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「良い羊飼い」

2023年4月23日 復活節第3主日

説教題:「良い羊飼い」

聖書 : 新約聖書 ヨハネによる福音書 10章7節-18節(186㌻)

説教者:伊豆 聖牧師


 聖書ではよく羊の話が出てきます。聖書に出てくる登場人物が羊飼いでしたり、また喩(たと)えとして出てきたりもします。最初に出てきた話は旧約聖書の最初の書、創世記4章1節から26節にあるあのカインとアベルの話です。

「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった」

(創世記4章2節)

弟のアベルは羊飼いとなり、兄カインは農家となったということです。カインとアベルは双方とも献げ物を主に持ってきました。

カインは土の実り、そしてアベルは羊の群れの中から肥えた初子をそれぞれ持ってきたのですが、主はアベルの献げ物には目を留められたが、カインの献げ物には目を留められなかった。これがカインのアベルに対する嫉妬と憤りになり、カインはアベルを殺害してしまいます。そしてカインは主に責められますが、命までは取られず、彼と彼の子孫は地上のさすらい人となりました。


 主によるイスラエルの選びとして、アブラハムの召命(しょうめい)がありました。彼とその家族は主の命令に従い、住んでいた土地ハランを離れ、主が示された土地に移住しました。その場所で主は彼と彼の家族を祝福したのですが、彼は金銀と牛や羊を多く所有していたということです。つまり彼の仕事は羊飼い専業ということではないのですが、牧畜業であったことが推察されます。

 またアブラハムの息子はイサク、イサクの息子はヤコブでした。アブラハム、イサク、ヤコブ(後にイスラエルとも呼ばれる)はユダヤ人の父祖、族長と呼ばれています。英語でいえば、ファウンディングファーザー(基礎を作った父祖たち)とでも呼ぶべきでしょうか?彼らはユダヤ人の中でも特別な存在です。

主がモーセの前に姿を表し、モーセを召命しました。その時モーセはユダヤ人の民にその事を知らせる時の主の名前を尋ねました。主はモーセに「わたしはある。」と答えられ、次に「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と答えられました。アブラハム、イサク、ヤコブという名前が主の名前の一部になっているということはこの名前が重要であるということだと考えられます。

 さて、このヤコブに子供がいたのですが、その一人のヨセフを大層ヤコブは可愛がりました。それを他の兄弟たちがヨセフに対して嫉妬し、最終的にヨセフをエジプトに売ってしまいます。

 ヨセフは困難に遭遇するのですが、主の祝福によって守られ、やがて彼はエジプトの第2の地位(宰相の地位)に抜擢されます。飢饉がエジプトの周辺諸国を襲うのですが、ヨセフはそれに備えていたので、大丈夫でした。その時ヨセフをエジプトに売った兄弟たちも食料の買付のために、ヨセフの前に立ちました。彼の兄弟たちは最初彼とは気付きませんでした。色々な葛藤や問題があったのですが、やがてそれらは解決し、ヨセフは彼の父、彼の兄弟たちをエジプトに呼び寄せ、住まわせるようにしました。やがてヨセフは5人の自分の兄弟をファラオに紹介するのですが、ファラオはヨセフの兄弟たちに彼らの仕事を尋ねました。そうしたところ、彼らはこのように答えました。

「あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、羊飼いでございます。」(創世記47章3節)

彼らはファラオに羊を飼うための牧草地帯、ゴシェンの地に住めるよう願っています。ダビデも羊飼いでした。新約聖書では主イエスの誕生をお祝いする人々の中に羊飼いたちもいます。

 長々と書いてきましたが、聖書の中でいかに重要人物が羊飼いに関わってきたかということを述べたかったのです。

 さて本日の聖書箇所です。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。」

(ヨハネによる福音書10章7節から8節)

当然のことながらこれは喩(たと)えであるということを言っておきます。

まず、主イエスはご自身を門、羊の門であると表現されました。

門というものはその建物に入る正当な権利を持つものが通るものです。それ以外の所から入るのはその建物に入ることが出来ない人々、人には言えないような事をしようとする人々です。一般家庭を訪問するのに門を通らないで入ろうとする人間は間違いなく不審者です。

