日礼拝を行うことは主の御心であると信じております。


 さて世間を見渡せばあまり良いニュースが聞こえてきません。政治の世界で言えば、国会議員の裏金がどうのということがまだありますし、防衛省も裏金、不正、情報漏洩があり、多くの職員が処分されたということを聞きます。また私達は埼玉に住んでいるので直接は関係ありませんが、東京都知事選挙が終わりましたね。ですが、いままでとは違い悪い意味で目立った選挙でもありました。候補者でない関係のないポスターを貼ったりとこれまでの常識とはかけ離れたことが行われていました。また選挙戦で2位につけた方、3位につけた方の言動も挑戦的でマスコミの注目を浴びているようです。選挙の総括ということで2位、3位につけた方にインタビューをしたりするのは構わないのですが、それよりマスコミは都知事になられた方、そして都議会を注意深く見ていかなくてはならないと思うのですが。経済を見てみても物価が高くて大変です。いじめ問題や陰惨な事件もあります。 


 政治、社会、マスコミ、経済を見てみると憂鬱になってしまうのは私だけでしょうか?確かにこのような現実を見てみますと本当嫌になってしまいます。ですがこれらの事から目を外して神の方に目を向けてみれば別の景色が広がるのです。


 本日の最初の聖書箇所を見てみましょう。イザヤ書で、救いの感謝とありますね。どういうことでしょうか?私は何度も説教で話してまいりましたが、預言者が活躍していた時代というのはイスラエルの人々が主に反逆した時だったのです。彼らは偶像礼拝に走り、国内では不正がはびこり、弱者が踏みにじられた時代でした。最終的にユダ王国はバビロニア王国に滅ぼされ、人々は捕囚としてバビロンに連れて行かれました。バビロン捕囚とよばれます。ですが最終的にペルシャによってバビロニア王国は滅ぼされ、彼らは故郷に戻されます。


 本日の聖書箇所で預言者イザヤはこの事を預言しているのです。「あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。」とあります。バビロン捕囚もバビロンから故郷に戻ることが出来たのも何も地政学的なものではないのです。もちろん実際に行ったのはバビロニア王国であり、ペルシャでありますが、その背後に主がおられたのです。つまり主のご計画であったということです。その主のご計画によってこれから起こることを告げるのがイザヤ書の素晴らしいことなのです。この書は「自分達を救ってくださる主への感謝、賛美、信頼、喜び」に満ち溢れているということです。

「主よ、わたしはあなたに感謝します。」(1節)

「わたしは信頼して、恐れない」(2節)

「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」(3節)

「主に感謝し、御名を呼べ。」(4節)

「主にほめ歌をうたえ。」(5節)

「シオンに住む者よ 叫び声をあげ、喜び歌え。」(6節)

 まさに主は救いの泉であり、人々は救いの泉から水を汲むのです。つまり救われた彼らは主の御教に従うということです。まさに彼らは救われた当初、つまりバビロン捕囚から故郷に戻った時はそうでした。エズラ記、ネヘミヤ記などを読んでみると色々な他民族による妨害や人々の間に不信仰などはあったのですが、改革によって人々の心が主に向かっていき主の御心に叶うことをするようになっていったのがわかります。これも行ったのは人々ではありますが、その背後に主のご計画があったということです。


 本日の第2の聖書箇所を見てみますと、主イエスはこう仰っています。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネによる福音書7章37節から38節)


 ここでは主イエスが救いの泉であって、主イエスを信じることによって、御言葉と霊が信じる人々の内に満ちあふれるようになると宣言されたのです。この事はサマリアの女性の所でも話されたと思います。(ヨハネによる福音書4章1節から42節)


 イザヤ書ではバビロン捕囚からの解放こそが直接の救いということでした。そして主イエスが仰られる救い、つまり主イエスを信じる人がその人の内から生きた水が川となって流れ出るという状態は罪からの解放です。ですから表面的には救いの状況が違っています。しかし大事なのは中身です。イザヤがこの預言で言っていることはどういうことでしょうか?イザヤが預言する人々の心はどういう状態だったでしょうか?彼らの心は主への感謝、喜びで溢れていました。彼らは主である救いの泉から水を汲み、彼らの心は主に支配されていたのです。


 主イエスが仰った「主イエスを信じる人はその人の内から生きた水が川となって流れ出る」という状態もまたイザヤ書に出てくる人々の心の状態と同じではないでしょうか?つまり主に支配されることです。浦和教会は1952年関谷 紀美也先生から始まり、関谷 忍先生を初め多くの牧師先生や信徒の方々のご努力とそしてなによりも主の導きによって福音伝道をしてまいりました。それは救いの泉である主イエス・キリストの生ける水を人々に与えることであったということを確信しております。

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