「神の言葉は鎖につながれていない」
2021年9月19日 聖霊降臨節第18主日礼拝
説教題:「神の言葉は鎖につながれていない」
聖書 : 新約聖書 使徒言行録 28章16-31節(270㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
本日の話はパウロがローマに到着し、番兵を一人つけられるも、自分で住むことを許されたという話から始まります。「番兵を一人つけられる」というのは、あまり穏やかな表現ではない気がします。そもそも、パウロはどうしてこのローマに来たのでしょうか?彼はエルサレムの法廷でユダヤ人達に訴えられましたが、皇帝に上訴し、ローマでの裁判を受けるため、このローマに連れてこられました。いわば、彼は囚人として連れてこられたのです。その経緯はパウロが語る、この後の18節から20節に書かれていますし、さらに詳しくお知りになられたい方は、少し長いのですが、同じ使徒言行録21章27節から26章を読んでいただければと思います。使徒言行録という書を読みますと、この当時のキリスト教徒(ユダヤ教の分派とみなされていた)がいかにユダヤ教徒に迫害されていたかが分かります。使徒言行録4章では、使徒ペトロとヨハネが神殿で民衆に話していた時、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々によって、捕らえられ、牢に入れられ、翌日、議員、長老、律法学者によって尋問されたことが書かれています。また、使徒言行録6章8節から7章には虚偽の訴えによって、訴えられたステファノの逮捕、裁判、そして処刑の事が書かれています。さらに言うなら、ユダヤ人に訴えられ、ローマに囚人として連れてこられたパウロは元々クリスチャンを迫害する側の人物でした。しかし、彼はダマスコの途上で主イエスと出会い、回心し、救われたのです。彼はキリストを迫害する者からキリストを伝える者へと主に変えられたのです。何という恵みでしょうか。しかし、このせいで、パウロはユダヤ人から迫害され始めました。
皮肉にも迫害していた者が迫害される者になってしまったわけです。結果として、エルサレムでユダヤ人に捕らえられ、訴えられ、裁判にかけられ、そして皇帝に上訴したせいで、遠くローマにまで囚人として連れてこられたのです。
ここまでのパウロが辿(たど)った経緯を見てみますと、この世的には、彼の人生はあまり良いとは言えません。彼はキリスト・イエスに従ったせいで迫害され続けました。エルサレムで逮捕され、裁判にかけられて、ローマで裁判を待っている状態なのです。彼が今まで行ってきた各地を巡る福音伝道をすることが出来なくなったのです。しかし、神はこのような状態でさえ、彼に福音伝道の機会をお与えになりました。例えば、パウロがエルサレムで裁判にかけられた時、彼は弁明をするのですが、それは弁明でなく、彼の証となり、神の言葉を伝える福音伝道の機会となったのです。
そして、彼はローマに連れてこられたのですが、そこでも牢屋に入れられたわけではなく、「番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された」という、割と自由な状態でした。皆さんは新共同訳の聖書をお読みになっていると思うのですが、次の小見出しには何と書かれているでしょうか?「パウロ、ローマで宣教する」です。彼はこのローマでただ単に牢屋に入れられて、悲惨な日々を送っていたのではないのです。彼はここでも神の言葉を語り、福音伝道の日々を送っていたのです。神はエルサレムでの裁判で彼に証と宣教の機会を与えたように、このローマの地で神の言葉を人々に語るという宣教の機会をこのパウロにお与えになられたのです。これもまた神の恵みであります。
パウロはローマに到着してから三日後、ローマにいるユダヤ人たちを家に招き、彼がどうして、このローマに連れて来られたかという経緯を説明しました。そして、この件に関して自分に非がなかったにも関わらず、そしてローマ人が取り調べ、彼を釈放しようとしたにもかかわらず、エルサレムのユダヤ人たちが反対したため、皇帝に上訴したとパウロは述べています。さらに、パウロはこの上訴の目的はエルサレムにいるユダヤ人たちを訴えることではないということも述べています。彼は自分の無実を主張しているが、彼を訴えているエルサレムにいるユダヤ人たちに敵対するものではないとも述べているのです。ここに、パウロの素晴らしさがあります。パウロはエルサレムにいるユダヤ人たちのパウロに対する告発は否定しなければいけません。そうでなければ、パウロは自身の身の安全が脅かされますし、何より、彼の福音伝道を否定するユダヤ人たちの訴えは取り除かなければなりませんでした。しかし、一方で彼は彼を訴えているユダヤ人たちに対してさえ、幾ばくかの愛着を持っていたのではないでしょうか?だからこそ、彼は「これは、決して同胞を告発するためではありません。」と18節で述べているのではないでしょうか?私はこの中で「同胞」という言葉に着目します。もちろん、彼にとっては福音・伝道が大切であり、相手はユダヤ人であっても、異邦人であっても変わりはしないのですが、彼にはこれだけ迫害されていても、同胞に対する愛着があったのだと思います。彼の福音伝道のパターンはユダヤ人に福音を伝えるのですが、拒絶されて異邦人の方に福音を伝えに行くというものでした。しかし、彼は同胞のユダヤ人を諦めてはいなかった。そのことはローマの信徒への手紙11章に書かれています。そして、このローマでもユダヤ人の救いを諦めてはいなかった。だからこそ、パウロはユダヤ人たちを招いたのです。おそらく、パウロはある程度の自由は与えられていたが、自分で自由に出歩くことは許されていなかったのでしょう。しかも「わたしはこのように鎖でつながれているのです。」とパウロ自身が言っているように、鎖が彼の手にかけられていたのでしょう。