警察に連絡されます。これは一般家庭の訪問の場合ですが、主イエスご自身は羊の囲いでその事を説明していますね。

10章1節です。「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。」

つまり、主イエスこそが正当な門、つまり天国への正しい教えを持っているということを示しています。さらに8節では自分より前に来たものは盗人であり、強盗であったと指摘します。私より前に来た者というと考えられるのはやはり偽預言者たちということになるでしょう。主イエスより早く来た者の中に主の御言葉を携えてきた人々も多くいました。アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセそしてイザヤ、エゼキエル、エリヤなどです。

これらの人々を主イエスの言葉で盗人や強盗と断じるのは正しくないと思います。もちろん彼らは主イエスに比べれば欠けがありました。

 9節は7節をさらに詳細に述べています。主イエスという門を通ってこそ人は救われる。そしてその人は牧草を見つけるとありますね。私達の事に照らし合わせてみるとこの節もわかります。私達も主イエスによって救われました。さらに私達は主イエスを通して霊的栄養を頂いているのです。それはあたかも羊が門を出入りし牧草を見つけ、それを食べることと同じだということです。

10節では主イエスに対する反対勢力を使ってこの事を示しています。盗人、つまり偽預言者が人々の所に来るのは屠ったりとか滅ぼしたりすることが目的ですね。これは死を意味します。

一方主イエスはこの偽預言者達が与える死とは逆のものを、つまりあふれんばかりの命を羊である私達に与えてくださるのです。


 主イエスはご自身を門ではなく羊飼い、しかも良い羊飼いに喩(たと)えます。「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と書かれています。これは正に私達の主イエスを表しています。主イエスは私達の罪を贖(あがな)うために十字架にお掛かりになられました。

一方で良い羊飼いではなく、反対に悪い羊飼いが出てくるのです。聖書によれば羊飼いですらなく、「自分の羊を持たない雇い人」ですね。この人は狼が来ると羊を置き去りにして逃げるということですね。先程出てきた強盗や盗人ほど進んで羊を害しようとしないという意味では強盗や盗人と違うかも知れませんが、この良い羊飼いとは対局ですね。この雇い人は自分の羊ではないから、この羊のことを心にかけていなく、このように逃げてしまい、結局この羊は見捨てられ狼の餌食となってしまうのです。

良い羊飼いは自分の羊を知っていると主イエスは仰います。そして羊もまたその良い羊飼いを知っていると仰います。その関係というのは父がつまり父なる神が主イエスをご存知で、主イエスが父なる神をご存知であるのと同じであるということです。

そして主イエスはこの関係の中でもう一度この言葉を仰いました。

「わたしは羊のために命を捨てる。」

16節に書かれていることは私達異邦人信者に対しての言葉です。事実私達もまた主イエスのご自身の命を捨てられるという尊い犠牲のおかげで、罪赦され、義とされたのです。

 17節から18節にかけて書かれていることは復活のことです。

「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

実際主イエスは形として逮捕され、十字架に架けられ、殺されました。しかし、これは主イエスが十字架で殺されることを受け入れたということになると考えられます。なぜなら、逮捕された時、弟子の一人が主イエスを捕らえに来た大祭司の手下の一人の耳を切り取ってしまったことがありました。その時主イエスは仰いました。

「わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」

(マタイによる福音書26章53節から54節)

これは主イエスご自身が御自分の死を受け入れたことと言えましょう。つまり主イエスは新たな命を受け取るため御自分の命をお捨てになられ、命をまた得て、ご復活されました。このご復活は私達の希望でもあります。

 それだけではありません、私達はこの主イエスから託された羊たちを養うように求められています。ご復活された主イエスが弟子たちの所に出現し、食事を共にされたことがあります。その時主イエスはペトロに3度「私を愛しているか。」と問われました。そしてその度ごとにペトロは愛していると答え、主イエスは「私の羊の世話をしなさい。」と仰いました。これはペトロが主イエスから羊を託されたと考えられます。そしてこの託された羊を自分の羊の様に世話をすることが求められています。決して先程話した無責任な雇い人のようであってはいけないということです。

私達もまたこのペトロのように主イエスから羊を託されているのです。

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