「父の愛」
2022年6月19日 聖霊降臨節第3主日 父の日礼拝
説教題:「父の愛」
聖書 : 新約聖書 ルカによる福音書15章20-32節(132㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
先週は子供の日(花の日)礼拝でしたが、本日は父の日礼拝です。母の日、こどもの日、そして父の日と続いてきたということですね。ところで父の日の由来は皆さんご存知でしょうか?これもまた母の日、こどもの日と同じくアメリカの礼拝から始まりました。1909年アメリカワシントン州スボケーンのソノラ・スマート・ドットという女性が「母の日」の説教を聞いていた時、「母の日があるのに父の日がないのはおかしい、父の日もあるべきだ。」と思ったそうです。彼女の父親が母親を亡くしてから、彼女と5人の兄を男手一つで育て、彼女はそんな父親を尊敬していたからです。彼女の父親が6月生まれなので、6月に「父の日」礼拝をしてもらうよう牧師に頼みました。その日は1909年6月19日でした。
その後ワシントン州では6月の第3日曜日は「父の日」となり、1972年にアメリカで正式に国の記念日、祝日として定められました。
多分皆さんも何度もお聞きになったことのある放蕩息子の話です。ある人に息子が二人いて、弟が父親に「自分が貰う予定の財産を私に下さい。」と言いました。これはとてもユダヤ社会において非常識かつ無礼なことであると聞いたことがあります。ユダヤ社会では父親が最も権威があり、次に長男、その次に次男となるのです。その次男が父親に「自分が貰う予定の財産を下さい。」などというのは無礼千万と言わざるを得ません。もちろん、父親が亡くなる少し前に遺言として父親の方から言いだすのは構わないと思います。今、私は物資素敵な財産の事を話しておりますが、霊的な財産を父親が亡くなる前に息子たちに与えると場面が聖書には見受けられます。イサクが息子エサウに祝福を与えようとした話は皆さんはご存知でしょうか?創世記27章1節から40節に書かれています。この時は残念ながら次男ヤコブが、いうより、彼らの母リベカとヤコブが長男のエサウから祝福を掠(かす)め取りました。ヤコブは亡くなる前に12人の彼の子供たちを祝福しました。創世記49章1節から28節に書かれています。何れの場合も父親から子へと財産の相続の話が持ちかけられました。しかし、この放蕩息子は次男にもかかわらず、自分から財産を要求しました。本来であれば父親は一喝(いっかつ) して、この弟の申し出を断らなければなりません。ですが、驚くべきことにこの父親はこの弟の申し出を受け入れ、彼が将来 貰う分の財産を彼に与えてしまったのです。彼はその財産と、とある女性達を伴って、遠い国に行き、散財(さんざい)し、身を持ち崩してしまいます。そして食うや食わずの生活を続け、死にそうになった時、父親の事を思い出し、これまでの自分を反省し、父の元に帰る決意をし、実際帰ってくるという場面です。
この放蕩息子が悲惨な状態にあった時、彼はこのように言ったのです。「父のところでは、あんなに大勢の雇人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに言って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい。』と」
これは本日の聖書箇所よりも少し前、17節から19節に書かれています。
彼の考えを「なんだ、虫のいい話だ。本来すぐに貰(もら)えるようなお金じゃないのに、それを強引に貰(もら)い、そして自分勝手に面白 (おもしろ)おかしく生活し、使い放題使い、それがなくなり、悲惨な状態になったから、不義理を働いた父親のもとに帰るのか、この親不孝者が。」と言って切って捨てることは出来るでしょう。しかし、私はこれが彼の回心であり、悔い改めであったのだと考えます。もちろん、「ただ、自分が飢えて、困り、死にそうだから、父親の元で帰るのだろう。」という意見もあります。しかし、私は彼が 回心したのだと考えます。まず17節の最初の部分にこう書かれています。「そこで、彼は我に返って言った。」
「我に帰る」というのは「正気に戻る」という意味でもあります。つまり今までの自分の自堕落な生き方から戻るということです。これはいわゆる「回心」「悔い改め」「新生」に近いものではないでしょうか?そして彼の父親に対して言おうとする言葉に 注目します。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」です。ここに彼の悔い改めの 気持ちが表れているのではないでしょうか?そして、へりくだりの姿勢が表れているのではないでしょうか?
