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「福音と魔術」

  • urawa-church
  • 2023年2月19日
  • 読了時間: 7分

2023年2月12日 降誕節第8主日

説教題:「福音と魔術」

聖書 : 新約聖書 使徒言行録 8章9節-24節(228㌻)

          〃   13章4節-12節(238㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 「人に認めてもらいたい、もしくは最低でも受け入れてもらいたい。」という感情を私達が持つのは普通の事だと考えます。人から拒絶されたり、疎外されたり、誹謗中傷されたりする事によって私達は傷つきますし、これらの行為はいじめやハラスメントとして前から問題となっています。そして今ではインターネットやソーシャルネットワークサービスの発達とあいまって、いじめやハラスメントがよりひどくなっている状況です。

 そしてその反動からでしょうか、人々の「人に認めてもらいたい。」という思いがより強くなってきているのではないでしょうか?最初に申し上げたようにこの「人に認めてもらいたい。」という感情を私達が持つことは普通の事であり、悪い事ではないのですが、それが行き過ぎますと無理をして自分自身を崩壊させてしまうもしくは間違った方法で人に認められようと考えてしまいます。

 例えばある運動選手がいい成績を残そうとして、自分の許容範囲を超えて練習をするもしくは薬物に頼ってしまい、自分の体を壊してしまうということがあります。これは自分の命すら危うくしてしまいます。


 さらに間違った方法で人に認められようとする人々もいます。

例えば少し前に流行りました迷惑系ユーチューバーと言われる人たちですね。彼らは迷惑行為、例えばスーパーで会計前の食品を食べ、その映像をインターネットに投稿したりして視聴者数を増やすなどしていました。また最近では高校生が回転寿司店の醤油ボトル、湯呑、寿司などに唾液を付着させ、それをインターネットに投稿し、批判されるということも起こっています。

彼らの行為は非難されるべき事ですし、最初の迷惑系ユーチューバーは裁判にかけられましたが、執行猶予がつきましたので、実刑は免れています。また高校生の方は親と共に店側に謝罪しましたが、店は刑事・民事で訴えることを検討中とのことです。


 なぜ彼らはこのような事をするのでしょうか?もちろんこのような迷惑行為、そして言葉は適切ではないかもしれませんが悪戯と呼ばれる行為は昔から隠れて行われてきたと思います。

しかし、以前はこのような悪い事は隠れて行われてきたのに、今ではインターネットに投稿し、まるで悪い事を自慢しています。自慢して「どうだ、俺ってすごいだろ」と言っているのです。

彼らが投稿した動画に多くの人々がアクセスし、見ることによって彼らのこの感情は満たされていくのです。

 何がしかの力を持ちたいとある人々は考えます。社長になりたい、国会議員になりたい、博士号を取りたい、大学教授になりたいと人は様々な夢を持ちます。もちろん、このような夢を持ち努力する事は悪いことではありません。ですが、動機が重要です。その職業に付随する力を持ちたい、それによって人から尊敬されたい、注目されたい、そして有名になりたいということは果たして正しいことでしょうか?

 さて本日の聖書個所に入ります。シモンという人物がいたのですが、彼は魔術を使って人々から注目されていたということです。

ここで注目する事が幾つかあります。

「魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。」(使徒言行録8章9節の後半部分)

「それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、『この人こそ偉大なものといわれる神の力だ』と言って注目していた。」(10節)

「人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。」(11節)

9節の後半部分でシモンは「偉大な人物と自称していた。」と書かれています。つまり彼は自慢していた、高ぶっていたということですね。そして多くの人々は彼を注目したのですが、その理由は彼の魔術に魅了されていたからだということです。

これらの文言を見てみますと何かわたしは昨今のインターネットに動画を挙げるユーチューバーと呼ばれる人達を思い浮かべてしまいます。彼らは動画で自分達を自慢し、多くの人々は彼らの話術などに魅了されています。そしてこの状態が彼らの自尊心を増大させています。結果として彼らの言葉は乱暴になり、犯罪めいた行動に彼らを走らせる要因にもなります。シモンに関して魔術を使うことが出来るという事とそれによって人々が彼をひとかどの人物として扱ってくれたということが彼の自尊心を増大させたのです。

 

 このような状態、シモンの心の状態と周りの人々の状態や環境は神の前にあって正しいことでしょうか?正しくはないと思います。

10節を見てみますと少なくともこの使徒言行録の著者であるルカはこの状況に対して否定的に語っています。

 ですが12節に入り、状況は一変します。フィリポがこのサマリア地方に来て福音を宣教すると、多くの人々は福音を信じ、洗礼を受けたということです。これまで魔術によって人々を魅了してきたシモンと主イエスの福音を伝えにサマリアに来たフィリポの間に何か諍いがあったかどうかはわかりませんが、シモンの魔術に魅了されていた多くの人々が福音を受け入れ、洗礼を受けたということは素晴らしいことではないでしょうか?

さらに言うならばこのシモン自身も信じて洗礼を受けたということです。ですが、彼の信仰は本物ではありませんでした。

「いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。」と13節の後半部分にあります。

「いつもフィリポにつき従い」という文言は一見するとシモンの信仰の強さ、熱心さを表しているように思えます。

しかし「しるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。」という文言はどうでしょうか?確かにフィリポを通して行われる神の御業に感嘆し、主に栄光を帰していると考えることも出来ますが、シモンがただ単にしるしと奇跡という外面に魅了されていただけと考えることも出来ます。

 そしてその事が14節以降に書かれている事で証明されました。

ペトロとヨハネがこのサマリア地方に来て、人々に聖霊を授けていたのをシモンは見ました。そしてあろうことか金を持ってきて、彼はこのように言ったのです。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」(19節)

彼は二つの罪を犯しました。一つは彼の動機です。彼がこの力を欲したのは自分が偉くなりたい、人から凄いと思ってもらいたい、言ってもらいたいという事でした。それは自尊心であり、高ぶりであり、欲であり、罪です。

もう一つの罪はペトロが言っているように神の賜物を金で買おうとしたことです。ペトロは20節から23節でシモンを非難しています。

 本日の第2の聖書個所にも魔術が出てきます。バルナバとサウロがキプロスに宣教に来ていたのですが、そこに彼らに対抗しようとしてユダヤ人の魔術師バルイエスという偽預言者(別名魔術師エリマ)という人物がいたのです。ここを治める地方総督のセルギウス・パウルスはバルナバとパウロが語る福音を聞こうとしたのですが、この魔術師はこの総督を信仰の道から遠ざけようとしました。しかし、パウロがこの魔術師に対して「お前は目が見えなくなるだろう。」と言い、この魔術師は目が見えなくなったのです。

そしてこの事をきっかけに総督は信仰に入ったという事です。

この事は使徒言行録13章10節から11節に書かれています。

 魔術というものは超自然的な現象ですし、それに人々は魅了されてしまいます。実際最初の聖書個所に出てくるシモンもそうでしたし、この第2の聖書個所に出てきたキプロスの地方総督も魔術師と交際していました。しかし、それらはまやかしであり、偶像であり、神の道から遠ざけようとしているものです。

度々申し上げますが、多くのユーチューバーとかインフルエンサーと呼ばれる人々は多くの人々から注目され、自尊心を満足させています。彼らの驕り高ぶりは彼らの言動によく表れています。

彼らに魅了されるということは偶像を崇拝することになるのではないでしょうか?ですから真の神である主を礼拝し、善悪の判断を主に委ねようではありませんか。

 
 
 

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