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「裏切りと結束」

  • urawa-church
  • 2023年10月8日
  • 読了時間: 6分

2023年10月1日 聖霊降臨節第19主日 世界聖餐日

説教題:「裏切りと結束」

聖書 : 新約聖書 マタイによる福音書 26章17節-29節(52㌻)​​

説教者:伊豆 聖牧師


 本日は世界聖餐日です。世界聖餐日というのは10月の第1日曜日に世界中のキリスト者が主の食卓につき、一致してお互いに認め合いましょうという日なんです。これは1930年代に教会で始まったということです。素晴らしいことですね。そして私達の教会では毎月第一日曜日に聖餐式を行いますので、毎年この世界聖餐日には必ず聖餐式を行います。そして本日も行います。

世界聖餐日に聖餐式を行うことが出来るなんてさらに素晴らしい事ではないでしょうか。


 さて、聖餐式は洗礼を受けたキリスト者が参加できる儀式です。キリスト者である私達がキリストの十字架を覚えること、すなわち主イエス・キリストが私達の罪の贖いのために十字架にお掛かりになられたことを覚えるために行っています。そして私達がキリストに属するもの、キリスト者であるということを自覚するため、私達の連帯、一致、そして結束のために行っています。

このように見てみると聖餐式というのは非常にポジティブな印象を私達に与えます。しかし、聖餐式の元になったものを見てみると必ずしもそのようなポジティブなものばかりではありません。聖餐式の元になったものは最後の晩餐とよばれるもので、その中で主イエスは弟子たちと食事をしました。最後の晩餐はかの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチによっても描かれているので有名です。


 さて本日の聖書箇所はその最後の晩餐の事について書かれています。その中で主イエスははっきりと裏切り者の事について仰っています。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

(マタイによる福音書26章21節)

次の22節では主イエスの告発に対する弟子たちの動揺が描かれていますね。そして23節、24節で主イエスはさらにその裏切り者がここにおり、今何をしているのか、そしてどういう状態になるのかを述べられています。

「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」(23節から24節)

そして25節で決定的と言えるやりとりが主イエスとユダとの間でなされます。「イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、『先生、まさかわたしのことでは』と言うと、イエスは言われた。『それはあなたの言ったことだ。』」

そして26節から29節にかけては私達が普段聖餐式で聞いている文言です。小見出しでは主の晩餐とあります。ここで書かれている事、主が弟子たちに仰ったことはその当時に弟子達は今の私達ほどには理解出来なかったに違いありません。それは主イエスが十字架の上で私達の罪のために死なれた事、そしてご復活をされたことの前であったせいです。私達はこれらの事を知っているので、この箇所で主イエスが仰ったことが分かるわけです。ただ弟子たちは私達ほど理解していなかったとしても、この箇所で描かれているこの主を囲んだ晩餐では一種の連帯感、喜びというものを感じることが出来るのです。本日の聖書箇所ではありませんが、次の30節をご覧いただくと、彼らの連帯感、喜びを感じ取ることができます。「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。」(30節)それは素晴らしいことです。

ですが、彼らが出かけたとき、主イエスは弟子たちが主イエスを見捨ててしまうことを予告しました。ペトロも含めてですが。

そして実際に主イエスは逮捕され、弟子たちは逃げてしまいました。もちろん、彼らの裏切りはユダに比べれば酷いものではなかったかもしれません。しかし、主イエスにとっては悲しい出来事であったに違いありません。たとえ、主イエスご自身がその事を予め知っていたとしても、また例えその事が神のご計画であったにしてもです。なぜなら、彼らは主イエスと行動を共にしてきたのです。そして何よりもユダの裏切りについてはさらなる悲しみであったにちがいありません。ユダの裏切りについては本日の聖書箇所の前、マタイによる福音書26章で14節から16節に書かれているように、主イエスが晩餐で裏切りを指摘する前に、もうすでに計画が着々と進行していました。

なぜ、ユダが主イエスを裏切ったのかはよく分かってはいません。

15節の「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか。」というユダの祭司長たちへの質問に対して彼らは銀貨30枚ということからお金に目がくらんだという事かもしれません。さらに言うならば、このユダの裏切りの箇所、14節から16節の前にベタニアで一人の罪深い女性が主イエスに高価な香油をかけるというエピソードがありました。6節から13節に書かれています。その中で弟子たちはその女性を「そんな無駄使いせず、その香油を売って、その得た代金を貧しい人たちに施せば良かったのに。」と非難しました。弟子たちの発言に対して主イエスは「自分がこれから十字架で死ぬので、葬る準備をしてくれたその女性を非難してはならない。」と弟子たちを叱りました。ここではこの女性を非難したのは弟子たちとなっています。

しかし、このエピソードが書かれている別の聖書箇所ヨハネによる福音書12章4節から6節にかけてこのように書かれています。「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」

主イエスによって諌められました。この事から考えられるのはユダがお金のために、もしくは主イエスに叱られたために怒り、主イエスを裏切ったのではないかと思います。


 しかしまた別の見方も出来ます。ルカによる福音書22章3節にはこのように書かれています。「しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。」

その後このユダは祭司長たちや神殿守衛長たちの所に行き、主イエスを引き渡す段取りを相談したということです。

また、ある本では元々ユダは他の弟子たちと比べて主イエスとの関係が薄く、主イエスを主、神の御子とみなしてなく、せいぜいラビ(先生)という認識しかなかったということです。つまり、信仰が薄かったということです。ユダの主イエスへの裏切りの理由は様々あり、これといった決め手に欠けるのが現状のようです。


 しかし、本日の聖書箇所に戻りますと、聖餐式の雛形(ひながた)である最後の晩餐では主イエスご自身が自分を裏切る者の事を仰いました。(21節)そしてその事で弟子たちの不安と動揺が生まれました。(22節)。

そして主イエスと裏切るユダとの会話がありました。(25節)。最後の晩餐にはこのような負の側面があったんだということを私達は考えなければならないのです。主イエスの十字架でのお苦しみの前にこのような裏切りに対しての悲しみがあったということを私達が考えなければならないのです。その上で主イエスはそんな私達のために十字架で罪の贖いをしてくださったということを私達は忘れてはいけません。そういう思いで今日の聖餐式に臨もうではありませんか。

 
 
 

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