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「新しい契約」

2021年10月17日 聖霊降臨節第22主日礼拝

説教題:「新しい契約」

聖書 : 旧約聖書 創世記 9章10-13節(11㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 「契約」と聞いて、私達は何をイメージするでしょうか?何かビジネスライクな、固い、そして冷たい感じがするかと思います。そして、私達にとってはあまり関係のないことのように感じるかもしれません。しかし、私達は普段の生活をしていく中で意外にもこの「契約」というものをしているのです。例えば、部屋を借りる時には、不動産賃貸の業者を訪ね、部屋を探してもらいます。

そして、紹介してもらった部屋が条件面で折り合いが付けば、借りるのですが、その時に業者から契約書を提示され、よく読みそこにサインをします。銀行の口座を開く時、クレジットカードを作る時、携帯電話会社に申込みをする時、自分の子供を塾や習い事に通わせる時、自動車を買うもしくは借りる時、そして不動産を購入する時も契約書に記入する必要があります。しかし、私達の感覚からすると、神様はこの「契約」という物から遠いイメージではないでしょうか?もしくは神様はこの「契約」という物から遠くあって欲しいという願望を私達は持っているのかもしれません。それは神様は聖なる存在であるから、そのような世俗なそしてビジネスライクな「契約」などといった物とは一線を画すべきであるとの私達の考えから来ているかもしれません。神様が契約書を私達の目の前に持ってきて、私達にサインをするよう求める場面を想像すると何か幻滅してしまいます。しかし、私達が信じる神は「契約」の神であり、人と様々な「契約」をすることによって、人類を救いへと導いてきた神であることを忘れてはいけません。


 神は神の言葉で世界を、そこに住む生き物を、そして最後に人間を創造されました。神は彼らを祝福してこう言われました。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1章28節)

最初の契約です。

 

 しかし、アダムとエバは「それを食べれば神のように善悪を知る者になれる。」という蛇の言葉に騙され、神が食べることを禁じた「善悪を知る木の実」を食べました。彼らの目は開かれましたが、それまでの神との良好な関係が崩れ、罪と呪いと死が神の創られた「楽園」に入り込んだのです。創世記3章16節から19節にその事が書かれています。結果としてアダムとエバは神が創られた楽園から追放されました。


 アダムとエバが犯した罪、すなわち「神のようになりたいと思い、神のいいつけに逆らったこと」を私達は原罪(げんざい)と呼び、これを私達はずっと背負っています。しかし、この原罪から派生して様々な罪を人間は生じさせてしまいました。不謹慎かもしれませんが、今は少し減少傾向にありますが、新型コロナウィルスが増殖し、さらに強力な変異株の出現のような状態を見るようです。

例えば、アダムとエバの長男はカインと呼ばれる人物で、農業者となりました。次男はアベルという人物で、羊を飼う者となりました。神がアベルの献げ物を顧みて、カインの献げ物を顧見ませんでした。カインはその事でアベルに嫉妬し、アベルを殺しました。

人類初の殺人、しかも兄が弟を殺したのです。「神と同じ様になりたい」という自尊心によって神に逆らった事はアダムとエバの罪です。そしてカインの罪は弟への嫉妬と殺人です。この罪の広がりに私は着目しました。この事を犯したカインは本来、殺されるべきだったかもしれません。しかし、神はカインを殺さず、かえってカインを殺す者は七倍の復習を受けると宣言し、カインの額にしるしをつけました。神は私達の計り知れないご計画に基づいてこの事をしたのでしょう。

しかし、結果としてカインの子孫であるレメクはこの事を利用し、カインの罪、そして人の罪を増やしました。レメクは彼の妻アダとツィラにこのように言いました。「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍。」(創世記4章23節から24節)

つまり、レメクは自分が傷をつけられただけで、復讐に傷をつけた相手を殺すということを高らかに宣言し、自慢すらしています。まさに罪であり、アダムとエバの罪、カインの罪の拡大を意味します。

  

 「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。『わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する』」(創世記6章5節から7節)アダムとエバの原罪からレメクの罪まで、人の罪は拡大してきました。そしてこの事が地上の人の悪の増大に影響を与えたことは十分考えられます。人の原罪と罪の拡大が神に洪水によってすべての生き物を滅ぼすという決断をさせたといっても過言ではありません。しかし、ノアは神の好意を得ました。

創世記6章8節から9節にこう書かれています。「しかし、ノアは主の好意を得た。これはノアの物語である。その世代の中で、…ノアは神と共に歩んだ」

神はノアに方舟を作らせ、彼の家族とすべての生き物の雄と雌ひとつがいずつ方舟に入れよと命じ、その後地上の生き物を洪水によって滅ぼされました。神は地上の生き物を滅ぼされましたが、ノアとその家族及びひとつがいずつ生き物を方舟によって救いました。ここまでを見てみると、神の創造、人との契約、人の神に対しての反抗、罪、死、罪の拡大、罪の拡大による人の悪の増加、神が洪水によって人を含めたすべての地上の生き物を破滅させること、ノアとその家族、そしてひとつがいずつの地上の生き物の救い(希望)です。


 そして、本日の聖書箇所です。神はノアとその息子たち、さらにいうならば、地上のすべての獣と契約を立て、このように洪水によって地上を滅ぼすことはないと宣言されました。その契約の証として虹を置くとも言われました。また、9章1節に戻ると「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える」と神はノアと彼の息子たちに言われたのです。これは神がアダムとエバに仰られた事と似ています。(創世記1章28節〜29節)

つまり、神はアダムとエバにした契約と同じ様な契約をノアとその家族にもし、もう洪水で地上を滅ぼさないとも言われました。

つまり、ノアの洪水はリセットであり、再創造でもあったわけです。


 では、この洪水後、神の憐れみによってノアとその家族は救われましたが、人の罪は減少したでしょうか?確かにノア本人とその息子たちは神の御心にかなったかもしれませんが、人が増えるに従って罪も増え続けているように思われます。このノアの洪水の後バベルの塔の物語があり、神に逆らう人の自尊心を象徴します。その後神はアブラハムを選び、アブラハムの子孫によって地上の人々は祝福されると宣言します。アブラハムとの契約です。彼はユダヤ人の父祖となり、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデと神との契約は続いてゆきます。その契約は一見するとユダヤ人のための契約ではありますが、アブラハムの契約からわかるように私達にも及んでいるのです。神の祝福は私達に及んでいるのです。そして、私達は究極の契約を結んでいます。誰とでしょうか?主イエス・キリストです。主イエスは私達の罪の贖いのため十字架の上で死なれました。そして私達はこの主を信じる信仰によって、神から一方的な恵みによって救われたのです。これこそが、私達の契約です。新しい契約です。しかし古い契約でもあります。それは神がアダムとエバと結ばれた契約、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデと受け継がれた契約の上に立っているからです。私達はこの古い契約であり、新しい契約の中にいること、そして私達が救われていることを確信しています。その確信を持ちつつ日々歩んでいこうではありませんか。

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