彼はその場所を離れ、父親の元へ向かいました。父親はこんな彼に対してどのような態度で接したでしょうか?
叱り飛ばしたのでしょうか?それか会いもせずに追い返したのでしょうか?見てみましょう。「まだ遠くに、離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」と20節にあり、さらに、僕達に命じて、息子のためにいちばん良い服、指輪、そして履物(はきもの)を用意させました。さらに、肥えた子牛を宴会のために準備させました。もちろん、この息子は回心、悔い改めの言葉を口にしましたが、その事に関わらず、この父親は息子を赦し、暖かく迎え入れました。ここに父の愛があるのです。
そしてこれはただ単に一家族の父親の愛の物語ではありません。これは父なる神の愛の物語でもあるのです。これが父なる神のご性質なのです。これは喩(たと)え話です。いわば天の国の雛形(ひながた)でもあるのです。良い服を着させるのは罪の贖(あがな)いを意味します。ゼカリヤ書3章3節から4節に御使いが彼に仕えていた者達に命じて、ヨシュアから汚れた服を脱がせ、晴れ着を着せる場面があります。その時、その御使いはヨシュアに「お前の罪を取り去った」と言いました。また、指輪は神に認められた証、キリスト者の印、権威の象徴でもあります。エフェソ1章13節にこのように書かれています。「あなたがたもキリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で認証を押されたのです。」また、創世記41:42では ヨセフがエジプトの王ファラオの夢を解いので、ファラオがヨセフをエジプトの統治者として認め、印章のついた自分の指輪をヨセフの指にはめたということです。さらに履物(はきもの)は自由人を表します。これは一体どういうことかというとこの放蕩息子は罪を赦され、神の子としての権威を持つことが認められ、罪から奴隷から開放された私達を意味するのです。この放蕩息子は私達なのです。私達はキリストの十字架によって、そしてそのキリストを信じる信仰によって、そして神の憐れみと恵みによって、この身分を与えられたのです。私達自身に誇るものなど何もないのです。この放蕩息子の父親であり、父なる神はそのような私達を待っているのです。父なる神の身許に自分たちの身体しかない私達が立ち返るのを待っているのです。そこには喜びがあります。だからこそ、この父親は「肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。」と言ったのです。そしてこれは父なる神の喜び、天の喜びでもあるのです。さらに言うならば、この子牛を屠(ほふ)るという行為はただ単に食べて祝うためだけではありません。これは贖(あがな)いの意味もあります。イスラエルでは人が何か罪を犯したら、その贖(あがな)いとして動物を屠(ほふ)リました。つまりこの子牛を屠(ほふ)る行為もまた服を着せ替える事同様に罪が取り除かれた証でもあるのです。父の愛、父なる神の愛はこの父親の言葉に言い表されています。
「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」(24節)
「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。」
(32節)
私達はこの放蕩息子のようにただ神の御前に来ればよいのです。これこそが神と人とのあるべき美しい関係なのです。
ですが兄は父の態度に納得いきませんでした。そして、家に入ろうともしませんでした。当然彼は弟にそして弟を赦(ゆる)し、祝宴まで開いた父親に我慢がならなかった。人間的には当たり前だと 思われます。しかし、父親は家から出てきて32節の言葉を言うのです。この「死んでいた」というのは実際に「死んでいた」わけではないのです。彼の場合であれば、父親そしてその家族と関係を絶った状態というわけです。私達キリスト者で言えば、キリスト者になる前、神様との関係がなかった状態、救われていない状態を指します。そして、生き返ったということは放蕩息子で言えば、父親の元に戻り、再び父親と良い関係を築く事です。私達で言えば、回心し、悔い改め、キリストを受け入れ、救われるということです。
本来であればこれは素晴らしいことなのに、兄は納得しません。兄は責め続けるのです。ここに罪があるのです。この兄は ファリサイ派の人を指しています。さもありなんと思います。
私達はどちらを選びますか、放蕩息子のように神の愛を一心に受け入れるため、神の元に立ち返りますか?それともこの兄のように裁く者になりますか?
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