「神殿での奉納」
2023年1月1日 元旦礼拝
説教題:「神殿での奉納」
聖書 : 新約聖書 ルカによる福音書 2章22節-38節(103㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
新年あけましておめでとうございます。本年は元旦が主日という事で皆さんとこうして新年の初めの日から主を礼拝することが出来て感謝します。今日日本では多くの人々が神社に初詣に行っているかと思いますが、皆さんは教会に初詣に来られたわけです。主に会いに来られたわけです。この幸いを感謝しましょう。
さて、本日の聖書箇所は主イエスと彼の両親であるヨセフとマリアのお宮参りの場面です。このお宮参りは一年の初めの初詣というわけではありません。理由は二つあります。
一つ目の理由はマリアの清めのためです。今では差別にあたるのですが、女性が男の子を産むと33日間汚れるということです。ですから、その期間女性が神殿に行くことはできませんでした。
さらに、その期間が過ぎた後、彼女は神殿に行き、雄羊一匹と鳩一羽を捧げなければなりませんでした。彼女が貧しい場合には鳩二羽でも良いそうです。これはレビ記12章2節から4節に書かれています。
もう一つの理由は主イエスを捧げるためです。エジプトでイスラエルの民を出ていかせる事を頑なに拒んだ王への罰として主がエジプトのすべての初子(エジプト王の子供から奴隷の子供、はては動物の初子)を撃ち殺したことはご存じの方もおられると思います。その時に主はイスラエルの民の初子(長男)は主のものであり、聖別されて主にささげられなければならないと仰せられました。つまりすべての長男は殺されなければならないということです。ですが、ユダヤ社会では長男は大切な存在です。ですから、生後1ヶ月後、銀5シェケル(20デナリ)で贖われなければならないとされたのです。ですから、ヨセフ一家の宮参りの目的はマリアの清めと主イエスの贖いのためです。
これらは本日の聖書箇所22節から24節に書かれていますが、二つの理由が一緒に書かれているので少し分かりづらいかもしれません。ですが、これでわかる事は彼らが宮参りをしたのは律法に従ったからであるということです。主イエスがこの地上で生きておられた時代のユダヤ社会では律法の影響力が強かったということは皆さんもお分かりかと思います。なにが言いたいかというと、ヨセフ親子達が宮参りをしたのは義務的であったのだろうと考えるのです。もちろん、それが悪いわけではないのですが。
ですが、ここで彼らは驚くべきことを聞かされるのです。一人はシメオンという人物からです。彼は老預言者の一人であったのだろうと言われています。そのシメオンには聖霊が留まっており、霊に導かれて神殿の境内に入ってきました。そして、ヨセフ達が主イエスのためにいけにえを捧げようとした時、シメオンは幼子である主イエスを抱きかかえ預言をしたのです。それが29節から32節に書かれています。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
これはシメオンの預言であり、証でもあります。主イエスがメシアであるという証です。この前の26節では彼は「…主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」ということですし、29節から30節で彼は「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」と言っているからです。さらに、彼はこう続けます。「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(31節から32節)
注目すべきは「万民のために整えてくださった救い、異邦人を照らす啓示の光、」です。イスラエルのためだけの救いではないのです。すべての人々のため、異邦人のための救いでもあるのです。つまり私たちの救いでもあるのです。主イエスは私たちのために私たちの罪の贖いのために十字架にお掛かりになられ、死なれ、ご復活され、天に上り、栄光の座につかれました。私たちはこの事を信じる信仰によって救われたのです。
シメオンは家族を祝福し、主イエスがこれからお受けになられる困難とそして母マリアが受ける心の苦痛(特に主イエスが十字架にお掛かりになられ、死なれた時の苦痛)を預言します。シメオンの預言の後アシェル族のファヌエルの娘でアンナという預言者もまた彼らに近づいてきて神を賛美したということです。36節から38節に書かれていますが、具体的にどのような事を言ったのかは書かれていませんが、主イエスがメシアであるという預言であり、証であったろうと考えます。
アドベントから申し上げてきたのですが神はご計画に従って行動されている事がわかります。同じことを言うのはどうも気がひけるのですが。旧約聖書時代から預言者の口を通して神はメシアである主イエス・キリストの出現を預言されました。そして、主イエスに先立つ者として洗礼者ヨハネの誕生を天使ガブリエルによってザカリアにお告げになられました。マリアとヨセフに主イエスの誕生もお告げになられました。羊飼いたちにも天使と天使達の合唱によって主イエスの御誕生を告げられ、彼らはヨセフ達親子の元へ行き、また東方の博士たちも彼らの元に来ました。そして今回の神殿での二人の預言者達の預言と証です。
私たちはなかなか神の壮大なご計画に気づくことは出来ません。33節にはこう書かれています。「父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。」
この前にヨセフとマリアは天使ガブリエルのお告げを聞いたはずです。また羊飼い達と東方の博士達の来訪を受けたはずです。マリアは彼女の親戚であり洗礼者ヨハネの母親エリザベトを訪問し、あの有名なマリアの讃歌を歌ったはずです。このような経験があったにも関わらず彼らは驚いたのです。ですから私たち人間は神の不思議、神のご計画になかなか気づくことが出来ないのかもしれないのです。パウロは人が神のご計画を理解できない事についてこのように言っています。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。『いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか』すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」(ローマの信徒への手紙11章33節から36節)
ですから、神のご計画の詳細が私たちに分からないのは当然なのです。ですが、一つだけ確かなことは主イエスが私たちの救いのために来られ、私たちの罪の贖いのために十字架にお掛かりになられたということです。そして私たちはこの主イエスを信じる信仰によって救われたということです。
Comments