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「福音は全世界の民のために」

  • urawa-church
  • 2024年12月22日
  • 読了時間: 5分

2024年12月15日 アドベント第3主日

説教題:「福音は全世界の民のために」

聖書 : ローマの信徒への手紙 15章7-13節(295㌻)​​​​​

説教者:伊豆 聖牧師


 本日の聖書箇所はローマの信徒への手紙です。パウロがローマにある教会に宛てた手紙です。この教会はどういう教会であったかというとユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者たちの共同体であったということです。教会というのは様々な人々が通われるところでありますし、様々な意見があって当然です。多様性ということは尊重されるほうがよいですし、社会の流れもそうなってきています。この浦和地区でも外国の方々を多く見かけます。

 ですがこのように様々な考えの人々が集まってきますと、衝突がおきやすくなります。このローマの教会もユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が通っていて傍目には多様性があっていいじゃないかと思う反面、衝突もありました。この衝突を諌めるためにパウロはローマの教会に手紙を書いたというわけです。

 小見出しにはこのように書かれていますね。「福音はユダヤ人と異邦人のためにある」。本日の説教題は「福音は全世界の民のためにある」です。ほぼ同じことを言っているのですが、どちらかというと小見出しのほうがより具体的に書かれていますね。なんでこのような小見出しもしくは説教題になっているかというとこのユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の衝突がそれぞれ福音は自分たちのためだけにあると考えていたからです。もう何度かこれまでの説教で語ってきたことなのですが、ユダヤ人たちは私達は神に選ばれた民であると考えてきました。そして異邦人は汚れた民であって、神に救われない民であると考えてきました。ですから異邦人と交際したり、異邦人の家で食事をしたりすることを律法によって禁じてきたわけです。旧約聖書時代だけでなく、新約聖書時代にもこの事は随所に見られました。ペトロが聖霊にしたがって異邦人の家に行った時、その異邦人達に聖霊が降るのを見て洗礼を授けましたが、後にそのことが問題となり、弁解しなければならなくなったことは有名な話であります。また同じくペトロが異邦人と交流をしていたのに、あるユダヤ人たちが来るとその交流をやめました。そのことでパウロはペトロを非難したことも有名であります。またユダヤ人キリスト者達が異邦人キリスト者たちに割礼を受け、モーセの律法を守らなければいけないと言ってきたことも問題となり後にエルサレムの使徒会議で議論され、異邦人キリスト者はそのようなことをする必要がないという結論がだされたこともありました。

 さて本日の聖書箇所ですが、結論は最初の節で出ているのです。「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」

(ローマの信徒への手紙15章7節)

 まず大切なことは「神の栄光のため」ですね。信者の栄光ではないのです。ここにへりくだりがあるのです。そしてローマの教会の信徒たち(ユダヤ人信者そして異邦人信者)(私達もそうなのですが)罪人を主イエスが受け入れたということです。ここにまたへりくだりがあります。また「お互いに相手を受け入れる」ということも重要です。どちらかが一方的に相手の言う事を聞く、もしくは聞かせるということではないのです。お互いにです。ここにへりくだりがあるのです。ヨハネによる福音書もしくは第一ヨハネの手紙で主イエスのご命令は何だったでしょうか?互いに愛し合いなさいです。主イエスが私達をユダヤ人であろうが異邦人であろうが受け入れたわけです。ですから私達が主イエスに倣うものであるキリスト者であるならばお互いに受け入れなければならないということです。

 8節では「キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、」とあります。これは主イエスがこの地上にユダヤ人として誕生され、ユダヤ人たちに御言葉と御業によって神の真実、真理、そして救いをお示しになられたということです。そして9節から12節にかけてはそれらの事つまり神の真実、真理、そして救いがユダヤ人のみならず異邦人にまで広がっていく事の預言をパウロは引用して、実際に異邦人の信者たちの存在がその預言の成就であることを示しているのです。ですがそれは道半ばと言わざるを得ませんでした。それはパウロがこの手紙を書いているということ、つまりユダヤ人信者と異邦人信者の衝突を諌めることのために書いていることで明らかです。

 何が問題でしょうか?結局はそれぞれのグループのプライドにあったのではないでしょうか?ローマの信徒への手紙2章17節から29節にかけてパウロは律法を頼みとするユダヤ人キリスト者のプライドを折っています。またパウロはローマの信徒への手紙11章17節から24節で異邦人キリスト者が「ユダヤ人がキリストを受けいれなかったということから自分たちが救われた。」と思い、ユダヤ人たちに対してプライドを持つことを諌めている。つまりパウロはユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者双方のプライドを折り、へりくだりなさいと言っているのです。どちらか一方が他を支配することは主の御心ではないからです。お互いに受け入れ、お互いに仕えあい、お互いに愛し合うことこそ主がお望みになられていることです。そのために主はこの地上に来られ、御言葉と御業によって人々に奉仕をし、私達の罪の贖いのために十字架にお掛かりになられ、ご復活なさったのです。その事を思いつつ、次のクリスマスで主をお迎えしましょう。

 
 
 

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