top of page

「神のご計画」

2024年11月24日 降誕前第5主日

説教題:「神のご計画」

聖書 : 創世記 41章37-57節(72㌻)​​​​​

説教者:伊豆 聖牧師


 今日は収穫感謝日礼拝です。本当の収穫感謝日は11月の第4木曜日つまり今月28日(木)なのです。ちょうど祈祷会の日ですね。ですがその日は平日なのでその日に近い本日にこの礼拝を行っている次第です。講壇の前に皆さんが持ってこられた様々な野菜や果物がありますが素晴らしいですね。この収穫感謝というものはアメリカのものですが、収穫を祝うもしくは願う儀式というものは日本にもあります。五穀豊穣を神に願う祭りなどです。ですからこの収穫を祝うもしくは願うという考え方は案外世界に共通しているのかもしれません。ですが決定的な違いがあります。本日の収穫感謝はキリスト教に関連しているものです。つまり収穫を感謝する相手がいわゆる私達の崇めるキリスト教の神であるということです。日本の収穫を感謝する相手の神とは異なるということです。

 さてここからは本日の収穫感謝の由来についてお話をさせていただきます。宗教の自由を求めてイギリスからアメリカに渡った集団がいました。彼らはピルグリムファーザーズと呼ばれました。彼らがアメリカに到着した1620年の冬はとても厳しく多くの死者が出ました。しかし彼らの近隣に住んでいた先住民の人たちがトウモロコシなどの新大陸での農作物の栽培方法を彼らに教えました。そのおかげで彼らは生き延びることができました。そして1621年の秋は収穫が多かったので彼らは先住民の人々を招待して神に感謝して一緒に食事をしたということです。私達が月の第一週に礼拝後に行っている茶話会、交わりを思い出しますね。これが収穫感謝日の始まりです。そしてアメリカでは11月の第4木曜日が休日となっておりますが、この木曜日を含む約1週間が休みになります。その間アメリカ人は何をするのか。実家に帰るんです。日本でもお盆や正月に帰省しますね。あれと同じです。そして七面鳥やグレービーをかけたマッシュポテトやスタッフィーといったものを家族で食べ、楽しいひと時を過ごします。私もアメリカの大学に留学していた時に友人の家に招かれたことがございますが、とても素晴らしいひとときを過ごさせていただきました。

 さて本日の聖書箇所です。ヨセフの話です。人生は山あり、谷ありといいますが彼の人生もまたそうでした。彼の先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブのように。彼は彼の父であるヤコブにことのほか愛されました。なぜでしょうか?それは彼の父ヤコブが愛していた妻ラケルの子供だったからです。ヤコブには妻レアそして他の女性がおり、それぞれに子供がいたのですが、その中でラケルを最も愛していたということです。だからヨセフは他の兄弟たちよりもよけいに父ヤコブに愛されていたということです。しかしそのことでさらに他の兄弟達からの嫉妬と憎しみを買うことになってしまいます。さらにこのヨセフは天真爛漫というか空気が読めない性格でした。ある日彼は夢で彼の兄たちの穀物の束が自分の束にひれ伏したということを彼の兄たちに告げました。当然彼らの兄たちは激怒しました。そして今度はあろうことか彼の両親達の束が彼の束にひれ伏したことを告げ、父を激怒させました。さらに彼はよく兄たちの告げ口を父にしていたということです。こういうことからある日彼は兄たちに襲われ、エジプトに売られてしまいました。

 彼はエジプトのファラオの宮廷役人で侍従長のエジプト人ポティファルに買われました。主がヨセフと共におられたのでこのポティファルは彼を目にかけてよく扱い、財産を管理させました。主はヨセフを通して全財産を祝福しました。しかしこのポティファルの妻がヨセフを罠にかけ、そのせいで彼は牢に入れられます。しかし主が彼と共におられたので監獄長の目にかなうようにされました。そしてなんと囚人のヨセフに他の囚人をまかせたということです。ある日ファラオの給仕役と料理役が過ちを犯して牢に入れられました。当然彼らはヨセフに任せられました。そのような中で彼らは夢を見るのですね。聖書での夢は重要な意味を持っているのです。それはこれから起こることを神が告げ知らせることだからです。旧約聖書で言えばどこでしょうか?ダニエル書で捕囚としてバビロンに連れてこられたダニエルがバビロンの王ネブカドネツァルの夢を解き明かすのが有名です。そのようにヨセフは任せられた給仕役と料理役の見た夢を解き明かしたのです。給仕役はヨセフの解き明かしの通りにやがて元の職場に復帰しますが、料理役は解き明かしのとおりに処刑されてしまいます。

 この事があって後ファラオが夢をみます。それはナイル川からよく肥えた七頭の雌牛が上がってきて葦辺で草を食べ始めると、後から醜いやせ細った七頭の雌牛が川から上がってきて肥えた七頭の雌牛を食べ尽くすというものでした。さらに太ってよく実った七つの穂が一本の茎から出てきたが、後から実が入っていない東風で干からびた七つの穂が出てきて、前の七つの穂を飲み込むというものでした。ファラオはこの夢の解き明かしを国中の魔術師と賢者に求めたが出来なかった。そうしたらヨセフに夢の解き明かしをしてもらった給仕役が自分の夢の解き明かしのことをファラオに話し、ヨセフを呼び出して夢の解き明かしをさせてみてはと進言しました。呼び出されたヨセフは見事にファラオの夢の解き明かしをしました。七頭の肥えた雌牛、そして太って実った七つの穂はこれからエジプトで起こる七年の大豊作で、七頭のやせた醜い雌牛と東風で干からびた七つの穂は大豊作の後の七年の飢饉であるということでした。この事を神がファラオに予め夢で知らせたということをヨセフは説明しました。

