「私達の喜び」
2023年12月24日 アドベント第4主日 降誕日
説教題:「私達の喜び」
聖書 : ルカによる福音書 2章1節-20節(102㌻)
ヘブライ人への手紙 1章1節-6節(401㌻)
説教者:伊豆 聖牧師
クリスマスおめでとうございます。ついに御子がお生まれになりました。感謝です。正確にいうと、明日がクリスマスなので今日はクリスマスイブということですが、平日なので今日クリスマス礼拝をすることになりました。
さて、本日の第1の聖書箇所はルカによる福音書です。福音書にはそれぞれ特徴というものがあります。以前もお話したと思うのですが、このルカによる福音書の特徴は非常に事細かに当時起こったことを記録しているということです。これは著者であるルカが医者であり、几帳面な性格をしていたからだと言われています。ちなみに使徒言行録の著者もまたこのルカであると言われています。ですから使徒言行録は本日の聖書箇所であるルカによる福音書の続編ともいうことが出来るのです。
さて、ルカによる福音書2章の1節から7節までの部分というのはこの福音書の詳細さ、著者ルカの几帳面さを存分に表していると思うのです。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである」と1節から5節に書かれています。
ここからわかることがいくつかあります。
まず第一に当時のユダヤ人はローマ帝国に支配されていたということです。この前お話ししましたが、彼らはバビロンによって国を侵略され捕囚の民となりました。バビロン捕囚です。ですが、ペルシャによって彼らは解放され、自国に帰ることが出来ました。
しかし、ペルシャによる支配というものは続いていました。そして新約聖書の時代となりましたが、皇帝アウグストゥスのローマ帝国によって支配されていたのです。ずっと彼らは支配されてきた。だからこそ、いつかは解放されて自由の身になりたいと考えていたに違いないのです。
さらに言うならば、かつてのダビデ王が治めていた栄光に満ちたイスラエル王国の再興を期待していたのです。そしてそれを可能にするのがダビデ王の子孫であるメシアであると考えていたのです。
話を元に戻しますと、ローマ帝国に支配されていたユダヤ人ですが、彼らが住んでいる地域は帝国のシリア州に属していました。そのシリア州の総督、ローマ帝国から派遣された代官のような存在がキリニウスということです。この時に最初の住民登録が行われたということです。住民登録は国が治める上で重要なことだと思います。どこに誰が住んでいるかということは、例えば税金を徴収したり、犯罪などが起こった時に捜査をするときに役立つと考えられます。ですから、このことを行ったローマ帝国は住民登録の重要性をよくわきまえていたと考えられます。ここで興味をそそられるのは自分が住んでいるところではなく、故郷の地で住民登録をするという点です。例えば、私たちが住民票を登録するときは自分が住んでいる所で行います。正確に言えば、自分がどこか別の土地に引っ越すとします。そうした場合、まず自分が住んでいる場所の役所に行き、住民票を抜きます。その時、自分がこれから住むであろう所の住所を記入します。そして引っ越した後、自分が住んでいる所の役所に行き、引越し元の住所と引越し先の住所(現在住んでいる住所)を知らせます。実際私がこの浦和教会に赴任した時、これをやりましたので、覚えています。また、日本には戸籍謄本というものがあり、ここには本籍地が記載されます。
さて本日の聖書箇所のヨセフの住民登録というのはどうもこの本籍地での住民登録のようです。つまり、マリアの夫のヨセフはダビデ王の家のもので、ダビデの町ベツレヘムがヨセフの本籍地ということになります。そしてマリアもまた夫の本籍地で住民登録をしました。多分この時に今彼らが住んでいる場所、ガリラヤのナザレの町の住所やその他諸々の情報を登録したのでしょう。
そして、彼らがベツレヘムにいる時に主イエスがお生まれになられたということです。彼らとしては彼らが住んでいる場所すなわち、ガリラヤのナザレの町で主イエスを授かりたいと思っていたことでしょう。子供を産むというのは大変なことです。ましては旅先で産むことはなるべく避けたかったに違いないのです。
実際、主イエスがお生まれになられた場所は馬小屋で、お生まれになられた時、布にくるまれ、飼い葉桶に寝かされていたのです。なぜなら彼らは宿屋にすら泊まれなかったからです。
この前半部分のルカによる説明で当時の主イエスを取り巻いている政治的状況そして家族の状況がよくわかります。