このような状態での彼の招きに対して、ローマにいるユダヤ人たちは表面上素直に応じました。21節から22節にかけて書かれた文書に彼らの素直さ、冷静さが表現されています。「私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。」ここまではユダヤ人たちは素直に、冷静に、そして理性的にパウロに応対しています。しかし、22節の最後の一文「この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」は彼らの間にある懸念といいますか、予断があったように感じられます。直接口には出さなかったのですが、パウロに対しての懸念、予断です。
そして、日を改めて、このユダヤ人たちはパウロの家を訪問し、彼は彼らに福音を熱心に宣べ伝えました。パウロがいかに熱心に宣べ伝えたかは23節を読んでみると分かります。「朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、…イエスについて説得しようとしたのである。」これらの言葉にパウロの真剣さが伝わって来ませんか?しかし、結果は芳(かんば)しくありませんでした。24節には「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。」とあり、何か半分受け入れ、半分受け入れなかったというような中途半端な印象を与えます。しかし、次の25節の前半部分を見ると、彼らが結局受け入れなかったということが分かります。「彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、」と書かれています。「互いに意見が一致しない」とは分裂です。そして、彼らは皮肉にも「一致して」「立ち去ろうとした」のです。分裂とはパウロがコリントの教会に書き送った手紙で問題にしたように、教会を弱めるものです。さらに、パウロの言葉を受け入れたという人々もパウロの家を立ち去ろうとしたということからもわかるように、彼らは本当にパウロの言葉を真剣に受け入れたわけではなかったのです。福音伝道は大変です。
パウロは異邦人の伝道でも良い結果を得られなかった事があります。使徒言行録17章16節から34節に書かれているのですが、パウロのギリシャの首都アテネでの伝道の事です。パウロはその地に住むギリシャ人たちに伝道したのですが、ほとんどの人々は福音を受け入れませんでした。しかし、その中の何人かの人々は福音を受け入れました。「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。」(34節)この人々は本当にパウロの言葉を受け入れたのです。先に話したパウロの言葉を受け入れたが、立ち去ろうとしたユダヤ人たちとは違うのです。
ユダヤ人に対しては「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、」という言葉が24節で使われていますが、ギリシャ人でパウロが説く福音を受け入れた人々には、どんな言葉が使われていたのでしょうか?「彼について行って信仰に入った者」という言葉が使われています。「受け入れる」「受け入れない」という軽い表現ではないのです。「ついて行く」のです。「信仰に入る」のです。ここが大切なのです。だからこそ、パウロは結局パウロの言葉を否定し、立ち去る同胞に向かいイザヤ書の言葉を引用して、厳しい言葉を言い、彼が同胞のユダヤ人から異邦人へと福音の対象をシフトしていくと宣言したのです。もちろん、先程申し上げたように、彼は同胞の救いを諦めてはいなかったのです。
30節から31節にパウロの福音伝道の姿勢が書かれています。「訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」とあります。「訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく」とありますが、これは異邦人であろうが、ユダヤ人であろうが、身分の高い人であろうが、低い人であろうが、福音を伝えたということです。ここには差別はありません。彼自身は彼が言ったように、鎖につながれていましたが、彼が語る神の言葉は鎖につながれていなかったのです。むしろ、鎖につながれていたのは彼の言葉を受け入れなかったユダヤ人たちやギリシャ人達でした。彼らはどんな鎖につながれていたのでしょうか?ユダヤ人たちであれば、彼らが学んできた律法、慣習、そしてプライドであったかもしれません。ギリシャ人であれば、彼らが持っていた知性や知識だったかもしれません。私達はどんな鎖で縛られているでしょうか?常識、理性、科学知識、クリスチャンであるということを人前で言うことの恥ずかしさでしょうか?今こそ私達の鎖を取り払うよう神に祈り、あのユダヤ人たちのようにではなく、パウロを受け入れたギリシャ人たちのように本当の意味で神の言葉を受け入れ、信仰に立ち、歩んで行こうではありませんか?
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