 ヨセフの素晴らしいことはただ単に夢の解き明かしをしただけではありません。彼はファラオに具体的な提案をします。それは「このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。このようにして、これから訪れる豊年の間に食料をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」             

(創世記41章33節から36節)

 このような経緯があり本日の聖書箇所に入っていくのですが、ファラオと彼の家来たちはヨセフの夢の解き明かしとアドバイスを聞いて感心しました。そしてファラオはヨセフには神の霊が宿っているとみなして、彼をファラオの宮廷の責任者、エジプトの第2の地位、宰相にまで引き上げます。一介の囚人からこの地位にです。地獄から天国です。大出世です。さらにファラオは彼に名前を与え、祭司の娘を妻として与えました。そして彼らにはマナセとエフライムという息子たちが与えられます。そして彼はこの飢饉の対策としてエジプトの豊年の時に穀物をたくわえさせたということです。その後、神の予定通りに飢饉がエジプトだけでなく周辺諸国まで襲い、周辺諸国の人々も穀物を買いにヨセフのところへやってきたということです。

 ここまでヨセフの人生をざっと見てきました。初めは父親に愛され幸せに暮らしていたヨセフでした。もちろんその頃であってもすべてが順調ではありませんでした。ヨセフの未熟さもあり、兄たちから嫉妬や敵意を向けられてはいました。しかし彼の人生でいえば上であったと思います。その後エジプトに奴隷として売られました。この状態は彼の人生でいえば下ですね。ですが売られた先の家で主が共におられたので、家の主人の好意をえて、またその家も祝されました。彼の人生でいえば上ですね。ですが、家の主人の嫁によって罠にかけられ牢にいれられてしまいました。彼の人生でいえば下になってしまいました。ですが、その牢屋でも主が共におられたので牢屋の監督官の好意を得て、囚人の管理を任されました。彼の人生でいえば上になるのでしょうか。さらにそこで王の給仕役と料理役の夢を解くことによって、やがて仕事に復帰した給仕役が夢の解き明かしを求めるファラオにヨセフを召すようアドバイスをするということになりました。そして夢の解き明かしをしたヨセフがエジプトの宰相の地位に上り詰めました。ヨセフの人生でいえば上も上、最上のものであったでしょう。

 このように目まぐるしい、ジェットコースターのような人生と言ってもいいと思われるヨセフの人生ですが大切なことは主が共におられたということです。これを主ぬきで考えてしまうと単なる苦労話と運が良いという話になってしまうんです。

 例えば「私は事業に失敗したがアルバイトをして、自分の息子ぐらいの年令の正社員の上司に怒鳴られながら仕事をしてきました。ですが一念発起してアルバイトで貯めたお金を元手に事業を始めて今では年商何億円の会社を経営するようになりました。あの時の苦労は辛かったですが、私の人生において良い経験でありました。あの辛さがあったから今の私があるんです。」なんていう話を聞いたことはありませんか?確かにそれはそれで魅力的な人生、人を引きつける人生ではあります。なぜなら人々は挫折を知らない人生よりも挫折を経験して成功した人生に魅力を感じるからです。

 ですがヨセフの人生はこのような人生ではないのです。もちろん、彼の人生は表面上、挫折を経験して成功した人生でしょう。しかし彼の人生には主が共におられたのです。主が共におられたから彼は奴隷として家に引き取られた時にも家の主人に好意を得させられたのです。主が共におられたから牢に入れられたときにも管理人に好意を得させられたのです。主が共におられたから給仕役と料理役の夢を解くことが出来たのです。それが給仕役がファラオの夢を解くのにヨセフを推薦したきっかけとなったのです。そして主がおられたからファラオの夢の解き明かしをし、アドバイスをし、エジプトの宰相になりました。つまりは神のご計画であったのです。主こそが主役であります。表面上宰相のヨセフがきらびやかに輝いていますが。

 そして神のご計画はまだまだ続きます。本日の聖書箇所ではないのですが、この後ヨセフの父のヤコブと息子たちが住むカナン地方にも飢饉が襲います。そして息子たちはエジプトに食糧を買い出しに来てヨセフと相対します。ヨセフは彼らのことをわかりますが、彼らは彼がヨセフとはわからず、色々な葛藤がおこります。最終的に彼らは和解し、ヤコブと息子たちはヨセフの庇護のもと、エジプトに移住します。ここで重要なことはこのことによって彼らは飢饉によって死ぬことを免れたということです。考えてみてください。もしヨセフが奴隷としてエジプトに売られなかったらどうなっていたでしょう。彼が宰相になることはなく、ヤコブの一家は飢饉によって死んでいたかもしれません。ですからヨセフが奴隷として売られたのもまた神のご計画であったということです。

 宰相であるヨセフが彼の兄たちに自分の事を明かした時の言葉です。「わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。…神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。」

(創世記45章5節、7節から8節)

 このことからもヨセフは自分の人生が神のご計画のうちにあるということがわかっていたということです。さらに彼はこのようにも言っています。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(創世記50:20)                     

パウロもこのように言っています。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」         

(ローマの信徒への手紙8章28節)              

私達の人生の主導権を神に任せてはいかがでしょうか?

Comments


Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
bottom of page