さて、ここで羊飼いたちが登場します。8節です。当時の羊飼いという職業がどういうものだったかということがこの8節でわかります。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」ですね。
「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」という言葉からきつい職業であったということがわかりますね。しばらく前ですが、3Kという言葉がありました。きつい、汚い、危険な職業のことで、三つの言葉の頭文字をとって3Kと呼ばれていたと記憶しているのですがどうでしょうか。まさしくこの羊飼いたちは3Kの仕事をしていたわけです。当然そのような仕事をしていたのですから、彼らの社会的地位も高くはなかったでしょう。
そんな彼らの前に主の天使が現れて、主の栄光が彼らを包み、天使が彼らにメシアすなわち救い主の誕生を告げたのです。
その後主の天使の賛美がありました。驚くべきことです。
王様でもなく、貴族でもなく、彼らに現れたのです。
初め主の天使が彼らに現れたとき、彼らは恐れました。
天使というものは聖なるもので、神と同様にもし会ってしまったら、命を取られてしまうと思われていたからです。しかし、主の天使が彼らに会った時、言われた言葉はこれです。「恐れるな。」です。その後、天使はこう続けました。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」
喜びです。その後メシアの誕生を告げ知らせるのですが、それは民全体の喜びなのです。そして、私たちの喜びでもあります。
そして羊飼いたちも喜んでいました。なぜそう思うか。
それは彼らの言葉と行動を見ればわかります。「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」と彼らは言い、急いでベツレヘムへ行ってマリアとヨセフを探し当てたとありますね。
もし、彼らが喜んでいなければ、ワクワクしていなければ、そんな事を言い、自分の仕事(たとえ辛いとはいえ)を放り出して、急いで、ベツレヘムへ行き、マリアとヨセフを探すなんていう労力をするわけがないのです。それだけで疲れてしまうでしょう。
ですが、彼らにとってそんな疲れに勝る喜び、ワクワク感があったのです。
彼らは天使から見聞きしたことが本当だったので主を賛美しました。やはりここでも羊飼いたちの喜びが描かれています。
本日の第2の聖書箇所です。ヘブライ人への手紙1章1節から2節で「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」とあります。
まず、ヘブライ人への手紙とは読んで字のごとく、ヘブライ人、ユダヤ人、イスラエル人に対して書かれた手紙ですね。そうするとこの文はしっくりくるわけです。例えば「預言者」「先祖」とはヘブライ人の預言者達、先祖達という事ですね。
そして御子である主イエス・キリストが登場し、御子を通して神の言葉が語られたのです。これは主の地上での福音・伝道を表されています。そして、主イエス・キリストは万物の相続者であるという事です。さらに言うならば、万物は主イエス・キリストによって創造されたと言う事です。
万物の相続人とは神の相続人という事です。御子は神の相続人であるから万物の相続人でもあります。そしてパウロはローマの信徒への手紙8章17節で私たちもまたキリストと共同の相続人であると言っています。素晴らしい事です。
さらにヘブライ人への手紙を続けます。「(主イエス・キリストは)人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」と3節にあります。
私たちはこれゆえに主を崇めるのです。主にあって喜ぶのです。
そして4節から6節にかけて主イエスが天使達より優れていて、天使達が主イエスを礼拝するよう神が命じていると書かれています。実際私たちはルカによる福音書で天使達の賛美を見ました。まさにこのことです。
ユダヤ人にとってメシアとは彼らを政治的束縛から、ローマの支配から解放する存在、彼らの国をかつてのダビデ王国のような栄光に満ちた国にする存在だと考えていました。しかし、神はより大きな事をご計画されました。それは私たち人類の罪からの解放です。そのために主イエスは遣わされたのです。そしてそのことこそ私たちの喜びなのです。
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